フリタージュの旅 (6)
広島滞在の最終日、私たちは再びI社に赴き、先日の講演内容に関する協議を行なった。その後は平和公園、宮島に続く観光として広島城を訪れた。
ヴィソツキー博士は原爆による広島城の被害を尋ねていたが、天守閣の部分が再建されたそうである。広島城は広い堀に囲まれた造りになっていて、天守閣からは昨日訪れた原爆ドームがかいま見えた。城内でピクニックをする小学生たちを眺めて博士は目を細めていた。
その後広島市内で昼食をすませた私たちは岩国市の錦帯橋へ向かった。高速に乗ると昨日訪れた宮島が見えてきたので指さすと、博士は静かにうなづいていた。
いくつかのトンネルを抜けて1時間近く走ると錦帯橋に到着した。テレビで見たことはあるが、実際に渡ってみるとかなり高く大きな橋だった。錦帯橋の向こう側にはいくつかの庭園施設があり、噴水が静かに吹き上がっていた。私たちは山頂の岩国城へと登るロープウェイに乗り込んだ。
岩国城は広島城よりもコンパクトな造りだが端正な美しさをそなえている。内部にはいくつかの日本刀が展示されていたので、私はヴィソツキー博士にこれらの日本刀はダマスカス鋼と同じ製法で作られていると説明した。博士はダマスカス鋼は知っているといってうなづいていた。岩国城から眺める景色はおだやかで、もう少し紅葉が色づくころには綺麗になるだろうと思われた。
ロープウェイで山頂から降りると吉香公園を巡ったが、なぜかやたらに猫の多いところだった。ヴィソツキー博士は木の上の猫を撮影していたが、自宅でも猫を飼っているといっていた。
夕暮れも近づき、私たちは再び高速に乗って広島市内のI社に戻った。そして今後の技術提携に関する協議が行なわれたが、タシレフ博士のRMMについてはヴィソツキー博士が仲介役を担うことを了承してくれた。
その後ホテルに戻った私たちは最後の夕食をともにした。博士と乾杯を交わしながら、今回の講演を振り返って第一段階のプレゼンテーションとしてはまず成功だったのではないかと感じていた。博士はホテルのすき焼き定食を気に入ったらしく、私が発音した「SUKIYAKI」という言葉を繰り返していた。
次の日の早朝には博士は広島空港に出立しなくてはならなかったので、フロントにモーニングコールを依頼した。私はチェックアウトまでゆっくりして帰る予定にしていた。
ホテルの自室の前で「Thank you for your cooperation」と今回の別れを切り出すと、博士は「Thank you for your translation」と言って、また地上のどこかで会おうと約束した。
翌朝、晴天の広島を後にした私は新幹線の窓から流れる景色を眺めていた。4年前に横浜で会ったときにはもう再び会うことはないと思っていたが、今回の旅を通じてお互いの人間性も理解しあえたことに静かな喜びを感じていた。そしていつかまた会えるという不思議な確信が浮かんでくるのを感じていたのである。
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