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2008/03/28

波動の共鳴

点滴バッグにMRETを照射してもらうようになって確認できた変化は、血圧のピークが150当たりまで高くなったことである。
ヴィソツキー博士の実験によると、MRET処理した水の粘性は400分の1程度まで減少する効果があり、それが血流を改善することにもつながるらしい。血圧の上昇はそれを反映したものなのかもしれない。

患者の容態はそのまま推移していた。私は他の代替療法で何か活用できるものはないかと考えていたが、今週の日曜日に残念ながら容態が急変し、息を引き取ったという知らせが入った。

病院に駆けつけた私が目にしたものは、否定しがたい現実だった。
私がしたことは無駄だったのかもしれない。もしかすると、その初期の段階でもう時間の問題だったのだろう。
しかし息を引き取ったその人の顔は、不思議とおだやかなものに思われた。
ふと目にした病院の窓の外には、冷たい春雨が降り続いていた。

それからの一週間は通夜・告別式・葬式と怒濤のごとく過ぎていった。
告別式の夜、帰省した弟が不思議なことを言っていた。かなり以前の祖父の葬儀のときに歯が抜ける夢を見たという。そして最近にもそんな夢を見たらしい。
実は私も最近治療してもらった歯が欠けている。近親者に不幸があるときの予兆なのかもしれない。

もちろんこうしたことは「非科学的な」ことなのかもしれない。偶然の一致としてすませることもできるだろう。
それでも期せずして一致する現象には、私たちの意識レベルでは理解できないものがあるのかもしれない。

たしかお釈迦様の骨を仏舎利といい、その骨には悟りを開いた者としての特別な波動(?)があるので、崇敬の対象とされていると聞いたことがある。
すると私たちの骨にも何らかの波動が存在しており、近しい者ではそれが共鳴することもあるのかもしれない。
それが歯の部分で現象化しているというとらえ方もできるだろう。
ともあれ、今日は歯医者に行かなくてはならない。

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2008/03/21

奇跡を目ざして

今週の始めのことだが、私の親族の一人がくも膜下出血で倒れ、現在も意識不明の重体のままである。
病室に駆けつけると、先日までキャッチボールをしていた子供たちが声にならない言葉をかけていて、見ている方も辛かった。
この病気は突然発症するまで自覚症状がなく、初期段階でその後の推移がほぼ決定づけられるようだ。
私も全くの見ず知らずというわけではないので何かしてあげたいとは考えたのだが、すぐ目の前にある命に対して人はほとんど無力に等しい。意識の回復もなく、現状ではオペさえ難しい状態のようである。

夜中に一人翻訳を続けていても、人工的に生かされているその人の姿が頭から離れない。
そのとき思い浮かんだのはMRETが使えないかということである。

スミルノフ博士から頂いた論文のいくつかは少しずつ翻訳を進めているが、それによるとMRETウォーターはエイズやアルツハイマー患者にも一定の好影響を与えたという臨床報告が示されている。たとえばアルツハイマー病による記憶障害がMRETウォーターの飲用によって改善されたというケースもあるらしい。

くも膜下出血は脳内で起こる動脈瘤破裂と考えることができる。この人の場合は呼吸が停止して脳が酸欠状態になり、意識不明に陥ったらしい。
私はMRETアクティベーターをかかえて深夜の病院へと車を走らせた。そして担当医と看護士の許可を得て、使用される点滴バッグにMRETの発振体の電磁波を当ててもらうように依頼した。それから二日が経つが、少し血圧が上昇したことを除けば特に容態に変化の兆しは見られないようである。

もちろんエイズやアルツハイマーに対する効能があったとしても、くも膜下出血に効果があるかどうかは未知数である。しかし目の前にある生命をあきらめるわけにはいかない。何十日もたって意識が回復したケースもあるらしい。その可能性が少しでもあるのなら、できることは何でもしなくてはならない。

このような形でMRETの新しい可能性を試すことになるとは思わなかったが、最後まであきらめないことが奇跡の実現につながるのではないかと考える次第である。

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2008/03/14

式部官の回想

『フリタージュの真実』に収録されている「式部官の回想」では、かつて錬金術師と激しく切り結んだ「シーザーの獅子」が当時の論争を踏まえた上で私との質疑に答えている。

その内容については本書を参照して頂くとして、ゲゲンの語る内容にはまだいくつかの謎めいた要素が潜んでいるようにも思われる。その一つとして彼がケルヴランに対する批判を始めた動機がある。

当初、私はゲゲンの批判の原点は生物学的元素転換ではなく、生物学的農法(レマール・ブーシェ法)に対するものではないかと考えていた。それも間違いといえるものではなかったが、はたしてそれだけであのような反証実験まで行なう必要があるだろうかと思われたのである。

そして今回の新作を完成させることによって、そこに新たな文脈を見出せたように思われる。ケルヴランは1967年の『プラネート』に「子牛は錬金術師か?」という論考を書いており、その中でINRAの研究者、P・ラルボーの研究を引用している。

Sep25176_3 P・ラルボーはマグネシウムの代謝に関する専門家だが、生乳に含まれるマグネシウム量の格差が子牛の生育にどのような影響を与えるかを実験的に調査している。左がその生育を比較した実験写真だが、ケルヴランはこの写真を1970年の著作『農学における生物学的元素転換』に掲載しており、飼料Sep25177_2 に含まれていたマグネシウムが骨格のカルシウムに元素転換したものとして紹介している。

「式部官の回想」の中で私はこの実験を例示し、ゲゲンに対して同じINRAの研究者としての見解を尋ねている。すると驚いたことにラルボーはゲ ゲンの同僚であり、また無二の親友でもあったというのである。

この件に関する彼の回答はある意味で予想されたものでもあったが、それとは別に、彼がケルヴランに対する批判を本格化させた動機の背景には、このラルボーの実験があったのではないだろうか?つまり、親友の研究を元素転換説に利用されたという事実がゲゲンの批判精神に火をつけた可能性があると思われるのである。

この件に関してゲゲンは明言を避けているが、それはケルヴランに対する彼の批判が単なる逆恨みではないことを示したいのかもしれない。いずれにしてもこの一件が後にどのような影響を与えたかを考えると、それに対する代償はかなり大きなものだったといえるだろう。

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2008/03/07

異端審問の法廷

『フリタージュの真実』は好調な滑り出しである。今月リリースを始めてから間もないが7冊を発送し、残りは93冊である。ただ頒布には問題ないが、思いがけない事態が生じている。

その発端は音信の途絶えていた「シーザーの獅子」から久しぶりにメールが届いたことに始まっている。それは私が送付した2冊の新作に対して礼を述べたものだが、ゲゲンは表紙の写真について私に尋ねてきた。
実は『フリタージュの真実』の表紙に使用している写真は、かつて「異端審問」の舞台となったフランス農学アカデミー大会議室を示すものである。
私はかなり以前にこの写真を見つけて新しい著作の表紙に使用したいと考えていた。そこでゲゲンにこの件について尋ねたことがあったが、彼はその使用にはアカデミーの終身幹事の許可を求めるべきだと私に伝えたのである。
ゲゲンの指示に従って、私は昨年の夏に農学アカデミーの終身幹事にこの写真の使用許可を求める手紙を送っている。しかし国際返信用切手を同封していたにも関らず、農学アカデミーからこの件についての回答はなかった。
そのため明確な許可は得られなかったわけだが、私は今回の著作が日本国内における個人的な出版物のため、著作権的にも問題はないだろうという判断の下に表紙カバーにこの写真を採用したのである。

しかしゲゲンは今回の著作を新たに2冊フランス農学アカデミーに寄贈してほしいという意向を伝えてきた。『フリタージュの真実』には農学アカデミーの会議報告書から引用されている情報も数多くあり、アカデミーのメンバーに関しても記述されている。そのため彼は特殊資料としてアカデミーの図書館に収蔵したいと考えたようである。

私は正直に表紙の写真について終身幹事の許可が得られていないことを彼に知らせたが、ゲゲンはこの件についてはアカデミーの終身幹事と話をしてみることを約束してくれた。
日本人からの要領を得ない手紙を無視した終身幹事も、第5部会会長でありアカデミー委員会のメンバーでもあるレオン・ゲゲンの話は聞かないわけにはいかないだろう。

ゲゲンから良い知らせが届いたら、正式にフランス農学アカデミーに『フリタージュの真実』を寄贈することができるだろう。このことは農学アカデミーが、かつてそこで行なわれた「異端審問」の存在をまぎれもなく認めることに他ならない。
それは私自身にとっても大いに名誉なことではあるが、いまは亡き錬金術師にとっては皮肉な光栄といえるものかもしれない。

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