〈知のフリタージュ〉構想
フリタージュ会議が終了すると、私たちはホテルを出てドクターを羽田近郊のホテルに送った。私はGマップのルートで乗り換えようとしたのだが、弟が途中まで同行してより良いルートを教えてくれた。口数は少ないが、いざという時に適切なフォローをしてくれる弟は、今回のフリタージュ会議の影の功労者である。
駅が近づくとホテルのプレートが見えたので、ドクターを送り届けてチェックインさせた。私はドクターに別れを伝えて再び駅に向かった。思えばドクターと初めて会ったのも横浜だった。もしかすると今回が最後かもしれないが、それもしかるべき流れなのかもしれない。フリタージュ会議を終えた充実感に心は満たされていたが、それとは違う明状しがたい想いも浮かんでいた。
私は再び成田に向かう電車に乗っていた。ドクターを迎えに行くときに泊まったホテルに予約をしていたからである。本当は横浜周辺のホテルを予約するつもりだったが、コンサートがあるらしくどこも満室だった。急いで帰る必要もないので、成田に一泊して観光してから翌日に帰ろうと考えていた。
暮れなずむ風景を眺めながら、今回のフリタージュ会議を少し振り返ってみた。今後ドクターが来日することは難しいかもしれない。これからは私たち日本人だけで活動を続けていくことになるだろう。その前段階の試みとしては成功と言えるのではないだろうか。
そして今回の会議では、吉野さんの講演という新しいアプローチも有意義だったと思う。また参加された方々も動機は様々だったと思うが、私としてはもう少し参加者の方から専門家としてのお話を伺いたかったという気持ちがある。いわば〈知のフリタージュ〉というテーマが今後の課題として提起されたのではないだろうか。
私たちの活動がこれからどのようにフリタージュしていくのか、その流脈を探っていきたいと思う次第である。
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