司るもの
新型コロナウイルスの変異種が世界各地で発生し、すでに国内の感染者も確認されたようである。折しも緊急事態宣言が再び発令され、外国人の入国も制限されつつある。この状況でオリンピックの開催を強行すればどのような事態が起こりうるのかは語るべくもないだろう。
コロナウイルスの感染拡大は新たなステージに入ったともいえるわけだが、興味深いのは同時期に様々な変異種が異なる地域で発生しているということである。
生物は個々の環境条件に適応する形で進化を遂げてきたと考えられるが、コロナウイルスの変異種が世界各地で出現したのは単なる偶然の一致なのだろうか?それとも個々のウイルスの背後に存在する集合的知性によって新たな生存戦略が発動した結果なのだろうか?
アリやハチのような昆虫は社会的生態活動を行なっているが、その集団行動自体が全体を統治する一つの知性として機能している。また鳥や魚にも集団で陣形を形成するものがいるが、それは単なる生存本能の現れなのだろうか?集合無意識を提唱したのは心理学者のC・G・ユングだが、少なくとも現実の人間社会はエゴと欲望のネットワークであり、種属全体を守り統治するという集合的知性をそこに見ることはできない。
だが本来、個々の生物種属はそれぞれの<司るもの>に従って生存戦略が構築され、進化の道をたどってきたのかもしれない。フリタージュという特殊な能力もそのオペレーションの発現として捉え返す必要があるだろう。目先の状況に一喜一憂するのが人間ではあるが、これからの時代は<司るもの>の本質をそこに見出さなくてはならないだろう。
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