天地に還る道
私事ではあるが5月に母が亡くなった。奇しくも四十九日は七夕である。
個人的な感傷はともかく、やはり身近な人間が亡くなると人生や生命について様々な想いが浮かんでくる。
母は長らくパーキンソン病を患いターミナルケアを受けていたが、比較的意識ははっきりしていて意思の疎通もできていた。高齢でもあったのでほぼ天寿を全うしたといえると思うが、本人としてはどうだったのか今となっては伺い知ることはできない。
「生命は負のエントロピーを食べている」という言葉を残したのはシュレディンガーだが、あるいはフリタージュ反応もそのようなプロセスの一つと言えるのかもしれない。生体組織には逆にエントロピーが増大するプロセスもあり、そのようなバランスの中で生命は動的な安定性を保っているのだろう。
しかし死という厳然たる事実を前にしては、生命という存在に対して私たちはあまりにも無知であり無力であると感じざるをえない。
いずれは天地に還る定めではあるが、その間にいかに己自身を全うすべきか、そのような命題に心はとらわれるばかりである。
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