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2014/03/27

エレバン・クニーガ(1)

工作舎から出版されている『植物の神秘生活』の中にはケルヴランやバランジェについて言及した一章が含まれている。その中には生物学的元素転換に関連するものとして、ソ連の科学者V・B・ネイマンが1971年に『自然界の原子転換の諸問題-濃縮と分散』という論文集をアルメニアの首都エレバンで限定出版したという記述がある。

ウラジミール・ボリソビッチ・ネイマンはソビエト科学アカデミーのメンバーであり、地質学者・天文学者として知られている。『地質学における微量エネルギー元素転換』を読まれた方はご存じだろうが、ケルヴランの元素転換説はフランスの地質学者G・シューベルによってロシア語圏に伝えられた。ネイマンは元素転換説に強い関心を抱いてケルヴランとコンタクトをとり、ソビエトの研究者の情報を伝えている。

そのネイマンが編集したこの論文集が一体どのようなものなのかは長い間謎のままだった。実は一年ほど前に、私はこの論文集についてドクターに尋ねたことがある。ロシア語圏のドクターなら何らかの情報をつかんでいるかもしれないと思ったからである。しかしドクターもこの論文集はもっておらず、40年以上前にアルメニアで限定出版されたものなので入手は困難だろうという返事だった。

そこでいったんは諦めたのだが、最近になって本当に入手不可能なのか調べてみようと考えたのである。まず英語ではなくロシア語のキリル文字でタイトルを入力して検索すると、いくつかのサイトが見つかったのだが、そのほとんどは引用文献の表記であり、内容の把握につながるものではなかった。

次に見つかったのはロシアのブック・オークションのサイトで、ネイマンの論文集と思われるものが出品されていた。意外と早く入手できそうだなと思ったが、そのロシア語の記述を調べてみると「モスクワ市内にしか発送しない」と書いてあり、出品者とコンタクトをとることもできなかった。

さらに調査を続けていくと、エストニア大学の図書館に収蔵されているという情報が得られたので、この論文集のコピーを送ってもらえないかとメールしたところ、インターライブラリー・ローンシステムに加盟している図書館を通してほしいと伝えられた。そこでこのシステムについて調べると、国公立の大学図書館であれば加盟しているらしいが、学内の関係者しか利用できないことが判明した。先の見えない調査に手づまり感が募るばかりだった。

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2014/03/17

フリタージュ会議 DVD

ドクターはウクライナに帰国したあと、約束していた論文を送ってくれた。キエフでの反政府デモから今はクリミアに焦点が移っているが、もはやウクライナ国内だけの話ではなくなっている。

キエフのデモ以降、二回安否を確認しているが、ドクターのことだからうかつなことはしないだろうと信じている。しかし事態はいまだ流動的であり、今後の推移は注視すべきだろう。

話は変わるが、昨年のフリタージュ会議を開催する前にドクターの著作の購入者に参加要項をお送りしたが、当日の都合によって参加できない方も多かった。仙台という開催地とドクターの来日日程の制約上、仕方がない面はあったが、当日参加できない方から会議の内容を撮影してDVDにしてほしいという希望があった。

ところが私はこれまで動画ファイルはおろか、ビデオカメラも使ったことはなかった。そこでともかくHDムービーを入手して記録撮影を行なう予定だったが、当日会場に着くとT社の方で撮影の準備がされていたので、会議の後にそれを提供してもらうことができた。

そこでT社から送付されたDVDから新しいDVDを作成しようとしたのだが、フルハイビジョン撮影のため動画フォーマットを変換する必要があるらしい。このあたりも全く経験がなかったので、少しずつ調べながら変換ソフトを入手した。すると今度オーサリングソフトというものが必要だというので、今度はフリーソフトをダウンロードして、試行錯誤しながらようやくフリタージュ会議のDVDを制作できるようになった。

Dec16144 フリタージュ会議DVDは、ヴィソツキー博士が行なった元素転換に関する講演をDisc-1に、MRETウォーターに関する講演をDisc-2に収録している。また少し画質は粗いが、タシレフ博士のRMMテクノロジーに関する動画2本と資料をDisc-3に収録している。

ドクターの講演は早口で難解だが、これについてはよりよく理解するためのレファレンス・ブックを作成中である。ただしこれを完成させるにはドクターから送られてきた論文の翻訳が必要なので、当面は映像資料のみの提供になる。制作にはかなり時間がかかるので受注生産とお考え頂きたい。

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2014/03/06

成田山新勝寺

食事が終わるとドクターはホテルの外に歩いてゆく。また散歩?と思ったが、着いたのはホテルの裏手にある成田市役所の中庭だった。そこには石柱のモニュメントがあり、花崗岩のようだと伝えると、花崗岩には微量の放射性元素が含まれているのでホルミシス効果があると言っていた。

翌朝、<ステラ>でバイキング形式の朝食をすませると、また市役所の中庭に行って石柱をさわったり眺めたりしていた。その後、チェックアウトの手続きをすませたドクターは成田空港に向かうリムジンバスに荷物を運んだ。「See you again in any place in the world !!」という言葉とともに握手をかわしてバスに乗りこんだ。車内のドクターに手を振って見送ると、今回の旅が終わった実感がゆっくりと湧いてきた。

少し疲れもあったのでホテルの部屋でしばらくくつろぎ、荷物をまとめてAM11:00前にチェックアウトする。急いで帰ることもないと思ってJR成田駅に向かうと、成田山という旗が目に入った。「成田山ねぇ。。どこかで聞いたことあるかも。」いま考えると世俗に疎いにもほどがあると思うが、そのときの私にはまだピンと来ていなかった。

コインロッカーに荷物を預けてホテルでもらった地図を見ながら歩いていくと、だんだん様子が変わってくる。このあたりでようやく有名な名刹であることに気がついた。成田山に歩を進めるにつれて、ドクターを連れてきたかったという思いがこみ上げる。この日本的な風景にドクターは目を細めて喜んだに違いないが、今ごろは空港で搭乗手続きをしているころだろう。昨日半月が浮かんでいた南の空はみごとに晴れ上がっていた。

ともすれば人生は旅にたとえられる。それは必ずしも思惑どおりには進まないこと、また起こってしまったことはしかるべく受け入れる所以かもしれない。そして同じ旅は二度とない。ウクライナで政変が起こったのはドクターが帰国して三か月後のことだった。

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