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2010/07/30

The Eighth Edition

資料を送ったRicalからは短い感謝のメールが届いた。いずれ彼がその本質をつかもうとするとき、おのずと新しい疑問が湧いてくることだろう。そのときに議論を深められることを楽しみにしたいと思う。

Ricalとの交流は短いものだったが、それは私に一つの啓発をもたらした。資料や情報の点では私の方が彼をはるかに上まわっていたが、フリタージュ研究を歴史的文脈から捉えかえすという視点を再認識させられることになった。そしてそれを改訂中の『生物学的元素転換』にできる限り反映させようと思い至ったのである。

思えば日本人は、これまでケルヴランの元素転換説を否定するか肯定するかという短絡的視点しか持ちえなかったようである。最初に抱く関心はそれでもかまわないが、いつまでも同じ所を堂々めぐりしているようではいけない。『フリタージュの真実』はそのレベルを超越するための作品でもあった。

だが多くの人々はそこまでたどり着けないという現実を目にして、私は人間というものを深く諦めざるをえなかった。その諦めの下にひとり道を進む虚しさを感じていた。

どんな道でもそうだが、頂上から「登ってこい」と叫んでも誰も後にはついてこない。各人のレベルに合わせた登頂ルートの整備が必要である。私でいえばフリタージュ・ブックスがその役割を担っている。そこですでに完成しつつあった『生物学的元素転換』の内容をもう一度吟味し、ケルヴランを軸としつつもそれ以前の研究、そしてケルヴラン以降の研究者についても新しく書き下ろした内容を加えることにしたのである。

先日ようやく制作を依頼することができたのだが、9月には新版となる第8刷をリリースできると考えている。そしてそれはかつてない充実した内容をそなえたフリタージュの入門書となることだろう。

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2010/07/06

Rical et Frittage

前回<Rical>について述べたところ、ほどなくして本人からメールが届いた。

すでに「世界のフリタージュ」にリンクをアップしているが、彼は数年前からケルヴランと元素転換説について情報を整理したいと考えていたようだ。メールによるとその動機は、ネット上にあふれる情報には信憑性がなく、非常に疑わしいものが氾濫していたからだという。そして自分はこうした情報を正しく整理することによって人々に貢献したいと考えてはいるが、あくまで匿名の人間として活動し、不必要に自分自身をさらけ出したくはないと伝えてきた。

彼の動機と姿勢は私と全く共通するものである。私の場合フリタージュ・ブックスを頒布している関係上、まったく素性を明かさないというわけにはいかないが、重要なのは仕事の中身であり、それを通じて自己の存在をアピールすることではない。そのためこれまで発行した本の表紙には自分の名前は入れていない。

ちなみに自分の名前を会社名に入れている企業も多いが、創業者の自己顕示欲と支配性を示しているように思われるので、どうも私は好きになれない。世間にはそういうレベルの人間が多いということなのだろう。

話がそれたが、<Rical>のそうした意向を尊重して彼の素性は明かさないことにする。ケルヴランについて彼は1975年の著作に基づいて記述しており、有益な情報があれば知らせてほしいと伝えてきた。

同好の士という言葉があるが、同じことに関心をもつ人間に対して人は親近感を覚えるものである。しかし私はあえて厳しい姿勢で<Rical>に次のように伝えた。たった1冊の本に基づいてケルヴランについて語るのは十分ではない。もし本当に真剣にこの問題を追及する気があるのなら、いくつか資料を送ってもよいと。

その後しばらく<Rical>からの連絡は途絶えていた。彼が他人のサイトをのぞき見てネタにしたり、ネット情報を寄せあつめて空事をのたまうような人間なら付き合うつもりはないので、そのままにしておいた。

しかし先日彼は改めてメールを送ってきた。そして私が送付する資料を自分の「次の本」の作成に反映させたいと申し出てきたので、資料を送る約束をした。

フリタージュ研究は厳しい道である。孤独な努力を続けても誰にも評価されないことは覚悟しなければならない。そして<Rical>がどこまで真剣に追従してくるのかはわからない。しかし現代のフランスにおいて彼がしかるべき役割を果たしてくれることを陰ながら期待している。

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