« <司るもの> | トップページ | 花崗岩のメタモルフォーゼ »

2008/09/11

エネルギーと次元

生体内で核反応が生じるという生物学的元素転換について否定的見解をもつ人は数多い。その大半の人は原子核物理学の知識を拠り所にしている。

私たちは高校や大学の授業、また巷の科学雑誌によって核反応には莫大なエネルギーが必要なことを教えられている。事実、そのような核反応のエネルギー理論に基づいてシンクロトロンなどの研究施設も建造されている。
したがって原子核レベルの反応には必ず高エネルギーが必要であるという固定観念が形成されている。
もちろんそれは誤りではないだろう。しかし、受験勉強のために学校で教えこまれたことに対して全く疑問を抱かないのは不思議な感じがする。

その一つに「エネルギー」という概念がある。
私たちは様々な形態のエネルギーを「知っている」。電気や磁気、重力、弱い核力、強い核力など、言葉の上では。
だが変換の効率は別としても、それらを一律に同じ「エネルギー」という言葉で一括りにできるのだろうか?

たとえば重力は(ヒッグス粒子がそれを担っているといわれているが)物質に固有のものであり、空間的に異方性もなく、基本的に時間に依存しないエネルギーである(ディラックの巨大数仮説によるとそうではないかもしれないが)。
それに対して熱のようなエネルギーは基本的に分子や原子の振動であり、伝播も一様ではなく、時間に依存するエネルギーである。こうしたものを同じようにエネルギーと表現することはできるのだろうか?

もちろんそれを同等に取り扱うことによって物理学の世界が成り立っているのかもしれない。
だが一説によると、私たちのこの宇宙はより多くの次元をそなえた存在であり、空間的三次元と時間の一次元を超えるものは、この次元の中に「折りたたまれている」という。

三次元的思考では少し理解しにくいものだが、もしそれ以上の次元がこの世界に内包されているのであれば、私たちが「エネルギー」と呼んでいるものは、そうした高次元とどのような関わりをもっているのだろうか?

このように次元とかエントロピーと関連するものとしてエネルギーを理解しようとすると、私たちはいかにその表層的な、あるいは三次元的な捉え方しかしていなかったのかと思わざるをえない。
そして核力についても、私たちはそのエネルギーに対する三次元的な考え方を無前提に当てはめているだけなのではないだろうか?

三次元の断面が二次元、二次元の断面が一次元であるように、私たちがこの次元で観察している現象はエネルギー的なものも含めて、より高次元の断面に過ぎないのかもしれない。

もちろんそれを無前提にフリタージュと結びつけるつもりはないが、エネルギー的にありえない現象ととらえる前に、まず学校で教えこまれたその知識が、いかに低次元のものであったかを思い起こすべきではないだろうか?

|

« <司るもの> | トップページ | 花崗岩のメタモルフォーゼ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エネルギーと次元:

« <司るもの> | トップページ | 花崗岩のメタモルフォーゼ »