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2009/02/24

オルタナティブの時代

E・アスタフィーバの著作を翻訳しているが、1975年のケルヴランの著作に収録されているO・コスタ・ド・ボーリガーの「ファイナルノート」から引用した記述が見られる。
ボーリガーに関しては『フリタージュの真実』でも若干触れたが、かなり早い段階でケルヴランの元素転換説と接する機会があったようだ。彼はC.N.R.S.に所属する研究者であり、波動力学のド・ブロイの研究室でベルの定理などの量子力学的問題に専心していたという。

ケルヴランの75年の著作は312ページに及ぶ大著なので断片的にしか翻訳していない。ファイルを調べると、この「ファイナルノート」も少しだけ序文を翻訳しているが、アスタフィーバはボーリガーの記述を要約して引用しているので、もう少しボーリガーの序文を訳さないと正確な解読はできない。なかなか難渋する代物である。

ちなみに桜沢が翻訳した『自然の中の原子転換』の13ページには「コント・ド・ブロイーは次のような手紙を私に書いて来た。」とあり、フリタージュ反応に意見を寄せているという記述があるが、これはド・ブロイではなくボーリガーのことである。

原書の11ページには「C.de B.」という名前の略称だけが記されているが、これを桜沢はド・ブロイと勘違いしている。ド・ブロイの名前はルイ・ド・ブロイなのだが、ド・ブロイ卿という意味合いで「コント・ド・ブロイー」としたのだろう。この「C.de.B.」とは当然コスタ・ド・ボーリガーの略である。

ケルヴランの著作にはこのような記述が多い。どうでもいいようなことはくどいほど繰り返すのだが、肝心なことは書かれてなかったり、このように不必要な省略が多々ある。しかし桜沢が翻訳した時代なら不明確なことは本人に確認できたはずだが、それをしていないということは桜沢の薄っぺらな人間性をよく表しているといえるだろう。

知っている方も多いだろうが、ロシアにも常温核融合の研究者が数多く存在する。しかも他の国には例を見ないユニークな研究も数多くある。おそらくは西欧科学の一般的な原子観とは異なる元素観をもっているのかもしれない。

逆にいえば、私たち日本人はこれまで西欧的価値観や世界観を無条件に押しつけられてきたのである。それが現在の憂うべき状況をまねいているといっても過言ではないだろう。
これからの時代は自立の時代である。これまでの世界観や思考回路では乗り切れなくなるだろう。あらゆる局面においてオルタナティブなものが台頭してくるかわりに、古いものにしがみついている者はすべからく淘汰されてゆく。それが時代の必然である。

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2009/02/16

頂点で会おう

ヘルムートから私の送った『フリタージュの真実』が届いたというメールがあった。
彼の英語は少し癖のあるものだが、私の著作がケルヴランの元素転換説に関する最も包括的なものであることを認め、その熱意に敬意を表するといった賛辞を送ってくれた。
また彼はさっそく自分のサイトにその紹介ページを作成してくれた。ちなみにこの目次とクロニクルは私が英訳して彼に送ったものをそのまま使用している(若干転記ミスはあるが)。
http://www.lasarcyk.de/kervran/frittage_en.htm

ヘルムートはすでに十年以上前にミシェル・アベーセラによるケルヴランの著作のダイジェスト版をドイツ語に翻訳している。しかし著作権の関係でそれをドイツ国内で出版することはできなかったという。
そこで私は自分の著作である『フリタージュの真実』をドイツ語に翻訳してはどうかと提案してみた。
ヘルムートは日本語からの翻訳に難色を示したので、私はもし本当に私の著作を理解し、それを翻訳する気があるのなら、英語に翻訳したファイルを送ってもよいと伝えた。ヘルムートはそれでも英語への翻訳にはネイティブスピーカーの協力が望ましいだろうと伝えてきた。

私は、仮にネイティブスピーカーの協力が得られたとしても、その人間がフリタージュに関して全く無知であれば適切な翻訳をすることは不可能だろうときり返した。むしろケルヴランの元素転換説に精通しているわれわれが翻訳する方が、より正確な文章表現をすることができるはずである。ネイティブスピーカーに協力を求めることはその後でも遅くはない。

このようなやりとりを経て、ヘルムートは『フリタージュの真実』をドイツ語に翻訳することを承諾したのである。
私は英語に翻訳したファイルを彼に送り、彼はそれをドイツ語に翻訳して私に送信する。それをお互いにチェックしながら次のファイルの作業に移るという手順で進めることに彼は合意した。

こうして私たちは、同じ山の頂上を目指して別々のルートを進むことを決意したのである。
これまでに私はケルヴランの著作を英語やフランス語から日本語に翻訳してきた。しかし今度は自分の著作を英語に翻訳しなくてはならない。内容が特殊な専門性をもつものでもあり、これは今まで以上の困難な仕事になるだろう。
一方ヘルムートの方は、この仕事の困難性をまだ十分に理解しているとはいえない。その意味で、私たちが無事に頂上で再会できるか否かは神のみぞ知るところである。

それは長く厳しい道のりになるだろうが、私は歩み続けるだろう。この頂点を極めるとき、それは全世界に向けて『フリタージュの真実』を発信できる日になるのだから。

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2009/02/09

ミラー・シンメトリーとフリタージュ

ドイツから小さな封筒が届いた。ヘルムートが約束の本を送ってきたのである。
この本はE・アスタフィーバという物理学者の「元素の周期性と原子構造における鏡像対称性」と題する本である。予想していたものよりわりと小さな100ページ余りの小冊子で、高校の単元別参考書のような印象を受ける。しかし2008年に発行された新しいものらしい。

この本は4章構成になっていて、その第4章に「微量エネルギー元素転換の理論的根拠」というタイトルが記されている。残念ながらこの著作はロシア語だけであり、ヴィソツキー博士の本のように英訳版は付いていない。

私はドイツ語やフランス語は大学で学んだが、ロシア語は教わっていない。しかしキエフ・グループのMCTの特許資料などはアブストラクトを除いて全てロシア語であり、少しずつ独学でロシア語を学習している。
ロシア語は英語やフランス語とは全く異なる文法体系をもっている。BE動詞や現在進行形が存在しないかわりに、生格・体格・与格といった独自の格変化がある。
このアスタフィーバの著作の第4章もなかなか難しいロシア語だが、わずかながら翻訳してみたので少し引用してみたい。

「微量エネルギー元素転換の理論的根拠」
--周知のように原子転換は、原子核および核子の相互作用をもたらす反応プロセスを生じるものである。
現代科学の見解ではこの方法が唯一のものとして提示されているが、自然界には核エネルギーの関与しない原子転換の存在する領域があるという情報がときにもたらされることがある。
数多くの研究者たちは化学・物理学・生物学・地質学・土壌学等の様々な分野における実験的データに基づいて、化学反応と原子核反応の中間的な領域に属すると思われる非常に奇妙な現象に関する見解を述べているが、そこには一般的に容認されている理論的認識とは矛盾するその実現性も含まれているのである。--

このあとに「ルイ・ケルヴランの研究」と題してその代表的なケースが引用されているが、1967年にフランス農学アカデミーに公表されたラット実験におけるカルシウムの増加率などが非常に正確に引用されている。

これまでケルヴランをその著作に引用している日本人の場合、ほとんどその内容は不正確か部分的な理解にとどまるものであり、そこに得られるものは何もない。ケルヴランを日本に紹介した桜沢もそうだが、彼らはケルヴランのことなど一般の人は何も知らないから、少々作り話をしてもバレないだろうと考えている。

しかし私が読めば、彼らが何を知っていて何を知らないか、あるいは捏造しているかがよくわかる。そのような人々は結局ケルヴランをネタにして自分の考えを正当化したいだけなのである。まるでテレビを見ている人間を馬鹿にしている芸人のように歪んだ自己顕示欲の現れに過ぎない。

ヘルムートからの情報だったので正直私はこの本もその手の類いだろうと考えていた。しかしこのアスタフィーバの著作を少し翻訳してみて、なかなか精度の高い情報をよく調べていることに感心している。参考文献にはケルヴランの73年の著作にも出てくるネイマンやコロルコフの名前もあり、キエフ・グループのMCTの特許番号も記されている。

アスタフィーバのいうところの「鏡像対称性」がいかなるものかはまだ分からないが、この本はロシア語を苦労しながら翻訳するだけの価値はあるのかもしれない。今後新しい発見があることを楽しみにしたいところである。

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2009/02/02

フリタージュの世界観

「微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明」が残り1冊となった。
すでにオンデマンド版に向けてファイル化を進めてはいるが、この最後の1冊が完売したあとは販売休止とする予定である。

ファイル自体はグラフ等を整えれば一応完成する。しかし今ひとつしっくりこないのである。
それに同じものを同じように作るのは私の美学に反する。新しい形に作り直すのであれば、内容的にも改良を加えるのが私にとって当然のことである。

世間では同じようなネタを焼き直して似たような本を次々と出版する人間が多い。おそらく印税収入に味をしめてのことだろうが、そのような無節操な人間の本を私は読みたいとは思わない。そしてメディアもそのような人間を番組のコメンテーターとして起用したりしているが、視聴率を上げたいという番組制作者の思惑とネームバリューを高めたいというそのような人間の意図が見事に結託した構図である。

この社会は欲望の回路がつながって形成されている。そしてそこに絡み合った欲望のエネルギーがうねりながら流れている。社会も、会社も、そして家族でさえそのようなエネルギーのうねりに流されているのかもしれない。

話がずれたが「微量エネルギー元素転換」はケルヴランの著作としても特殊な内容である。地質学における元素転換反応を現在専門的に研究している人間はいないが、ケルヴラン自身はフリタージュの重要な要素として生物学的元素転換と同等に考えていた。それがG・シューベルとの共同実験にもつながったのである。

専門的な内容のため「生物学的元素転換」ほど販売部数は伸びないが、それでもフリタージュのもう一つの世界観を示す重要な著作だと私は考えている。そしてこの著作を出版して以降、いくつかの貴重な資料も入手することができた。その中でも特にG・シューベル自身の論考は注目すべき内容だといえる。

この著作にはG・シューベルの論文からケルヴランが引用しているところも数多い。しかしながらケルヴランの引用だけでは理解しにくい部分も多かった。G・シューベルの論考から直接その見解を知ることができるようになったことは意義深いことである。

「生物学的元素転換」と比較して、この著作の内容には様々な資料と連動している文脈があり、おそろしく編集しにくい。しかしG・シューベルの論文に掲載されている資料などを今後盛りこんでいきたいと考えている。

もしかするとそれは、ますますこの著作を難解なものにする作業かもしれない。しかし誰にでもわかりやすい著作というものが良書とは限らない。私としてはフリタージュの世界観を示す著作としての完成度を高めるために必要な作業を行なっていくまでである。

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