« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013/11/21

エポカルでの再会

11月8日。朝方は少し冷えこんだが、よく晴れた天気だった。ドクターとは正午につくば駅で会う約束をしていた。少し早かったが9時過ぎに弟のアパートを出発して菊名から代々木をへて秋葉原に向かう。しかしまだ通勤時間の余波のせいか電車は満員状態で、早くも気持ちがくじけそうになる。だが一人旅ならともかくドクターとの約束を破るわけにはいかない。電車の乗り換えのたびに重い荷物をかついで駅の構内を移動するのはひと苦労だった。

秋葉原に着くと弟に荷物をまかせてつくばエクスプレスに乗った。都心部を少し離れるとのどかな田園風景が窓の外に広がっている。AM10:30を過ぎた頃に終点のつくば駅に到着した。

ドクターとは駅前にあるバスチケットセンターで待ち合わせしようという話だったが、早く着きすぎたためチケットセンターにはまだ来ていなかった。一体どこにいるのかわからないが、とりあえず学会の会場のつくばエポカル(国際会議場)まで歩いてみようと考えた。

Epocal 晩秋にしては日差しがまぶしく、サングラスをかけて紅葉の風景を撮影しながら歩いていくが、なかなかエポカルにたどり着かない。「このまままっすぐでいいのか?」と思いつつも進んでゆくと、スーツ姿の人物とすれちがう。サングラスを外して「ドクター?」と声をかけると驚いた様子で「Taka!」という返事が返ってきた。ヴィソツキー博士との4年ぶりの再会だった。

筑波の学会はちょうどこの日に終了したらしく、ドクターと一緒にエポカルの施設内を見てまわった。1Fのフロアーには一本の樹が生えていたが、ドクターいわくこの施設を建造したときに伐採せずにシンボル的に残したのではないかという。そして「スペシャルランチがある」というので何かと思えば、学会終了のレセプションとして立食バイキングが開かれるらしい。そこで学会に参加していない私もドクターと一緒にそのバイキングに参加することになった。

バイキングの会場には世界各国の研究者がいて、会場の半分は研究発表のポスタリゼーションが行なわれていた。これは時間がかかりそうだと思い、そこで昼食をとりながら上野に移動している弟に少し遅くなることをメールで伝えておいた。食事を終えると私たちは紅葉あふれる道を歩いて筑波大学に向かっていった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013/11/12

波乱の幕あけ

ともすれば人生は旅に例えられる。しかし私はあまり旅が好きではない。厳密にいえば旅が嫌いなのではなく、時間的に制約される移動がストレスなのである。特に今回は都心部に向かうということに気がめいっていた。雑踏のあふれる駅の構内を移動することを思うだけで憂鬱になる。

だが今回は来日するドクターを迎えに行き、仙台にあるT社でフリタージュ会議を開催しなければならない。一人ならともかくドクターを連れて道に迷うわけにはいかないので、旅程を入念にチェックし、各駅の構内図をプリントアウトするなど事前に準備してその出発に臨んだ。

11月7日、新幹線で岡山から新横浜に向かう。平日だが社内は満席状態だった。横浜には弟が住んでおり、ドクターと初めて会った横浜のICCFでも世話になった。今回初めて弟の住む菊名を訪ねたが、その風景に私は不思議な既視感を感じながら弟のアパートに向かった。奇妙なことだが、いつか見た夢の中の景色と微妙に重なるのである。弟の目に映った風景と私の夢に無意識レベルの関係があるのかどうかはわからないが、このことは特に印象的だった。

仙台に行くことについては弟が夏に帰省したときに話をしていた。そしてドクターを筑波に迎えに行ったあとに東京スカイツリーに一緒に行こうと伝えていたが、弟はあまり乗り気ではなく、「遠慮します」というメールが届いていた。私自身も都会の観光地などどうでもいいのだが、久しぶりに来日されたドクターに思い出の一つでも作ってもらいたいと思って提案したまでである。

その夜はスーパーで買ってきた寿司を食べ、ビールを飲みながら故郷の家族の話をした。ところがその最中にT社からメールが届き、明日宿泊する仙台のホテルが二泊で49000円という高額であることが判明した。そこで急きょそのホテルの予約をキャンセルし、私は携帯で、弟はスマホで明日泊まることのできる仙台駅周辺のホテルを検索した。いろいろと調べたあげく、何とか新しいホテルの宿泊予約をすることができた。だがそれは、波乱の幕あけに過ぎなかったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »