深夜の散歩
食事を終えるとドクターはホテルの外に歩いてゆく。キエフ大学までは地下鉄もあるそうだが、ドクターは健康のために歩いて通勤しているという。また食後や就寝前には必ず散歩に行くそうである。
予約したときにはわからなかったが、私たちが宿泊したホテルのある国分町は仙台有数の歓楽街のようである。飲食店がひしめくように立ち並び、客引きや若い連中が夜中の通りにたむろしている。私としては会議の後に歩き疲れてホテルで休みたいところだが、ドクターを一人で歩かせるわけにもいかないので仕方なくついてゆく。ご老侯のおともをする格さんの心境である。
ドクターは疲れもみせず悠然と歩き続ける。まるで雑踏の喧騒さえ楽しんでいるような表情を浮かべていた。とりたてて会話をすることもなかったが、飲食店の窓越しに招き猫を見つけたりして笑っていた。
古代の哲学者も歩いて思索を深めたというが、ドクターも歩きながら面白いと思うものを見つけ出す点はその研究スタイルに反映されているのかもしれない。そこに他人の評価などは関係なく、自分自身が純粋におもしろいと感じたものを追究するからこそ独創的な研究ができるのだろう。
それと比較すると、日本人の研究も優秀だとは思うが、狭い世界で人目を気にしているせいか、どうも組織の中でこじんまりとまとまりすぎているように思われる。学校教育の弊害もあるのだろうが、ともすれば既成の枠をこわそうとする人間を排除しようとする傾向がある。歴史的にいえば信長や坂本竜馬をたたえる者もいるが、そういう人間を抹殺したのも日本人の民族性であることはわきまえておくべきだろう。
晩秋の夜風に吹かれて酔いも醒めたところでホテルに戻り、綿菓子が溶けるように眠りについたのだった。
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