彼方に燃える炎
「フリタージュの真実」を上梓したあと、私はレオン・ゲゲンに2冊の完成本を送った。フランス農学アカデミーにも寄贈してもらいたいというのが彼の意向であったが、表紙の写真の許諾について終身幹事に連絡を取るという言葉を最後に音信は途絶えている。
だが、その後も彼はいくつかの雑誌などに生物学的農法と元素転換説、そして私との長い議論について寄稿していたようである。よほど私との交流が印象に残っていたと思われる。
http://www.la-cuisine-collective.fr/dossier/cerin/print.asp?id=120
「フリタージュの真実」に収録されている「式部官の回想」を読まれた方ならおわかりになると思うが、私とゲゲンとの議論はときに激しい論争の様相を呈するものとなった。本に掲載されている内容は、その中から読者の理解に資すると思われるものだけを抽出している。
ゲゲンと約束していた本を送付したとき、彼はそれに対して礼を述べるとともに「これまでの議論を通じてのあなたの結論を示してもらいたい。」と切り出してきた。私の見解は基本的にノエルアンに近いものがあるが、最終的には読者に判断を委ねるものであり、本書において私個人の結論を読者に押し付けるつもりはないと答えておいた。
ゲゲンはあまり得心のいく様子ではなかったが、それが彼の文章における「蒙昧主義」との表現へとつながったのかもしれない。今はなき錬金術師と切り結んだ男は三十余年の恩讐を経てなお不屈の闘志を失っていないようである。
それはあたかも、このフリタージュを包む闇の彼方に浮かぶ炎のように思われる。そこには科学的世界観を守る砦があり、異端者を決して近づけようとはしない。
炎を知る私はあえてそこに近づこうとは思わない。それによって照らされる存在もあれば、焼き尽くされたものも数知れないことを暗黙のうちに理解しているからである。
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