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2008/08/28

合理主義と蒙昧主義

「フリタージュの真実」にも記しているが、1960年代にフランス最初の有機農法として登場したレマール・ブーシェ法はケルヴランの元素転換説を一つの重要な理論として採用したものだった。しかし、現在のフランスで生物学的農法(AB:Agriculture Biologique)と呼ばれるものは、それとは全く異なる有機農法である。

INRAの研究者であるジャック・デラは、当時のINRAと生物学的農法の対立について次のようなインタヴューに答えている。
Q:「生物学的農法の指導者たちによって推奨されていた技法を、長年の間INRAは時代遅れかつ非生産的なものと考えていたが、現在それらは名誉を回復しつつある。ここ数年間にそれらに対する視点がどのように変化したのかを指摘してもらいたい。」

A:「INRAの農学部が分割される以前は土壌の肥沃化の研究に全てが集約されており、その頃はたとえほんのわずかの農地とその経営者しか関わりをもっていなかったにせよ、生物学的農法が悪い形で受け止められていたことは確かである。」
「私は彼らが<微量エネルギー元素転換>の有効性を主張していた時代をよく覚えている。これはいくつかの疑わしい実験に基づいてC・L・ケルヴランという人がナトリウムはカリウムに、また珪素は燐に転換しうるなどと主張していたものである。」
「こうした主張は明らかに真剣に受け止められなかったが、特に一つの同位体から別の同位体に転換させるためには莫大なエネルギーを投入しなくてはならないことをよく知っていた原子力エネルギー委員会の研究者たちの反応はそうであった。」
「しかしながら長い間、生物学的農法の支持者とその敵対者はお互いの蒙昧主義と合理主義を際立たせる不毛な論争に時間を費やしていたのである。」
「C・L・ケルヴランの死とともに生物学的元素転換も消え去ることになった。もちろん今日においてもなお生物学的農法を称揚し、奇抜なだけではなく憂慮すべき概念を主張する団体(バイオダイナミック農法)は存在しているが、それはブドウ栽培の分野を除いては非常に二義的な存在にとどまっている。」
「現在、生物学的農法は公的な科学に対抗するためにふさわしい科学的根拠をもつことを断念している。それゆえINRAの研究者たちはその姿勢をあらため、生物学的農法を異なる科学的基準ではなく、別の社会的・エコロジー的論理にしたがう農業の支流として認めるようになったのである。」

現在無肥料栽培に関心を抱く人々の間で元素転換説が取り沙汰されることもある。そこには否定する人もいれば肯定的に考える人もいるようである。だが、いずれにしてもそれは元素転換説を検証する実験を行なわないかぎり、宗教的レベルにとどまるものといえるだろう。

かつてのINRAと生物学的農法の対立のように、それが合理主義と蒙昧主義の闘いの繰り返しにならないことを強く願うばかりである。

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2008/08/21

地質学におけるフリタージュ

ケルヴラン以後、生物学的元素転換を追究している科学者はヴィソツキー博士やビベリアン博士など、数は少ないが地道な研究を続けている。これに対し、地質学における微量エネルギー元素転換の研究者は現在では皆無といえる状況である。

私は1973年のケルヴランの著作『微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明』を翻訳しているが、この本に収録されている観察例の多くはケルヴランがG・シューベルから示されたものであり、またパイロープの高圧プレス実験もG・シューベルの協力によって実現されたものである。

地質学における核反応の存在を示唆する科学者はかなり以前から存在していた。J・ネツリンは1940年の『火山活動と核化学』において、火山の突発的な噴火に核反応が関連しているのではないかという仮説を提示している。またN・エフレモフはその著作『化学元素の変遷』の中で、岩石に含まれるあらゆる元素はマグネシウムから始まる複雑な原子核の変容の結果であると述べている。

G・シューベルが花崗岩質マグマと連鎖的核反応との関連を考え始めたのは、ちょうどエフレモフがその著作を公表した1946年のことだったという。彼はモロッコのヘルシニア山系における花崗岩の分布を造山活動の視点から検討していく過程で、そのような可能性について思索を深めていくようになったのである。

そして1952年に彼は「花崗岩化作用と原子核物理学」という論文をモロッコ地質局紀要に公表し、その中で<原子核パリンジェネシス仮説>というものを提唱している。その序文を少し引用してみることにしよう。

「1947年にフランス地質学会に提出した論考において、私は原子核物理学に関する現在の知識をいくつかの地質現象、特に花崗岩の起源に適用することを提案している。私が表明した原子核パリンジェネシス仮説と名付けたものは、造構運動の激動期間に褶曲山脈の内部で突発的に生じる花崗岩質マグマ(あるいはそれに代わるもの)の発生を、莫大な連鎖的核反応によって解釈するためのものであった。」

このように当時のG・シューベルは古典的な原子核物理学によって花崗岩化作用を解釈しようとしていた。だがそこには一定の限界があり、当然周囲から理解されることもなかったのである。
やがて彼はケルヴランの元素転換説を知るようになり、自らの仮説を新しい形で問い直すことになった。

ケルヴランとシューベルが目ざしたものは現在顧みられることはないが、私はこの地質学におけるフリタージュの可能性を追究していきたいと考えている。

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2008/08/14

石棺は語る

最近になって興味深いニュースがあることを知った。
http://www.foxnews.com/story/0,2933,276196,00.html
これは甚大な被害をもたらしたチェルノブイリの核反応炉から、ロボットによって採取された黒いカビに関するものである。

この研究はアルバート・アインシュタイン医療大学の研究者によって行なわれたものだという。彼らはこの黒カビのコロニーから三種属の微生物を採取したが、それらは人間の体と同じメラニンを含むもので、放射能によってその成長が増進されていることが明白に観察されたとのことである。

これらの微生物がいわゆる放射能耐性菌に属するものであるかどうかは不明だが、彼らはそれらが放射能を浄化しているのではなく、ホルミシス効果のようにそのエネルギーを成長に利用していると思われるという慎重な見解を表明している。

かねてより重水の中でも生息できる微生物の存在は知られているし、この黒カビを構成する微生物はキエフ・グループのMCTとは別物であろう。しかし、放射能によって成長が促進されていることが確認されているのは興味深い。

おそらくこの研究者たちの関心は過酷な環境を生きぬく微生物の生態に対するもので、放射能の減衰や元素転換の可能性は調査していないものと思われる。だが、もう少し綿密な調査を進めると、フリタージュに関連する興味深い事実が明らかになるかもしれない。

少し話はずれるが、地球の磁場は弱まりつつあり、磁極の移動も異常な状態になっているという。そのせいかアセンションの話に絡めて地磁気の逆転とか自転の停止などが取り沙汰されているようである。

もしこのまま地球磁場が弱まり続ければ、私たちは太陽からの放射線をまともに浴びることになる。そのとき人類は皮膚ガンなどによって死滅していくのだろうか。それともこの「石棺」の中にうごめく微生物のように変容するのだろうか?
やがてはフリタージュ能力を獲得したものだけが生き延びる世界が訪れるのかもしれない。

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2008/08/07

目ざすべき地平

風の便りによるとICCF-14の開催が企画されているようであるが、特別な用件がないかぎり今後私がICCFに参加することはないだろう。

ICCFでは、特に物理化学的手法による常温核融合の研究の公表が中心テーマとなっている。そうした中でヴィソツキー博士らキエフ・グループはMCTによる元素転換反応の研究成果を公表してきた。しかしICCFに参加する研究者は自分のことで忙しい人がほとんどである。何かを共同して成し遂げようとする機運は感じられない。

そしてケルヴランやG・シューベルがかつて目ざした地平は、そのような人々が専心しているものとは全く異なるものである。生体内や地質学の領域において元素転換反応の実在を追究しようとしている研究者は、現代ではほぼ皆無となっている。おそらく今後もまず現れることはないだろう。

今年の3月に私は『フリタージュの真実』を完成させ、今月には『生物学的元素転換』の新版を制作した。残るは『微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明』だが、これもすでに在庫は3冊ほどしかないので、現在WORD化を進めているところである。
この3冊をまずきちんとした形にすることが大切だが、次なる構想はそれらを基盤とするものになるだろう。

すなわち、現在大きな空白領域として残されている生物学と地質学におけるフリタージュ研究をさらに深化させる活動が必要になる。具体的には、生物学においてはヴィソツキー博士のMCTなどの研究をより普遍的な観点から考察し、地質学においては特にG・シューベルの示唆した原子核パリンジェネシス仮説などを基軸とした研究の再評価が前提となる。

そしてこうした元素転換の実在の検証を求めていくことによって、私たちは全く異なる世界観を目にすることになるだろう。それはあの錬金術師が目ざした地平に他ならない。

実質的な活動として何をどこまでできるのかは不透明ではあるが、それはこれまでにしても同じことである。
不在の地平をめざす者がどのような所にたどりつくのか、それはいずれ誰の目にも明らかになることだろう。

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