シンポジウム・オン・ファイトケミストリー
ガセロン・ファイルはP・バランジェの研究状況を記した貴重な資料である。しかしその翻訳にはかなり難渋している。その理由としては、まずJ・M・ガセロンのフランス語が明解なものではない点が上げられる。
英語もそうだが、どんな言語でもそれを使う人間によってかなりニュアンスの異なる表現になる。ちなみにケルヴランのフランス語もかなり難解であり、文法的にも正当なフランス語とは異なっている。これはおそらくケルヴランがブルターニュ地方の出身だからと思われる。ブルターニュ地方はケルト文明の影響を色濃く受けており、ブレトン語という地元の言語が残っている。したがってケルヴランにとってフランス語は異国語ともいえるのである。
バランジェの研究に話を戻すと、ガセロン・ファイルの記述から最近になってバランジェの新たな論文を発見することができた。それは1961年9月に香港大学で開催された植物化学シンポジウムで公表されたものである。このシンポジウムは香港大学創立50周年の記念行事の一つとして開催されたもので、そこにバランジェは3ページほどの論文を提示している。
その内容は『S&V』の記事と同様にソラマメの発芽実験について記したものだが、各元素の変動が%で表示されており、今後ガセロン・ファイルのデータと照合する必要があるだろう。
ちなみに<異端審問>ではG・バルビエがバランジェの講演を聴いたという記述があり、年代的にはこのシンポジウムに近いと思われるが、この講演集の中にバルビエの名前はないので、おそらく別の会合ではないかと推測される。
ガセロン・ファイルにはバランジェの「メモワール・ターミナル」、すなわち最終論文が収録されている。その翻訳が完成した暁にはケルヴランとの時代考証を踏まえて、その研究活動を再構成してみたいと考えている。
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