フリタージュ研究の大系
フリタージュ会議についてはいずれしかるべき時期に改めて報告したいと思うが、ここでフリタージュ研究の沿革を少し振り返ってみることにしたい。
フリタージュ・ブックスの流れとしては、これまでにケルヴランの翻訳書を制作し、ヴィソツキー博士との出会いを経てキエフ・グループの研究を知り、MRETウォーターや今回の新作の完成に至ったという経緯がある。
またフリタージュの狭義の概念は元素転換反応における核子クラスターの結合を意味しているが、広義には自然界における広域的な元素転換現象を示すものと考えてよいだろう。ちなみにそれが人工的な手法によるものである場合はコールド・フュージョン、また熱核融合や放射性壊変のケースは「原子転換」という形で区別しておきたい。
こうした現象に関する研究や観察例は歴史的にどのあたりまで遡ることができるものだろうか?哲学者プラトンが『ティマイオス』に記すところのアトランティスにはオリハルコンという金属が存在したという。また大プリニウスの『博物誌』によると、採掘後に閉山された鉱山跡を調べてみたところ、以前には存在しなかった鉱脈が生成していたという話があるらしい。
さらに中世には様々な錬金術の研究が行なわれ、ニュートンもかなりその研究に没頭したと伝えられている。思想的にはゲーテのメタモルフォーゼもフリタージュにかなり近い位相にあるものと思われる。
しかし検証可能な近代的研究としては、19世紀のフォン・ヘルツィーレあたりになるのかもしれない。またフランスのビベリアン博士によると、ラヴォアジエ以降の研究者としてシュレーダーやブラコノー、ランパディウスといった研究者がいたということである。
ともすれば私たちはケルヴランを中心に考えがちだが、歴史的にみると数多くのフリタージュ研究が存在し、またそこには実に多様な視点が存在することを忘れてはならないだろう。
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