語られざる汚名
最近の調査で判明したことだが、フランスにはまだレマール・ブーシェ法を支持する団体がわずかながら存在しているらしい。Fonds groupe Lemaire という団体が去年の年次報告書を掲載しているのを発見した。
「フリタージュの真実」をお読みになった方はおわかりだろうが、1960年代初期にフランス最初の有機農法として興隆したレマール・ブーシェ法は、ケルヴランの元素転換説を理論的な支柱としてカルマゴルの製造・販売を行ない、当時の化学肥料や農薬を使用する慣行農法と鋭く対立した経緯がある。
しかしその後、レマール・ブーシェ法の活動は数奇な運命をたどった。
J・ブーシェとともにフランス生物学的農法協会を設立したR・タヴェラ、A・ルイスはその後離反し、独自の団体ナチュエ・プログレ(N&P)を設立した。この団体はいまでも独自の活動を続けている。
また1972年に創始者の一人であるラオル・レマールが急逝したあと、S.V.B.レマールを受け継いだ息子のJ・P・レマールは農法技術をめぐってブーシェと対立し、独自の路線を歩みだすことになる。
団体の機関誌"Agriculture & Vie"は継続して発行されていたが、農機具の販売広告や牧畜業への参入など、当初のレマール・ブーシェ法の理念とはかけ離れた印象を与えるものとなっていった。
70年代後期以降のその活動についてはほとんど資料や出版物も見当たらないので、次第に衰退していったものと考えられる。レマール・ブーシェ法以外の有機農法がBIOとして台頭する時代とも重なっている。
だが、今回発見された年次報告書で特徴的なのは、過去の活動の歴史を総括する記事の中にケルヴランの名前はおろか、元素転換説に関する記述が一度も出てこないことである。
カルマゴルはどうやら現在も主要な素材として利用されているようだが、もはやそれは「元素転換の活性剤」とは位置づけられていない。現在のレマール・ブーシェ法の団体は、かつてともに闘った錬金術師の存在をその歴史から抹消しようとしているのである。
レマール・ブーシェ法がI.N.R.A.によって攻撃された要因に元素転換説の非科学性があった。しかしケルヴランは彼らの活動を擁護するためにあえてその矢面に立った部分もあるのである。まさかその歴史的総括の中で、その存在すら抹消されようとは思わなかっただろう。彼らにとって錬金術師の名はまさに語られざる汚名なのである。
人間とは自分の都合でそのように他人を利用するような存在なのかもしれない。しかし、そのような人々が耕した農地の未来に果たして大地の豊穣がおとずれるものだろうか?
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