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2020/12/11

樹木の完成

フリタージュ研究の歴史を一つの樹木として捉えると、その幹の部分はケルヴランやバランジェの研究、そして枝葉はヴィソツキー博士や現代の研究者が当てはまるだろう。フリタージュ・ブックスでいえば前者は『生物学的元素転換』と『フリタージュの真実』、後者は『生体系における同位体の元素転換と核融合』や『未来のフリタージュ』が該当する。
G・シューベルの原子核パリンジェネシスは『地質学における微量エネルギー元素転換』の中にも若干記述されているが、それはケルヴランの視点に基づく限定的なものに過ぎない。
実のところ、彼の研究は大地に広がる根の部分に相当するものと思われる。目先の事物に捕われている人間には理解できないかもしれないが、この見えない根幹を明らかにすることこそが重要であり、それによってフリタージュという樹木は完成することになるのである。
この樹木がなぜ20世紀中葉のフランスに芽吹いたのかということも興味深い問題だが、おそらくそこにはマティエール(物質的世界)に対する合理主義的精神を育てる土壌が長い歴史の中で培われてきたからではないだろうか。
17世紀のデカルト、パスカルは言うまでもなく、18世紀のラボアジエやプルーストは現代科学においても重要な法則を発見している。また19世紀のド・シャンクルトワはメンデレーエフよりも前に元素の周期性を指摘している。このような独創的な世界観に基づいた法則性の探究は新しい植物を生育させるための豊かな養分になったものと思われる。
資本主義に毒された現代人は、ともすれば枝葉末節にとらわれて研究成果という果実を貪ろうとするものである。しかしフリタージュ研究の本質を捉えることができれば、その完成した樹木が太陽の光をつかむ手のように広がる姿を目にすることができるはずである。

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