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2021/02/25

空白の13年間

G・シューベルは1952年に45ページに及ぶ原子核パリンジェネシスに関する論文を公表しているが、その後1965年に開催されたユネスコの国際会議に至るまで、このテーマに関する論文を公表していない。この空白の13年間にいったい何があったのだろうか?

ユネスコの論文の冒頭にはこれまでの経緯として若干の記述はあるが、その具体的な理由は明示されていない。ともあれケルヴランやバランジェに先がけて提起された彼の革新的な見解に対して、地質学界の反応が芳しいものでなかったことだけは確実なようである。

『フリタージュの真実』の読者にはわかると思うが、1960年にケルヴランが最初の論文を公表したのは地質学者のJ・ロンバールの協力があったからである。そして1962年に出版された『生体による元素転換』にはロンバールとシューベルの論文が関連文献としてリストアップされている。これはおそらくロンバールの情報提供によるものだろう。

また1963年に出版された『自然の中の元素転換』にはロンバールが序文を寄稿しており、シューベルの論文も部分的に引用されている。こうしたケルヴランの動向はロンバールを通じてG・シューベルに伝えられ、それが13年の時を経て再び原子核パリンジェネシスを問いかける動機になったと考えても不自然ではない。

『地質学における微量エネルギー元素転換』には、ケルヴランとG・シューベルは1971年まで直接の面識はなかったと記述されている。しかしJ・ロンバールとG・シューベルは1966年にパリで開催された世界地質図委員会に共にコーディネーターとして出席しているので、おそらくそこで後の共同実験に至る情報交換があったものと推測される。

いずれにせよJ・ロンバールはケルヴランとG・シューベルの相互作用を促進する触媒の役割を果たしたといえるだろう。

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2021/02/02

第4回フリタージュ会議

第3回フリタージュ会議を横浜で開催してからかなりの時間がたつ。これまではドクターの来日に合わせて各地で会合の機会を設定してきたが、海外からの入国が制限され、地方と都会との移動にもリスクが生じる昨今、当面の開催は難しいだろう。

ここに至っては発想を新しく転換する必要があるのかもしれない。これまでのフリタージュ会議はどちらかといえばドクターの講演会というニュアンスが強かった。しかし「これから」が「これまでどおり」である必要は全くない。今後は日本人だけでフリタージュ会議を開催するのも良いかもしれない。

問題はそのコンテンツである。私がもっているパワーポイントを上映してこれまでの研究成果を解説することもできるが、過去のフリタージュ会議と似たりよったりの内容になるのならわざわざ開催する意味はない。講演とまでいかないとしても、生物学的元素転換やMRETウォーターについて参加者全員が各自の知見を提示して意見交換することが理想ではある。

もちろん正式な学会のような形でなくてもよいと思うが、フリタージュとMRETをメインテーマにして議論を深める場にできれば、新しいフリタージュ会議の形態と言えるのではないだろうか。

現実的にはコロナの終息の兆候が表れたらという前提にはなるが、関心をもつ方からのご意見を伺いたいと思う次第である。

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