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2009/06/25

MCTからBNPTへ

最近になって少し興味深い動きが出てきている。それは前回報告したヴィソツキー博士のMCTに関する研究とも関連するものである。

実はその動きは5月上旬から始まっていた。フリタージュ・ブックスを通じてキエフ・グループの研究に関心を抱いた日本のある会社が私にコンタクトを取ってきたのである。
クライアントの情報を保護する必要性があるので、その詳細についてはまだ公表することはできないが、彼らの依頼を受けて私はヴィソツキー博士と連絡を取ってきた。

そのような流れの中で、キエフ・グループはすでにMCTを応用した様々な技術を実用化していることを把握することができた。
たとえば有機廃棄物や工業廃水の浄化処理や放射性核種の処理について、すでに実験段階ではなく実用的な成果を得ていると彼らは報告してきた。またその処理対象は放射性元素のみならず、水銀やクロム酸塩、アニリンやフェノールといった有機化合物まで含まれるという。

彼らはそのようなMCTを基盤とする技術をBNPT(生物触媒浄化処理技術)と名づけている。そしてキエフ、ボルゴグラード、リベズノといった各都市で成果を上げているという。たとえばキエフ市の工場排水に含まれるクロム酸塩の初期濃度は20~150ppmだったが、彼らの製造したBNPTプラントの処理によって0.001ppm以下にまで低減したと述べている。

私に連絡を取ってきたクライアントはこのBNPTプラントの処理性能に関心をもっており、その詳細については現在ヴィソツキー博士と連絡を取りながら協議を進めている。おそらくはキエフか日本のいずれかで直接会談を行なうことになるだろう。

BNPT/MCTプラントの性能およびその導入に関してはまだ協議を重ねていく必要があり、現実に日本国内に導入されるかどうかはまだ確定できる段階ではない。しかし彼らの研究がすでに実用的レベルとして国際的に容認される可能性はかなり高まっているといえるだろう。

はたして「預言の使者たち」がこの時代にいかなる奇跡を示してくれるのか、その動向に注目しつつ、私自身もしかるべき役割を果たしていきたいと考えている。

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2009/06/12

服従することなき世界

最近の「インフィニット・エナジー」第85号にキエフ・グループの新しい元素転換実験が公表されている。この論文は2008年にアメリカ化学協会に報告されたものらしい。
そのタイトルは「生体細胞における安定同位体の元素転換とセシウム137の放射能減衰に関する実験報告」というものである。

この論文の前半部に引用されている鉄同位体の元素転換実験と微生物触媒転換体(MCT)による共生化作用については「フリタージュの真実」にも収録されているので、これについてあえて付け加えるコメントはない。
しかしその後半部のセシウム137を使用した放射能減衰実験はなかなか興味深いものである。

実験手順自体はこれまでのものとほとんど変わるものではないが、この研究は強力な放射能をもつセシウム137を使用していることと、MCTと培養基にいくつかのアルカリ塩を添加して比較しているところに妙味がある。すなわちMCTとセシウム137を含む培養基に塩化カリウム・炭酸カルシウム・塩化ナトリウム・硫酸鉄・硫酸マグネシウム・燐を個別に加え、それぞれのサンプルの放射能減衰率を詳細に調べているのである。

Jun12399 その結果、炭酸カルシウムを加えたサンプルの減衰率が最も高く、驚くべきことに通常のセシウムの放射壊変の35倍のスピードで放射能が減少したという。また塩化カリウムを加えたサンプルは最も減衰率が低かったが、それでも通常の放射壊変の3倍の減衰率だったとのことである。

これらのアルカリ塩の添加によってなぜセシウムの放射能の減衰率が変化したかについてだが、彼らによるとそれはアルカリ塩に含まれる元素のイオン半径が大きなファクターとして考えられるという。

セシウムの放射能減衰には Cs137+p1=Ba138+△E という反応式が想定されるが、バリウムのイオン半径は1.4Åでカリウムのイオン半径1.33Åに近い。このため、塩化カリウムを加えたサンプルの減衰率は伸びなかったということらしい。

その見解が正しいとすると、MCTを構成する微生物は培養基の成分に含まれる元素のイオン半径を識別して反応を起こしているといえるだろう。そしてここで銘記しておくべきことは、彼らはもはや元素転換が存在するか否かを確認するレベルではなく、その転換効率を追究する段階に入っているということである。

MCTの共生化作用については「フリタージュの真実」を参照して頂きたいが、基本的にそのメカニズムは共生コロニーを構成する微生物が温度やpHの変化に対応する形で最適な反応を生み出していくというものである。いうなれば路面の状況に応じて自動的にシフトチェンジする変速ギアのようなものと考えれば理解しやすいだろう。
そこでは個々の微生物が自分の本領を発揮することによって全体的な調和をもたらすという理想的な共生関係が培われている。

これに対して人間の世界はどうだろうか。自らのエゴと欲望にとらわれ、支配と服従の関係から逃れられず、世間の常識や会社の方針といった抑圧の中で自分自身を表現することがほとんど不可能な社会になっている。

共生化作用による全体的調和とは、個人を犠牲にして達成されるような全体主義とは異なるものである。
私たちが本当の意味で自分を生きるとき、そこには無意識的に全体的調和をもたらす影響が生じる。そのとき個は全体になり、全体は一つになる。

私たちが彼らの研究から学ぶべきことは、もはやフリタージュ反応に関するものばかりではない。
何ものにも支配されず、何ものにも服従しない。そして個を尊重することが全体の調和につながるという世界を、そこに目指していかなければならないのである。

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2009/06/05

最終の地平

現在絶版になっている『微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明』を再制作するにあたって全体的な校正を進めているが、それと同時にその著作の中で引用されているG・シューベルの論文の翻訳も進めている。
この論文は『フリタージュの真実』にも少し引用した「巨大隕石の衝撃によって引き起こされる反応について」というものだが、70ページ以上にも及ぶ膨大な研究論文である。その冒頭でG・シューベルはなかなか興味深い事実を明らかにしているので、少し引用してみたい。

「1952年、私は『モロッコ地質調査局紀要』に原子核パリンジェネシスによって花崗岩質マグマが形成されるという仮説に関する最初の論文を公表した。しかしその論文の公表後、科学界から全く反響を得ることはなかったので、私たちはこの大きな問題に関する研究を中断していた。事実1950年代においては、この先進的な仮説の証拠を見出すことはできなかったし、またその岩石学における推論も読者を納得させるのに十分なものとはいえなかった。」

「私たちがその研究を再会したのはA.S.G.A.(アフリカ地質学調査協会)の事務局長であるJ・ロンバールの要請を受けた1965年のことである。彼は私たちにアフリカの花崗岩研究をテーマとするユネスコの国際会議に参加するように勧めてくれた。」

「この時期にC・L・ケルヴランは生物学における微量エネルギー元素転換の仮説を公表しており、すでにいくつかの著作を出版していた。そしてJ・ロンバールは彼の研究に深い関心を抱いていた。C・L・ケルヴランの観察例と推論は新たな展望を切り開くものであり、それは私たちの仮説である「原子核パリンジェネシス」に役立つものと思われたのである。」

「ユネスコの第一回の会議はアフリカで行なわれ、第二回はブラジルで開催されたが、そこにおいて私たちは花崗岩化作用に関する仮説を展開し、専門家である聴衆に広く伝えることができた。残念ながらこのユネスコの企画は、フィンランドにおける第三回の会議を組織するはずだったブラディ・マルモの逝去によって中断されざるをえなかったのである。」

その後G・シューベルは、モスクワで開催された地球化学国際会議でも原子核パリンジェネシス仮説について講演を行ない、同時にケルヴランの研究についてもロシアの科学者たちに伝えている。
そしてネイマンやコロルコフといったロシアの科学者たちはケルヴランの元素転換説に共鳴し、現代のキエフ・グループやアスタフィーバなどの研究に続く大きな流脈を形成したといえるだろう。

そのような意味でG・シューベルの果たした役割は大きなものがあるが、当時のフランスを代表する地質学者としての活動全体はまだ明確にはわかっていない。
たとえばネイマンとともに地球膨張論の学会の創設になぜ彼が関わったのか、その理由は謎のままである。
おそらくフリタージュと原子核パリンジェネシスがその鍵となると思われるが、シューベルが最終的に目指していたものを理解するのはもう少し先のことになると思われる。

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