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2016/10/28

福島の光と影

福島を訪問するに当たって私は事前にいくつか目ぼしい候補地を探していた。福島原発の現状をドクターに見てもらいたいと思って東電に問い合わせたが、スケジュールが一杯で対応できないと断わられた。ヴィソツキー博士の講演会に参加を予定していた福島在住の方に連絡をとると、福島駅の近くに除染情報プラザという施設があり、また福島大学には環境放射能研究所があるので対応してもらえるだろうとのことだった。

そこで仙台に向かう前に環境放射能研究所にキエフ大学の教授と訪問するので見学させてほしいとメールを送ったが、返事は返ってこなかった。この研究所にはドクターと同じキエフ大学の研究者もいたので個別にメールを送ってみたが、当日は海外にいるとの返事だった。

福島駅に到着したのは正午近くだった。駅から少し離れたビルの1Fに除染情報プラザがあった。そこにはガイガーカウンターで放射線を測定するコーナーや福島の現状の取り組みを示す資料が多数展示されており、ドクターはそこの所長にいろいろと質問していた。私たちは他に除染の現状を見られるところはないかと尋ねると、ハローワークの近くに汚染された土壌の巨大な仮置き場があり、その横に仮設住宅があることを教えてもらった。

除染情報プラザに荷物を預かってもらい、私たちは駅前のタクシーに乗りこんで仮置き場に向かった。強い日差しが夏のなごりを感じさせる日だった。森田さんの話しかけに応じて運転手の山本さんは福島の被災者の現状を淡々と語ってくれた。自治体によって補償の格差が生じていたり、賠償金でギャンブルに手を出す人もいれば家を建てた人もいるそうである。

Imgp3153aハローワークの横の仮置き場はそこそこ大きな運動場ぐらいの規模で、現在の線量を示すデジタル表示盤が設置されていた。おだやかな晴天に似つかわしくない異様なモニュメントだった。私たちは山本さんにお願いしていくつかの仮設住宅を見てまわったが、そこに住まう人の姿を見ることはなかった。

私にとって一番ショックだったのは、仮設住宅の外壁に花や音符のようなモチーフがカラフルに描かれていたことだった。住む土地や人とのきずなを奪われて、仮置き場の横のプレハブで誰が楽しげに暮らせるものか。復興という言葉の裏側で何がないがしろにされているのかを、私たちは知らなければならないのだろう。

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2016/10/23

誓いを叶える日

10月7日、この日私たちは仙台から福島、そして東京へと向かった。七沢研究所のスタッフの方とはAM10:00に仙台駅で合流する予定だったので、9時半にホテルをチェックアウトして駅に向かった。

その途中にICCF-20の会場になったAERビルがそびえ立っているが、私はタラセンコ教授のポスターのことを考えていた。彼は私にポスターをプレゼントしてくれるといっていたが、勝手にポスターを剥がすのも気が引ける。合流時刻も近づいていたし、せっかくのご好意だが諦めるしかないか。。

そう思いながら会場のビルを通り過ぎようとしていたら、突然ドクターが「タラセンコと話をしたんだろう?ポスターを取ってくるからここで待っててくれ。」と言い残してビルの奥に消えていった。私はあぜんとしながらも、そういえばドクターとタラセンコ教授は長年の友人だと言っていたことを思い出した。おそらく昨日私が帰ったあとにタラセンコ教授がドクターに伝えてくれたのだろう。

ほどなくしてドクターは自分のポスターとタラセンコ教授のポスターをかかえて戻ってきた。ポスターが手に入ったことも嬉しかったが、私のために二人が協力してくれたことがとても嬉しく思われた。

この日は秋晴れの好天だった。仙台駅で七沢研究所の森田氏と合流すると、私たちは福島に向かう新幹線に乗りこんだ。三年前に仙台でフリタージュ会議を開催したときにはスケジュールの都合で福島に立ち寄ることはできなかった。

チェルノブイリ原発事故を経験したドクターは、あのとき何もいわず窓の外を眺めていたが、その思いは切なく伝わってきた。私は次の機会があれば必ず福島を訪れようと心に誓っていた。そして今、その誓いを叶えるときが来たのである。

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2016/10/17

研究者との交流

10月6日、前日の一件で心身ともに疲労していたので今日はホテルで休息しておこうと考えていた。ところがタイミングよくシェーバーの電池が切れてしまい、買いに行く羽目になる。ついでといっては何だが、今回のICCF-20にはカザフスタン・カスピ大学のG・V・タラセンコ教授も参加していて研究レポートをポスターとして掲示していた。そのポスターの撮影だけしてホテルに戻ろうと考えていた。

ICCFの会場に到着するとタラセンコ教授のポスターを撮影する。タラセンコ教授の研究テーマは地質学におけるコールド・フュージョンであり、今回の研究レポートではカザフスタン・アルタイ山地に産出する球状ノジュールに関する組成分析が示されていた。それによるとノジュールの表層部には珪酸分が多く鉄分が少ないのだが、中心部に近づくにつれて珪酸分が減少して鉄分が増加しているという測定結果が出たというのである。

しばらく撮影に集中していると後ろから誰かが声をかけてきた。振り向くと背の高い紳士が穏やかな笑みを浮かべている。カザフスタンのタラセンコ教授本人だった。

私は数年前にメールを送ったことを伝え、なぜこのような鉄と珪酸分の相対的変動が生じたのかを尋ねたが、タラセンコ教授はあまり英語が得意ではなく明確な回答は得られなかった。助手の人が言うにはタラセンコ教授は早めに帰国しなくてはならないので、このポスターを私にプレゼントしてくれるということだった。思いがけない申し出に感謝することしきりである。

Imgp3143a_2
ICCFにはほかにも興味深い研究をしている人がいた。ある研究レポートを見ていると、原子核の構造はアルファ粒子が不均一なエネルギーで結合していることが記されていた。すると「Do you have any question?」と話しかけてくれる人がいた。その人は独自に研究をしているフィリペ・ハットという人で、戴いた名刺には国際コンサルタントと書いてあった。

アルファ粒子がクラスター構造を形成しているという考え方はケルヴランの核子クラスターの概念と同じである。そこで彼にケルヴランのことを知っているか聞いてみたが、あまりピンときていない印象だった。ちなみに以下は彼のサイトである。 http://www.philippehatt.com

ヴィソツキー博士やタラセンコ教授、そしてフィリペ・ハットの研究はコールド・フュージョンの世界では異質かもしれないが、そこにケルヴランとのつながりが感じられることは興味深いことである。体は疲れていたが、実りある収穫に満足感を覚えた一日だった。

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2016/10/12

不測の事態

ドクターの講演も聞き、写真撮影もしたので私は会場を後にした。午後からはICCFの参加者はツアーに行くということなので、私は仙台の郊外にあるヒーリングショップを訪れることにした。ところがその道中で不測の事態に見舞われることになったのである。

そのヒーリングショップのサイトに記載されている最寄りの停留所を駅前のバスセンターで尋ねると、9番乗り場から発着するバスがそこを通るというので早速バスに乗り込んだ。

スマホのGマップで調べるとショップの場所は秋保温泉の近くである。ところが30分ほど走った所でバスが急にルートを外れて坂道を登り始める。「おかしいな。。」と思ったが迂回ルートなのかもしれないと考えていると、「終点 百合丘5丁目」というアナウンスが流れる。「終点?」

Dsc_0014_2仕方なくバスを降りたが目的地にはまだ半分も達していない山の中である。「どこだ?ここは。。」少し歩くと「尚絅大学」という施設が目に入った。ともかくこの山を降りないといけない。

40分ほど歩いてようやく元のルートに戻ったが、どこまで歩いてもバス停が見つからない。私のスマホはネットしかできないのでタクシーを呼ぶこともままならない。仕方なくGマップで現在位置を確認しながら歩いていく。しかしGマップではかなり近い距離に見えるのだが、実際にはおそろしく起伏がある道を歩かなければならなかった。

2時間ほど歩いて足が棒になりかけた所でラーメン屋を見つけたので遅い昼食をとることにする。「今ごろドクターは観光を楽しんでいるんだろうな。。」しかしいまドクターに連絡する手段はないし、たとえ連絡が取れてもドクターにはどうすることもできないだろう。

覚悟を決めて再び歩き出す。天候は曇り空だったが、幸い雨は降りそうにない。ICジャンクションを迂回して山あいの産業道路を歩いていると、ダンプカーやトラックが砂ぼこりを上げて立て続けに通り過ぎる。

もう一山越えれば先が見えてくるかもしれない。そう思いながら歩いていくと、バス停らしいものが見えてきた。その時刻を確認していると偶然にもバスが通りかかったので、思わず手を上げて乗りこんだ。「助かったー。」バスはさらにもう一山越えて進んでいく。「こんなところ絶対歩けない。ほんとに良かった。」

そう思って寛いでいたら、バスはまたルートを外れて山の方に登り始める。「まずい。」このまま乗っていても歩く距離が増えるだけだ。私は降車ボタンを押して、また山道を下って元のルートに戻らなければならなかった。

秋保温泉までは一直線のようだが、道が細く、歩道がないところもある。すでに歩き始めて4時間が経過していた。通り過ぎる車に注意しながら足を引きずって歩く。ショップの営業時間は17時までなので、それまでにたどり着かなければならない。最後の力をふりしぼってようやくショップの場所を突き止めたときには16時半をまわっていた。

ヒーリングショップのオーナーには若い頃にお世話になったが、仙台に移転してから訪ねたことはなかった。突然の訪問にも関らずお茶を出して応対してもらえた。いくつか商品を購入したあと、私は足が動かないのでタクシーを呼んでほしいとお願いすると、仙台のホテルまで送って下さるというので、その言葉に甘えることにした。10年ぶりの再会にいろいろな話をしているうちに仙台のホテルに到着したのでお礼を述べてお別れした。夕方の市内にはぽつぽつと雨が降り始めていた。

その夜、ホテルに帰ったドクターが私の部屋を訪ねてきた。仙台の観光を満喫したそうである。私は今日起こった出来事をドクターにはあえて伝えずに、「ショッピングに行ってホテルで休んでいた」とだけ伝えた。こうして何とか不測の事態を乗りこえた次第である。

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2016/10/10

ヴィソツキー博士の新しい研究

10月5日、ドクターはこの日新しい研究報告をICCF-20で公表した。

AM9:30から行なわれるプレゼンテーションの三番目に登場するそうだが、その準備のために一足先に会場に向かうという。私は軽い朝食をすませるとICCF-20の会場に向かっていった。

Imgp3075z今回の研究レポートのタイトルは「好気性共生微生物とメタン菌によるセシウム133とセシウム137の元素転換反応」というものである。その詳しい内容はいずれ改めて検討する必要があるが、その中のある実験では20日間でセシウム137の放射能が70%も減少したというデータが得られている。これはMCTによる元素転換反応よりもはるかに高い効率を示すものである。

各講演者の持ち時間は20分だが、前の講演者の話が長くなり、ドクターは実質的に15分程度しか話ができなかったのは残念である。それでも講演後には5~6人の参加者がドクターのまわりに集まり、ビデオ撮影をしながら熱心に質問していた。常温核融合の研究者の中にもドクターの研究に強い関心をもつ人がいることは喜ばしいことである。

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2016/10/06

ICCF-20

10月4日の早朝、私は仙台へと出発した。

すでにドクターからは10月2日に仙台に到着したという連絡が入っていた。岡山から東京まで新幹線に乗り、さらに東北新幹線で仙台に向かう。体力的には問題ないが、それでも長時間の移動はあまり好ましいものではなかった。

ドクターが参加するICCF-20は仙台駅の近くのAERビルの5Fで開催されている。そのためホテルにチェックインする前に荷物を持ったままICCFの会場に直行した。自宅を出発したのはAM9:30頃だったが、仙台に到着したのはPM4:00をまわる頃だった。

5Fに着くと会場になっている多目的ホールに入る。ちょうどポスター・セッションが行なわれている最中でドクターがとこにいるのか探したが、100名くらい入る大きなホールだったのでなかなかそれらしき姿が目に入らない。

セッションが終わって休憩に入り、各参加者の研究を掲載しているポスターコーナーを見ていると、思いがけずドクターと再会することができた。

この日のプログラムはこれで終了したようなので、いろいろと話をしているとフランスのJ・P・ビベリアン博士ともお会いすることができた。ビベリアン博士の研究レポートは『未来のフリタージュ』にも収録しており、その完成時にフランスに1冊送っているのだが博士はそのことをあまり覚えていないようだった。

ドクターと会場を後にしてホテル・メイフラワーに向かう。前回奈良で第2回フリタージュ会議を行なったときはドクターとは違うホテルに宿泊したため、次の日の予定を相談して時刻と場所をいちいち決めなければならなかった。そこで今回はドクターと同じホテルに泊まることにしたのである。

ホテルのチェックインを済ませると荷物を置いてドクターと夕食に出かける。第1回フリタージュ会議を行なったときには仙台の国分町のホテルに泊まったので、わりと近くに飲食店がひしめいていたが、今回の場所はどちらかというとオフィス街のため、食事のできる所を探すのに少し苦労した。

とりあえず店に入ってメニューの品を頼むと、出てきたのは鍋料理だった。ドクターは食事に関してはざる蕎麦以外なら大丈夫なので、鍋に肉を入れてポン酢で食べていた。その食事の間に今回の講演会のことや参加者の方々からお知らせ頂いたことなどを話した。また明日の朝には生物学的元素転換の新しい実験研究をICCFで公表するということなので、ちょうどタイミングよく参加することができそうだった。

出発するときにはかなり蒸し暑く、台風の影響が気になっていたが、仙台に着いてみるとまだそれほどでもないようだった。ともかく明日はドクターの講演を聞かなければならないので、早めに眠りについた次第である。

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