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2020/05/21

春の修羅

宮沢賢治の「春の修羅」は早春の東北を偲ばせる詩歌だが、寒々しい昨今の状況に不思議と符合するものが感じられる。

「まことの言葉はここになく/ 修羅の涙は土に降る」

ちょうど一年前に令和という時代が始まったときに、新しい天皇の下に素晴らしい時代が始まると宣った輩が一人や二人ではなかった。一年後にこんな未来が待っていることを予見することもできなかった体たらくである。

先のことは誰にもわからないが、人は未来に希望を抱くものである。ミレニアムのときも平成になったときもそうだったかもしれない。しかし、まことなき言葉で人心を籠絡するのはいかがなものか。

コロナウイルスも少し下火になる兆しが見えたところだが、人間というものはウイルスよりも情報に感染しやすく、また周囲の状況に流されやすいものであることが改めて認識されただろう。むしろウイルスよりもそちらの弊害のほうが大きかったのではないだろうか。

たとえば生物学的元素転換について批判的なコメントをネットに上げている人もそのような類である。「生物学的元素転換」を読んでいる人にはわかると思うが、そのような人ほどフリタージュ・ブックスを一冊も読んでいないケースがほとんどである。

ある研究に対して批判や疑問を呈することは科学の世界では当然の権利である。しかし、著作や論文の一つにも目を通さず、ネットで寄せ集めた情報だけで何かを否定しようとする人間の言葉に耳を傾けるのは、同じレベルの人間だけである。

もしその研究に関心があるのなら、私のように世界中から一次資料や論文を収集して翻訳し、また研究者に直接コンタクトを取るのが当然だと思うが、そのような綿密な調査と地道な努力を怠っているにも関わらず、他人を批判するしか能のない人間は、おそらく子供の頃から弱い者いじめしかしてこなかったのだろう。

これからの時代はこのような二極化が進んでいくことになるのかもしれない。すなわち様々な情報に振り回されて生きる人間と、そこに真偽を悟る人間の乖離である。

濁った水が浮かぶものと沈むものに分かれて少しずつ透明になってゆく。それは地球が本来の自分を取り戻すプロセスでもあるが、その過程において、この星に生きる者にはさらなる教訓が与えられることになるだろう。

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2020/05/04

もう一つの選択

前回MRETアクティベーターのアクリルボトルについて記したが、ボトル自体は何を使用しても実用的には問題ない。専用ボトルは確かに容量が大きく頑丈だが、そんなに大量に使用しないという場合もあるだろう。また専用ボトルはかなり重く、冷蔵庫にそのまま入らないというケースも考えられる。

これからの時期は特に、MRETウォーターで麦茶を作って冷やしたりすることもあるだろう。その場合は冷水用のボトルを使用したほうが便利かもしれない。ただしその際にはいくつかの条件がある。

まずアクティブユニットを安定して接合できることが重要である。具体的には(1) 水を注ぐ開口部がアクティブユニットの直径より大きいこと。(2) アクティブユニットのアクリルパーツと抵触しない形状であること。(3) 飲料水がアクティブユニットに接触しないように、容器は透明ないし半透明であることが望ましい。

以上の条件に適合するボトルとしては、まず条件(3)から材質としてガラスかアクリル製ボトルが現実的な選択肢になるだろう。しかしガラスボトルは重量があり、転倒させたときのリスクを考えると除外したほうが無難である。そうすると必然的にアクリル製が適しているということになる。

次に難しいのは条件(2)である。アクティブユニットのアクリルパーツは少し変わった形状をしているので、適合するボトルの口径は意外に限られてくる。ともあれ安定して設置できることが最低条件である。

Dsc_0413

いろいろと探してみたが、最近になって海外からこれらの条件を理想的にクリアするボトルを入手することができた。静謐なディテールをもつブルーボトルにアルミのハンドルが良いアクセントになっている。もちろんアクティブユニットも正常に設置することができる。驚いたことに、これは1960年代のアンティーク製品ということである。

MRETユーザーの方はいろいろと工夫していると思うが、一つのヒントとして頂ければ幸いである。


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