« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »

2018/08/22

残された空白領域

ケルヴランの研究とヴィソツキー博士の研究を対照的に捉える上で重要な点は、元素転換反応を検出する方法論である。ケルヴランの元素転換説は比較的軽い生体必須元素を対象にしていたので、その量的変動を示す非定常収支が評価のポイントだった。

たとえば生体高分子の場合は放射性トレーサーや蛍光タンパクで標識することもできるが、原子・イオンのレベルではそれは不可能である。また細胞内小器官のようにシグナル配列を付加して誘導することもできない。この点が実験的アプローチのネックになっていた。

一方、ドクターの研究は逆に分析方法に基づいて実験プロトコルが構築されている。メスバウアー実験はその代表例だが、レーザーTOF質量分析やTIMS、蛍光X線分析が使用されており、特に放射性同位体のガンマ線はドクターの専門なので、その変動によってフリタージュ反応を検出する方法論がとられている。

ここで問題となるのは両者の間に存在する広大な空白領域である。たとえばメスバウアー実験ではマンガンと重水素から鉄57が生成されている。しかし自然界で微生物が重水の中に生息しているケースは存在しない。するとこの元素転換反応は重水が存在するときにのみ生じるのだろうか?それとも自然界ではマンガンと水素によって鉄56が生み出されているのだろうか?この問題についてドクターの実験データは慎重に答えを回避しているようにみえる。

同様の問題はセシウムからバリウムへの転換反応にも言えることである。微生物がセシウムを吸収すること自体、自然界ではまずありえないことである。それなのになぜ微生物はそれを転換するメカニズムをもっているのだろうか?もしかするとそれはセシウムではなく、カリウムなどの他の元素を転換させる反応プロセスなのではないだろうか?

こうしてみるとケルヴランの研究はわりと自然であるのに対し、ドクターの実験はあまりにも人工的であることが理解される。そして両者の間の空白領域はいまだ未踏のまま残されているのである。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/08/09

鏡の中の光と闇

ケルヴランの元素転換説については『生物学的元素転換』を初めとするフリタージュ・ブックス、特に『フリタージュの真実』において包括的に検討されており、様々な問題点が指摘されている。またヴィソツキー博士もその著作の中でケルヴランを取り上げて一定の評価はしているが、フリタージュ反応を未知の酵素作用に求める姿勢を厳しく批判している。

しかし人の在り方とはまこと己の鏡でもある。ケルヴランに対するこのきわめて妥当な批判はそのままドクター自身にも当てはまる。なぜなら元素転換について様々な実験結果を得て、CCSという量子論的な解釈は行なっているものの、フリタージュ反応が生体組織のいかなる場所で、またどのようなメカニズムで生じているのかは全く明らかにされていないからである。

たしかに未知の酵素作用によって元素転換反応が生じるというケルヴランのロジックは今では荒唐無稽に思われるかもしれない。しかし酵素反応のアロステリック制御と転写因子の連動性などを考えると、意外に目の付けどころは悪くないのである。

現代ではあらゆる生物のゲノムが解読されつつあるため、遺伝子レベルや細胞レベルのことは全て解明されていると思われるかもしれないが、それは大きな誤解である。
たとえばモデル生物の大腸菌のゲノムも全て解読されているが、大腸菌が産生する酵素の30-40%はいまだに機能が解明されていない。これは酵母などの他の微生物も同様である。ましてや元素転換反応を検出する目的で実験を行なっていなければ、たとえそれを示すデータが現れたとしても測定エラーや不純物の混入とみなされることになるだろう。

またこれまでは「一遺伝子一酵素説」と呼ばれるものが遺伝子研究の原則とされていた。これは一つの遺伝子の情報に基づいて特定の酵素が合成され、制御されるという仮説である。ところが鉄応答転写因子Furのように複数のプロモーターを制御するグローバルレギュレーターや多機能酵素の存在が明らかになっており、一遺伝子一酵素説という原則は崩れつつあるのが現状である。

はたしてヴィソツキー博士の研究によってケルヴランの言説は価値を失ったのだろうか?これについてはもう少し検討する必要があるだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2018年7月 | トップページ | 2018年9月 »