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2017/12/13

上野から羽田へ

11月26日、案の定眠れないまま朝を迎えた私は、ドクターのチェックアウトに合わせてAM10:00にホテルに迎えに行った。弟とは11時に上野駅で会う約束だった。そこで駅で荷物を預け、上野公園で時間をつぶすことにする。上野公園には今回初めて立ち寄ったが、紅葉がきれいに色づいていて落ち着ける場所だった。

弟から駅に着いたというメールが届いたので上野駅の中央改札口に行ったが、どこにも姿はない。メールをチェックすると上野公園に向かったようで、どうも行き違いになったらしい。下手に動かないほうがいいと思ったのでクリスマスツリーの所で待っているとようやく弟が現れた。

ドクターは弟のことを覚えていて、5年前と同じように三人でスカイツリーに向かうシャトルバスに乗りこんだ。スカイツリーに着くと4Fのテラスで少し写真を撮って、天望デッキに向かうエレベーターに乗った。天気は良かったが、天望デッキからの眺望は少し白くかすんでいて富士山はわずかにわかる程度だった。しかしドクターは都会の眺望をけっこう楽しんでいて、パンフレットを見ながら確認していた。

そこそこ歩き疲れた私たちは天望デッキのスカイツリーレストランで休憩を取ることにした。ドクターはオレンジジュース、私はアイスカフェラテ、弟はアイスコーヒーで、サンドイッチを一皿注文してみんなで食べようとしたのだが、二人ともいらないというので私一人で完食した。

弟と相談してスカイツリーの後は浅草寺に向かった。隅田川を越えて駅に着いて歩いていくと、意外なことに昨日七沢研究所のスタッフと歩いたところである。昨夜はコートをホテルに置いてきたので寒い思い出しかない。弟はどんどん先に歩いていくので姿を見失ってしまい、ドクターと二人きりで境内に入った。日曜日なので人出も多く、落ち合えないと思ったので、弟には駅で待っているように伝えた。浅草も今回初めて来たのだが、昨夜の一件があって心から楽しめない自分がいた。

浅草から上野に戻って荷物を引き取ると、ドクターは一人で羽田まで行くという。しかし話を聞くと路線もよくわかっていないようなので京急蒲田駅で羽田行きの電車に乗せて見送ろうという話になった。電車を乗り継いで京急蒲田駅に着くと、ドクターを電車に乗せて手を振った。これで何とか無事に今回の旅も終えることができたと安心した。あとは扉が閉まり、発車するのを待つばかりである。

そのときだった。振りかえると上を見上げていた弟が手を振った。「ドクター !」私はとっさにドクターに電車から降りるように促した。途端に発車のベルが鳴り響く。驚いたドクターの後ろでドアが閉まると弟が指さした。発車したのは羽田空港行きではなく、新逗子行きの電車だった。

「最後に来たか。」今回の旅の流れを見て気をつけてはいたが、危うくドクターの姿を見失うところだった。そしてドクターを羽田行きの電車に乗せて、ようやく旅の締めくくりをすることができた。

今回の旅を終えて思うことは、人は流れを変えることはできないが、タイミングを調節することで最悪の事態を回避することができるということである。そして厳しい状況に陥ったときには必ず救いの手が差し伸べられるということも。

だが今回のようにすきを突かれるということは、まだ私のどこかに甘さがあるということかもしれない。その点はしかるべく反省し、精進すべきだろう。

私は旅が嫌いなわけではない。しかし目に視えないものとの闘いが、ときに辛く感じるだけである。

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2017/12/08

イベントの顚末

11月24日、この日はAM10:30からホテルのロビーで七沢研究所のスタッフとのミーティングが行なわれた。ドクターに研究開発を依頼する内容だったが、日本とは異なりロシアやウクライナではわりと契約書の文面を重視する傾向があり、綿密な協議が行なわれた。

昼食を取ったあとは七沢研究所に移動して、さらにプロジェクトの詳細な検討が行なわれ、本契約の締結に至った。その後は明日東京で行なわれるイベントに関する打ち合わせがあり、夕方には再びホテルに戻ってスタッフの方々と夕食を共にした。

11月25日、AM10:00にホテルをチェックアウトし、私たちは甲府から上野に向かった。上野駅に着くとまず予約していたホテルに向かうが、案の定なかなか見つからない。さんざん歩き回った末にようやくドクターのホテルを見つけてチェックインの手続きをして、次に数百メートル離れた私のホテルに向かった。その後、私たちは七沢研究所のイベント会場を目指して歩いていくが、なかなかの距離があった。

イベント会場に着くと講演関係者であることを伝えて中に入れてもらい、今回一緒に講演を行なう久保田博士やスタッフの森田氏と合流した。久保田昌治博士はウォーターデザイン研究所の所長であり、活性水や機能水に関する研究のオーソリティーである。夏にお会いしたときにはあまりお話できなかったが、久保田博士はドクターの研究に強い関心を持たれていた。すでに『MRETウォーター・サイエンス』を七沢研究所からもらっていると思っていたが、読まれていないようなので持参していた二冊を差し上げた。

夕方になって私たちの講演は始まったが、どちらかというとパネルディスカッションのような形でそれぞれがコメントしていき、「水・ミネラル・元素転換」というテーマが語られた。さすがに1時間では本質的な議論は難しかったが、私たちなりの役割は果たせたと感じている。

イベント終了後は久保田博士と森田氏を初めとするスタッフの方々と夕食を共にしたが、ドクターはイベント会場で遅い昼食をとったためにあまり食が進まなかったようである。

夕食後にドクターは自分のホテルに戻ったが、私は別のスタッフと合流して二次会に行く流れになった。そこで終わりかなと思ったのだが、今度は浅草に移動して三次会が始まった。彼らにしてみれば会社のイベント終了後の打ち上げかもしれないが、私は明日ドクターを送らなければならない。適当に話を合わせてはいたが時間だけが気がかりだった。

ホテルに帰り着いたのはAM1:30だった。明日のことを気にしながらもまどろむ意識は沈潜していった。

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2017/12/04

成田から甲府へ

成田山からホテルに戻ると少し休憩をとり、6時から夕食を取ることにした。ところがホテルの1Fにあるレストランは今夜は貸切だという。仕方がないのでフロントでパンフレットをもらい、成田山の参道にあるsushi-SAKURAに行った。ここは寿司料理がメインのようだがカフェバーのような店構えである。私たちは炙り寿司セットとアサリの味噌汁、デザートにハチミツ入りのバニラアイスを堪能した。

ホテルに帰ると私は羽田から出国するために上野駅周辺のホテルを探した。しかしあいにく土曜日で空きがなく、近くのホテルに別々に泊まる予約を入れた。

ドクターの出国は日曜の深夜なので、夕方までは上野周辺で観光しようと考えていた。横浜に住んでいる弟に連絡すると合流できるという。弟は神奈川県警や皇宮警察に務めていたので東京の地理には詳しい。そこで5年前と同じように上野駅で待ち合わせて東京スカイツリーに行くことにした。あの時は仙台に行ってフリタージュ会議を行なう予定があったので、スカイツリーの展望フロアに昇ることはできなかった。今回はそのリベンジである。

11月23日、ホテルのレストラン「ステラ」で私たちは朝食を取ったが、窓の外はかなり雨が降っていた。私は近くのコンビニでビニール傘を買い、AM10:00にホテルを出発して甲府に向かった。

おそらく雨はじきに止むだろうと考えて、私は上野から静岡経由で甲府に向かうことにした。遠回りにはなるがドクターに富士山を見せたいと思ったのである。予想通り、静岡に着いたころには雲一つない快晴になり、私たちは甲府へと向かう身延線に乗りこんだ。私はドクターにゼムリアの本を見せて、いろいろと話をしながら窓の外の富士山を眺めていた。

甲府に着いたのは午後4時ごろだったが、ホテルにチェックインした後、周辺を少し歩いてみることにした。ホテルには中華やフレンチのレストランがあるが、ドクターは和食が好きなのでスマホで見つけたそば屋に行ってみた。ところがそこは休みだったので近くの台湾料理店に入ることにした。

ここではドクターの研究の経緯についていろんな話を聞くことができた。フライシュマンとポンズの常温核融合の研究を知ったドクターはそれが生体組織でも可能ではないかと考えたという。そして1992年から元素転換の研究を開始したが、このときすでにケルヴランの研究は知っていたそうである。そうするとドクターの研究活動は今年で25周年ということになる。ケルヴランの著作は1960年から1983年なので、ドクターのほうがケルヴランより研究のキャリアは長いといえるだろう。

現在、私は元素転換に関連するメタボライトの調査をしているが、ドクターもそれに関しては以前から注目していたらしい。おそらくこれはゲノムレベルのフリタージュ研究にもつながるはずである。

ホテルに帰る道でふと空を見上げると、甲府の空に冬の三日月が鋭い輝きを放っていた。

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