樹木の完成
『未来のフリタージュ』の位置付けは前回記したとおりだが、これまでのフリタージュ・ブックスとは内容的にも構成的にもかなり異なる性格をもっている。
これまでリリースした本は、ケルヴランにしてもヴィソツキー博士にしても一定の文脈と世界観があり、それ自体で一応の完結した内容になっている。しかし『未来のフリタージュ』は様々な研究者の論文を集約しており、それらの文脈には相関性がない。また最終部分には私の見解をまとめた形になっているが、自分で読んでみてもそれで完結したという読後感はない。なぜならそれはフリタージュ研究が現在進行形であり、未完の研究領域だからである。したがってその評価は読者によってかなり分かれるものになるかもしれない。
フリタージュ研究を一本の樹木に例えるなら、ケルヴラン-ヴィソツキーはその根と幹になるだろう。そして今回の著作で取り上げた様々な研究はその枝葉といえるかもしれない。
しかしそれは個々の研究の価値が二次的なものだということではない。たとえば常温核融合では中性子や過剰熱の発生など各研究のタイプが類型化されているが、フリタージュ研究ではこれまでそのような細分化はされていなかった。
『未来のフリタージュ』が目指しているのは一つの樹木の完成である。そしてその樹木にどのような花が咲き、実がなるのかを見届けたいと思っている。
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