残された空白領域
ケルヴランの研究とヴィソツキー博士の研究を対照的に捉える上で重要な点は、元素転換反応を検出する方法論である。ケルヴランの元素転換説は比較的軽い生体必須元素を対象にしていたので、その量的変動を示す非定常収支が評価のポイントだった。
たとえば生体高分子の場合は放射性トレーサーや蛍光タンパクで標識することもできるが、原子・イオンのレベルではそれは不可能である。また細胞内小器官のようにシグナル配列を付加して誘導することもできない。この点が実験的アプローチのネックになっていた。
一方、ドクターの研究は逆に分析方法に基づいて実験プロトコルが構築されている。メスバウアー実験はその代表例だが、レーザーTOF質量分析やTIMS、蛍光X線分析が使用されており、特に放射性同位体のガンマ線はドクターの専門なので、その変動によってフリタージュ反応を検出する方法論がとられている。
ここで問題となるのは両者の間に存在する広大な空白領域である。たとえばメスバウアー実験ではマンガンと重水素から鉄57が生成されている。しかし自然界で微生物が重水の中に生息しているケースは存在しない。するとこの元素転換反応は重水が存在するときにのみ生じるのだろうか?それとも自然界ではマンガンと水素によって鉄56が生み出されているのだろうか?この問題についてドクターの実験データは慎重に答えを回避しているようにみえる。
同様の問題はセシウムからバリウムへの転換反応にも言えることである。微生物がセシウムを吸収すること自体、自然界ではまずありえないことである。それなのになぜ微生物はそれを転換するメカニズムをもっているのだろうか?もしかするとそれはセシウムではなく、カリウムなどの他の元素を転換させる反応プロセスなのではないだろうか?
こうしてみるとケルヴランの研究はわりと自然であるのに対し、ドクターの実験はあまりにも人工的であることが理解される。そして両者の間の空白領域はいまだ未踏のまま残されているのである。
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