フリタージュの旅 (1)
9月21日、私は福岡へと向かう新幹線の中にいた。
以前からヴィソツキー博士らの来日の調整と会合の準備を進めていたが、当初から波乱含みの幕開けだった。ともに来日を予定していたタシレフ博士から18日に連絡が入り、インフルエンザにかかった模様だという。
明日医師の診察を受けた後に改めて連絡するとのことだったが、状況がつかめないのでヴィソツキー博士にタシレフ博士の容体について連絡をしてもらうように依頼しておいた。
その後容体は一時持ち直したとの連絡が入ったが、やはり来日は難しいらしい。私はタシレフ博士が持参するはずだった資料をヴィソツキー博士に持ってきてもらうようにと改めて連絡を取った。
I社からヴィソツキー博士には成田から福岡空港に向かってもらうという連絡が届いていた。そこで私は博士を迎えに行くために福岡へと向かったのである。
福岡駅から地下鉄で空港に向かい、第1ターミナルでI社の山口氏とおち会った。その後ほどなくして国内便が到着し、ヴィソツキー博士と4年ぶりの握手を交わすことができた。
少し曇りがちな福岡の空を見上げながら、私たちはタクシーで博多駅へと向かった。
今回博士の来日を要請したI社は広島にある。私たちは新幹線で広島へと向かった。ヴィソツキー博士は珍しいものを撮影することが好きらしく、持参した赤いLUMIXで撮影していたことが印象的だった。
I社の配慮で来日初日は長旅の疲れもあるためスケジュールはなく、私たちは広島市内で少し早い夕食をとることにした。ホテル近くの「すし亭」という店だったが、博士は和食には全く抵抗がなく上手に箸を使って寿司を食べていた。ICCFの会議でこれまでに4回来日されているのだから無理はないかもしれない。
夕食を終えて店の外で車を待つ間に「Sushi-tei」のSushiは分かるがteiは何だと尋ねられて答えに苦労した。
この日はそのままホテルにチェックインして旅の疲れを癒すことになった。下の写真は翌朝チェックアウトを待つヴィソツキー博士である。
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