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2013/12/27

第1講演と第2講演

フリタージュ会議は事前に準備していたプログラムに基づき、まずはドクターの研究者としてのプロフィールを紹介した。続いてT社の会長から挨拶があり、その後ヴィソツキー博士から参加者に対するメッセージが伝えられ、第1講演が開始された。

第1講演のタイトルは「活性培養菌における安定同位体と放射性廃棄物の元素転換」というもので、内容的には『生体系における同位体の元素転換と核融合』をほぼ踏襲したものである。ただ、最後の部分で論じられた理論はこれまでに公表されたものとは異なる内容だった。それもそのはずで、その理論に関する論文はつい最近イギリスの原子力専門誌に公表されたばかりだという。

帰国後ドクターからその論文が送付されたので現在調査中だが、それはシュレディンガー・ロバートソンの不確定関係に関連するものだという。その概念はほぼ失われていたものだが、ヴィソツキー博士はそれを非定常的量子系に適用するために再構築したということである。理論的に難解すぎておそらく出席者の誰も理解できなかったかもしれないが、ドクターの見解ではそれは量子的触媒作用の本質であり、コールド・フュージョンとも共通するメカニズムだということである。

1時間近くかかった第1講演のあと、しばらくの休憩をはさんで第2講演「MRETウォーターの異例な生物物理学的特性と医学的応用の可能性」がスタートした。

今回の会議に参加された方は、元素転換の研究に関心をもつ人とMRETウォーターの研究に関心をもつ人がいる。そこで会議用の特別資料として「MCTによる除染プロジェクト」と「MRETウォーターの概要」の二つを配布した。いずれも未公開の内容を含む資料である。

MRETウォーターについてはこれまでに小冊子『MRETウォーター』をリリースしているが、今回の講演は『活性水の応用生物物理学』に基づいており、はるかに専門的な内容である。この著作は現在各章にわけて翻訳を進めているが、何しろ300ページを超える分量なので完成にはまだ数年かかるだろう。そこで今回はドクターの講演を中断してもらい、これまでに判明している内容について解説を行なった。そのために第2講演は80分以上に延長された。

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2013/12/19

会議当日

11月9日の仙台は快晴だった。朝食をとるためにAM9:00にホテルのレストランのフロアで待ち合わせをしていたのだが、いつまでたってもドクターは現れない。仕方がないのでドクターの部屋を訪ねると、まだ眠っていたらしくあわてて身支度をしようとするので、先にレストランに行って待っていると伝えておいた。

レストランで朝食をすませるとAM10:00にホテルを出発し、タクシーで仙台駅に向かう。そこから仙石線に乗り、T社のある中野栄駅に着いたのだが、改札を出ようとすると切符がない。私にしては珍しいことだが、しばらく探しても見つからなかったのでおそらく電車の中で紛失したらしい。駅員さんに事情を話そうとするとずっと様子を見ていたらしく、「気をつけて下さい」といって通してもらえた。

駅前の通りをまっすぐ進んでT社をめざすが、15分近く歩いてもいっこうにそれらしい建物は見えてこない。T社のスタッフからは簡単に見つかるように聞いていたのだが、だんだん半信半疑になってくる。仕方がないのでドクターを外に待たせてauのショップに入って店員の方に道を尋ねた。かなり待たされて「聞くんじゃなかった」と思っていると、店員がアイパッドで地図を示して教えてくれた。意外とそこからすぐ近くの場所にT社が見つかった。

ようやくT社にたどり着いたのは正午前だったと思うが、ドクターをT社の方々に紹介すると挨拶もそこそこに昼食に誘われた。そこで社用車のベンツで近くのそば屋に向かい天ざるをごちそうになったのだが、ドクターいわくヌードルは常にホットで食べるという。ざるそばはちょっと抵抗があったようである。

再びT社に戻ると、すでに参加者の方々はせいぞろいしていた。そこで私たちも会議の準備を始めるが、撮影記録の方はT社の方にお願いすることにした。また私はドクターの通訳と研究内容の解説を担当するつもりだったが、その場で会議の司会進行もお願いされたので、同時にプログラムの内容を進めていくことになった。イメージしていたのと少し違うような違和感を感じつつも、フリタージュ会議は開催のときを迎えたのである。

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2013/12/14

仙台の夜

上野に戻るとコインロッカーから荷物を取り出し、中央改札に向かう。弟とはここで別れ、私たちは東北新幹線やまびこ212号に乗りこんだ。出発後ドクターはバッグからオレンジジュースの紙パックを2個取り出し、1個を私にくれた。どうやら立食バイキングのときにちゃっかりもらってきたらしい。代わりに私はカロリーメイト(メープル味)を上げた。初めてだったのか、ドクターは珍しそうに食べていた。

福島に近づくとドクターは「フクシマ?」と私に尋ねてきた。残念ながらすでに日は落ちて外の様子をうかがい知ることはできなかったが、車内の電光掲示板の「Fukushima」という表示をデジカメで撮影したりしていた。

仙台駅に着くとタクシーで昨日予約したホテルに向かう。フロントでチェックインを済ませて部屋に着くと、驚いたことに予約したツインではなくセミダブルの部屋だった。これはちょっと狭すぎるということで再びフロントに行き、シングルを新たに追加してもらった。

部屋に荷物を置いて夕食をとろうと10Fのレストランに行くと、そこは朝食しかやっていないという。仕方がないのでホテルの地下街にある飲食店を見て歩くが、ドクターは和食がいいというので高級すし店に入ることにした。そこで板前職人に適当に見繕ってもらうように頼んだ。

料理を待つ間にドクターに高濃度汚染水の処理について質問してみた。ストロンチウムについては以前にメールで質問したことがあったが、トリチウムの元素転換は可能かどうかと尋ねたところ、たしかにトリチウムは水素イオンの立体化学的類似物になるが、Cs+p→Baとはエネルギー収支も異なるだろうから、実験的に検証しないかぎり断定できないという答えだった。しかしもしCs+T→Baの反応が実現可能なら、生成したバリウムはベータ崩壊してランタン、セリウムへと転換し、放射能は二週間で消失することになる。これは今後検討する価値は十分あるものと思われる。

今から考えるとすし屋のカウンターでする話でもなかったかもしれないが、出されてきた寿司や鮭の塩焼き、天ぷらなどはかなり美味しかった。ドクターは天ぷらを食べたのは初めてだったようだが、「ベリーグッド」と喜んでいた。そこの板前はドクターの箸の使い方をしきりにほめていた。最初はリップサービスかなと思ったが、「日本の若い人より上手ですよ」と言っていたので満更でもなかったようである。出てきた料理は格別だったが、勘定もまた別格だった。キエフにもすし屋はあるそうだが、本場の寿司の味をドクターに味わってもらえたのは幸いだったと思う。

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2013/12/04

東京スカイツリー

静かな紅葉の道を歩いてゆくと、「つくばエキスポセンター」という科学館のような施設が見えてきた。宇宙の好きな私としては見学していきたいところだったが、あいにく開館していない様子で外からロケットの写真を撮影して筑波大学のキャンパスに入った。

Tsukuba 学会の開催中にはドクターは筑波大学のゲストハウスに宿泊していた。「小さな村のようだ」とドクターが言ったとおり、ゲストハウスは閑静な緑の中にあった。荷物をまとめて出てきたドクターは部屋の鍵を大学の事務局に返却し、私たちは筑波大学を後にした。

つくばエクスプレスで都心に向かう間は、2020年のオリンピックが東京に決まったことや、東京は2回目のオリンピックであることなどをドクターと話した。秋葉原から上野に着くと駅のホームに幼稚園児が並んで座っていて、ドクターは「マッシュルームのようだ」と言いながらデジカメで撮影していた。広島のときは赤いルミックスだったが、なぜか今回はメタリックグレーのルミックスだった。

上野の改札を出ると弟が待っていたのでドクターを紹介する。私の荷物を入れたコインロッカーにドクターの荷物を預けると、帰国するときに成田に向かう京成線の駅を確認した。筑波に行っている間に弟はスカイツリーシャトルを調べてくれたらしく、駅裏の坂を上って三人でスカイツリーに向かうバスに乗り込んだ。PM3:00頃だったが都心部はかなり渋滞していてスカイツリーに到着するまで1時間近くかかったように感じた。

ソラマチのエスカレーターを三人で登っていくが、どこで受付けをしているのかよくわからない。デパートで迷子になったような感覚である。4Fのテラスに出るとスカイツリーを足元から見上げることができたが、テレビで観た感じとは異なり、まさに「威容」と表現される存在感である。ドクターもしばらく空を見上げて圧倒されていたようだった。高さはエッフェル塔の2倍と知って、納得するようにうなづいていた。

弟が係員に尋ねたところ、いまから当日券を買っても展望台に登れるのは夕方の5時以降だという。予約をとることも考えてはいたのだが、筑波からスカイツリーに到着するまでの時間が読みきれなかったので予約はしなかった。実際、立食バイキングや筑波大学に立ち寄ったため、かなり到着が遅くなったのも事実である。都内に滞在するならまだしも、明日のフリタージュ会議のために今日中に仙台に向かわなくてはならない。しかも昨日予約したばかりのホテルの場所もよくわからない。

その時点でPM3:30頃だったが、5時まで待つのは時間的に難しいと判断し、そこで写真を撮影して帰ることにした。1Fのお土産コーナーでT社へのお土産を買い、再び上野に戻るバスに乗りこんだ。窓から差す都会の夕日がせつなく輝いていた。

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