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2018/09/23

トリチウムのフリタージュ

福島の汚染水の処理について先日公聴会が開かれたが、明確な方針決定は示されなかったようである。あまり政治的な話題にコメントするつもりもないが、政府としてはこれで国民の声は聞いたというスタンスなのだろう。あとは既定路線に沿って事を進めるばかりである。愚かな国民がオリンピックにうつつを抜かしている間に小さな穴をあければ、そこから全てが崩れてゆくだろう。

政府にとっては福島の風評被害よりはむしろ海外からの反応を気にしているようである。手順を踏まずに汚染水を放出すれば韓国や中国からここぞとばかりに叩かれる。それでなくとも日本の原子力行政はプルトニウムの過剰保有でIAEAや国際社会から目を付けられている。いかに国民の目を欺き、海外からの批判をかわす策を講じるかが喫緊の課題といえるだろう。

汚染水に含まれているトリチウムの処理については近畿大学工学部で除去技術が開発されているようだが、大規模な形での実用化にはもう少し時間がかかるようである。しかもそれはトリチウムの放射能自体をなくすことはできない。

トリチウムの問題については仙台でフリタージュ会議を行なった後にホテルの地下の寿司店でドクターに質問したことがあるが、やはり実験的に検証されていないこともあり、明白な結論は得られなかった。これもまた先の空白領域の問題の一つ、すなわち核子クラスターの特異性に関連する重要なテーマであることに間違いない。

私個人の見解としては、たとえばメスバウアー実験で鉄57が生成されたように微生物が特定の元素を必要とする反応プロセスを設定すればトリチウムを元素転換させることは十分可能だと思われる。つまり生成される元素から逆に培養条件を決定するという方法論である。

しかし政府や省庁の人間は私たちの提案に耳を傾けることはないだろう。はたして彼らがどのように自分たちのやり方を押し通すのか、私も愚かな国民の一人として見つめていきたいと考えている。

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2018/09/12

MRETジェイド

北海道では地震によって大きな被害が生じているが、折りしも台風シーズンに入ろうとしている。今後どこでどのような災害が起こっても不思議ではない。まさに災害に例外なしというところだろうか。

このような時には水や防災用品を備蓄しようとするものだが、ともすればそれは一過性のものになりがちである。やはり普段から「防災を意識しない防災習慣」を身に付けておくことが肝要と思われる。

たとえば私は冷蔵庫の中にボトル2本分のMRETウォーターを常備するようにしており、さらに予備の活性水をポリタンクに溜めておくようにしている。ミネラルウォーターを備蓄するという方法もあるが、運搬や保管が大変なので継続しにくい面もある。その点、MRETウォーターを保存しておけば災害時にも役に立つし、普段は洗濯や入浴に使うこともできるのでお勧めしておきたい。

ところで最近になってMRETの新しいモデルを入手した。ポータブルサイズのMRETジェイドである。

Mj01このMRETジェイドは容量500mlの飲料水を活性化することができる。これまでのMRETアクティベーターは2リットルの水を活性処理することができるが、持ち運びには大きすぎるし、停電時には使用できないという難点があった。しかしMRETジェイドのアクティブユニットにはリチウム電池が内蔵されているので、スマホのACアダプターやモバイルバッテリーから充電することができるし、非常にコンパクトで持ち運びしやすいという特長がある。

Mj02特に災害が生じたときには衛生環境の悪化によって免疫力が低下する場合も多い。そのような時に身体に入れる水の品質は確保したいものである。またMRETジェイドは災害時だけではなく、旅行やアウトドアで使用するのにもスタイリッシュなデザインである。

MRETジェイドは新製品なので、当面は注文を受けてから取り寄せになるが、関心をお持ちの方はこの機会に購入を検討して頂ければ幸いである。


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2018/09/03

水際の光

夏休みも終わり、人手も少なくなってきたと思い、真備町にボランティアに行ってきた。

真備町は倉敷市の中心部から10kmほど離れているが、高梁川を挟んだ地域なので元々は倉敷市ではなかった。当然、今回の豪雨被害もその地域に限定されている。

橋を渡って真備町に入ると大型商業施設の建物は以前と同じように残っているが、人の気配はなく、まるでゴーストタウンである。町の大半が浸水したせいか、車の窓を開けると一か月たった今でも異臭が漂ってくるのがわかる。災害ゴミの集積場にはトラックが土ぼこりを上げて頻繁に出入りしていた。

Dsc_0008_2ささやかなボランティアを終えて小田川に向かった。水面を流れる穏やかな風が汗を冷やしてくれる。7月に決壊した小田川はそれを少しも感じさせないような静かな表情をしていた。

「人は産まれる前も水の中にあり、産まれた後も水の中に生きている」というドクターの言葉をふと思い出した。浸水被害を受けた人々がまっさきに必要としたのも、皮肉なことにきれいな水である。

私は持参した清めの塩を橋の上から小田川に撒いた。それは白い雪のように水面に消えていった。

これからもこのような災害は日本各地で起こるだろう。そしてその度に、私たちは何が本当に大切なのかを思い知ることになるのだろう。

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