G線上のフリタージュ
フリタージュの先駆者ともいえるG・シューベルのプロフィールに関する情報は非常に限られているが、彼の研究の文脈を読み解くためにその足跡をたどってみることにしよう。
ジョルジュ・シューベルは1908年にロシアのサンクトペテルブルクに生まれたロシア人である。彼には二つ年上の兄ボリスがいるが、1917年にシューベル一家はフィンランドに移住している。その詳細については不明だが、おそらくロシア革命による迫害から逃れるための亡命だったと推測される。
そしてジョルジュが19才になった1927年に一家はフランスに移住している。このときにロシア名のゲオルギーからフランス人としてのジョルジュに改名したものと思われる。
こうしてフランスに帰化したG・シューベルは兄のボリスにならい、ソルボンヌ大学で地質学を修めて地質調査技師になった。モロッコ地質調査局に配属された正確な時期は不明だが、1930年代にはアンチ・アトラス地帯のカンブリア系に関する論文を公表していることから、地質調査技師になった直後から植民地時代のモロッコでフィールドワークを行なっていたと考えられる。
新進気鋭の地質学者としてモロッコの地質調査に従事していたG・シューベルだが、その過程で理解しがたい現実に直面することになる。それはヘルシニア系花崗岩と呼ばれるポスト・テクトニックの岩体の産状である。
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