核実験の蜃気楼
フランスといえば様々なブランド品を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、そのブランド製品の原材料がどこで生産され、どんな人々が過酷な労働を強いられているかを知る人は少ない。
もちろんそのようなブランド品にうつつを抜かすことが悪いとはいわない。だが、事実に眼をそむけて都合のよい所だけを受け入れようとする人は、いかなるブランド品を身につけても貧相に見えるものである。
かつてフランスの植民地とされていたアルジェリアの話題を耳にするようになって、そんなことを思うようになった自分がいる。
「いのちの戦場-アルジェリア1959」というアルジェリア独立戦争の内実を描いた映画も最近公開された。
またフランスがアルジェリアで行なってきた核実験の被爆者に対する補償もようやく本格的に始まったようである。
どんな人にも思い出したくない記憶があるように、それぞれの国の歴史においても語られざる史実が存在する。
フランスにおいてアルジェリアは、アメリカにおけるベトナム戦争、日本では沖縄のような存在といえるだろう。
このアルジェリアはケルヴランがかつてサハラ砂漠の労働実態を視察に赴いた土地でもあった。またG・シューベルが地質学における微量エネルギー元素転換の一例としてあげたのもアルジェリアにおける地下核爆発実験だった。
アルジェリアは民族解放戦線による独立を果たした後も実質的にはフランスによって経済的に搾取され、イン・エケルの花崗岩質の山脈で核実験が繰り返し行なわれたのである。皮肉なことではあるが、フランスによるこのような植民地政策がとられていなければ、ケルヴランがサハラ砂漠に赴くこともなかっただろうし、G・シューベルが核実験による地質学的データを得ることもなかっただろう。その意味ではフリタージュ研究の歴史的犠牲としてアルジェリアをとらえることもできる。
当時の核実験の詳細なデータはまだその多くが公開されていないと思われるが、フランスが過去の過ちを認めるとともにそのような資料を今後公開する方向に動けば、かつてG・シューベルが示唆したような岩石成分の相対的変動を傍証する新たな資料が得られるかもしれない。
現在のイン・エケルはもはや荒廃した実験場に放射能を帯びた砂塵が舞うだけではあるが、ケルヴランとシューベルがそこに見たフリタージュとは現実に起こったのだろうか。 それとも砂漠の蜃気楼だったのだろうか?
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント