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2014/01/27

深夜の散歩

食事を終えるとドクターはホテルの外に歩いてゆく。キエフ大学までは地下鉄もあるそうだが、ドクターは健康のために歩いて通勤しているという。また食後や就寝前には必ず散歩に行くそうである。

予約したときにはわからなかったが、私たちが宿泊したホテルのある国分町は仙台有数の歓楽街のようである。飲食店がひしめくように立ち並び、客引きや若い連中が夜中の通りにたむろしている。私としては会議の後に歩き疲れてホテルで休みたいところだが、ドクターを一人で歩かせるわけにもいかないので仕方なくついてゆく。ご老侯のおともをする格さんの心境である。

ドクターは疲れもみせず悠然と歩き続ける。まるで雑踏の喧騒さえ楽しんでいるような表情を浮かべていた。とりたてて会話をすることもなかったが、飲食店の窓越しに招き猫を見つけたりして笑っていた。

古代の哲学者も歩いて思索を深めたというが、ドクターも歩きながら面白いと思うものを見つけ出す点はその研究スタイルに反映されているのかもしれない。そこに他人の評価などは関係なく、自分自身が純粋におもしろいと感じたものを追究するからこそ独創的な研究ができるのだろう。

それと比較すると、日本人の研究も優秀だとは思うが、狭い世界で人目を気にしているせいか、どうも組織の中でこじんまりとまとまりすぎているように思われる。学校教育の弊害もあるのだろうが、ともすれば既成の枠をこわそうとする人間を排除しようとする傾向がある。歴史的にいえば信長や坂本竜馬をたたえる者もいるが、そういう人間を抹殺したのも日本人の民族性であることはわきまえておくべきだろう。

晩秋の夜風に吹かれて酔いも醒めたところでホテルに戻り、綿菓子が溶けるように眠りについたのだった。

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2014/01/16

負け戦

ようやくホテルにたどり着くと、地下街に降りて夕食をとることにした。昨日の寿司店はかなり高かったので、今回は創作料理屋に入った。まずはビールで乾杯し、タコと胡瓜のあえ物や天ぷらなどを注文する。

ここではドクターの研究関係者についていろいろと話をした。数年前にインドで開催されたICCFではIGCARのラニ・ジョージ博士がドクターの実験手順を参考にした元素転換の研究を公表している。

ドクターはその後何度かインドを訪れたそうだが、IGCARはかなりセキュリティーの厳しい研究所で、デジカメ等を預けないと入ることができないらしい。ドクターは何度か研究のアドバイスをしたそうだが、ジョージ博士とは音信が途絶えた状態になっているとのことである。

私はキエフ大学にドクターの研究を受け継ぐような人間はいないのかと尋ねたが、自分の研究は様々な分野の専門家の協力が不可欠なので、誰か一人がそれを成しうるわけではないという答えだった。また、私たち自身の研究を進めるための独自の学会が必要だとも伝えたところ、ドクターは伏し目がちにうなづいていた。しかしこの分野の研究状況と制約条件を考えると、いまの時点での実現は難しいように思われた。

私はふと弟との会話を思い出していた。酒を飲みながら話しているときに「うちの家系は負け戦ばかりしてきた」と弟は言った。離れて暮らしていても感じていることは同じだなと思い、「どうせ負け戦なら思いきりかぶくだけだ」と私は答えた。

今回の会議がどうこうではないが、大きな流れからみると私のやってきたことは負け戦だったのかもしれない。しかし、もはやそれでいいと考えている。思えばいつの時代にもそういう役割を担ってきた人間はいたものである。賢しらに勝ち組になろうとする人間が大勢を占めるなか、あえて勝ち目のない勝負に挑む者がいてもいいのではないだろうか。私は自分のしかるべき定めを覚悟しているつもりだ。

ビールばかりでは趣がないと思い、メニューから黒糖梅酒を頼んでみた。ドクターはその味に目を細めて喜んでいた。私たちは静かに杯を重ねて不思議な余韻に浸っていた。

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2014/01/06

会議終了

ドクターの講演が終了すると若干の休憩をはさんで質疑応答とディスカッションが行なわれた。またドクターの別の研究テーマでもあるバブル・キャビテーションによるX線発生装置についてもパワーポイントの上映が行なわれた。

さらにMRETアクティベーターで牛乳を活性化して比較するデモンストレーションも行なわれたが、その微妙な差異はわかる人とわからなかった人がいるようだった。最後に「MCTによる除染プロジェクト」について解説を終えたところでPM5:00を迎えたので、会議終了という形になった。

これまでフリタージュ・ブックスを日本全国、ときには海外まで頒布してきたが、注文して頂いた方と直接お会いしたことはほとんどなかった。しかし今回の会議で様々な方とお会いできたことは個人的にとても嬉しかった。残念ながら会議の進行上、お一人お一人と多くをお話しすることはできなかったが、それでも今回の会議のために遠方からお越しいただいた方々には感謝申し上げる次第である。

会議終了後にはT社の社長にベンツで中野栄駅まで送って頂いた。途中ホームセンターの横を通過したが、震災のときには津波が押し寄せて多くの人がそこで亡くなったという。ドクターにそのことを伝えると、うなずきながら窓の外を眺めていた。中野栄駅に着くと参加者の方と偶然再会し、仙台に向かう電車の中で東電関係の話をした。仙台に着くとその方はドクターと握手をして東京に帰っていった。

ホテルに帰るためにタクシーに乗ろうとすると、ドクターは近くだから歩いて帰ろうという。そこで駅前で少し写真を撮り、荷物をもって歩いていくが、なかなかホテルのある国分町が見えてこない。「このビルは見覚えがある」とドクターが言うので、もうそろそろかなと進んでも全くそれらしい場所に行きつかない。皆目見当がつかないのでタクシーに乗ろうというと、タクシーはいいから人に聞けという。いったい誰のせいでこんなことになってると言いたかったが、そういうときに限って英語が出てこない。仕方がないのでコンビニの店員に聞くと、大通りの向こう側をさらに入ったところらしい。歩き疲れてようやくホテルにたどり着いたころには7時をまわっていた。

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