« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008/01/30

知の営みの在り方

農学アカデミーの資料を読み解きながらゲゲンと議論を重ねるうちに、それまで別個の存在と思われたものが私の中でひとつにつながってくるようになった。アカデミーでの幾多にわたる論争と「レゾ・プレザンテ」における批判、ケルヴランが元素転換を示唆したP・ラルボーの実験とL・ゲゲンの反証実験、そして対立するINRAの農学者と生物学的農法の団体・・・。これらの事象は決して個別に存在していたのではなく、そこには常に鍵となる人物が関わっていた。その一人がケルヴランであり、また農学アカデミー第5部会のメンバーであった。

ゲゲンは激しい言葉でケルヴランを論難しつつも、私が構想していた本の制作に強い関心を示していた。そしてアカデミーの図書館で当時の資料を調べるなどの協力を惜しまなかった。思い返してみると、私とゲゲンとの関係は奇妙なものかもしれない。あれほど激しい議論を交わしたにもかかわらず、その過程で不思議な絆のようなものが生まれつつあったのだから。

そして全てを語り終えた式部官は次のような言葉を残した。「あなたの客観性を信頼している・・。」
その言葉はいまも胸に刻んでいる。
当初、私はケルヴランが公表した論文をまとめた資料集を作ることを考えていた。ある意味では無機質だが、フリタージュ研究の資料として客観的に価値のあるものを作ろうと思っていた。
ところが、いま最終チェックを行なっている新しい著作はおよそそれとはかけ離れたものになってしまった。
それは一人の錬金術師がその暗黒時代をいかに闘ったかを主軸として、科学という知の営みの姿を問いかけるものと言えるかもしれない。

内容としてはケルヴランを初めとしてバランジェやツンデルの研究なども紹介されているが、そのようなフリタージュ研究を超えた「真実」に、多くの人は少なからぬ驚愕を覚えることになるだろう。
そして他人の言葉一つに道をさまよう人は、この本を読まない方が良いかもしれない。いったい誰の言葉を信じればよいのかわからなくなってくるからである。

妄信盲動で悟りが開けるのであれば修行も瞑想も必要はない。自らの内に問いを深めることこそが重要なのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/23

擬似科学の亡霊

2007年の夏、私にとって印象深いことは何も思い出せない。ただ暑さだけが長引いていたことぐらいである。
しかし2006年の夏の、あの長く辛い闘いは忘れることができない。

ゲゲンと知りあった当時、農学アカデミーに関しては「異端審問」とエニン報告の二つの論争があったことしか判明していなかった。また彼の反証実験が取り上げられているのは後者のみである。そこで私は、フリタージュの歴史におけるゲゲンの役割は副次的なものに過ぎないと推断していた。当然彼に対する質問もその内容を確認する限定的なものだった。
ところが彼は、他にもケルヴランに対する批判を行なった論考を記していると私に告げ、驚いたことに30年以上も前に公表したそれらの論考を私に送ってくれたのである。それは私が初めて存在を知るものばかりだった。

「異端審問」の翻訳をある程度進めていた私は、それに沿ってゲゲンの見解を尋ねていった。また元素転換の研究全般に関する質問に対しても彼はその見識を披瀝したのである。

これは私にとって驚くべきことだった。ケルヴランの研究に関心をもつ人間は今なお世界中に数多くいる。そして、その代表的な研究者については個人的にも意見交換をしたことがあった。
しかしケルヴランの個々の研究や農学アカデミーでの議論等について、これほど細部にわたって正確な情報を知る人間がいることは並々ならぬ衝撃を私に与えたのである。

その一方、私は彼が送ってくれた論考をすぐには読み切れなかった。ゲゲンの主張の論点をつかめないまま、私は彼からなんとか新しい情報を引き出そうと苦しんでいた。
先の読めない翻訳も辛いし、収穫の得られない調査も苦しいものがある。だが、「シーザーの獅子」とのあの夏の格闘ほどつらいものはなかったと断言できる。
彼との意見交換は非常に長く続いたが、時としてゲゲンはケルヴランに対する激しい怒りを隠そうともせず、「あなたがケルヴランの信者ならこれ以上議論を続けることはできない!」と告げられたことも何度かある。

私は自分の感情を抑制しつつ客観的な立場から質問していることを伝え、彼に問題の論点に立ち返ることを促した。途中で議論の席から立たれては、話の筋道がわからなくなるからでもあった。

ゲゲンにとって最も忌まわしいものは擬似科学の亡霊である。彼にとってはケルヴラン自身がそうであったし、現代においてケルヴランを語る世界各国の研究者たちもその類いに他ならなかった。したがってそうした人々の研究に関する質問を行なうと、必然的に彼は怒り心頭に発することになったのである。

このように激しい議論を続けた数か月が過ぎ、私自身の中にも一つの変化が生まれようとしていた。
ゲゲンの激しい言葉の中にはたしかに否定的先入観も含まれているように感じられたが、そこには一定の合理性があり、それはケルヴランが決して語ることのなかった「もう一つの真実」への鍵があるのではないかということである。そしてこの観点は、それまで構想していた論文集の目ざすところを大きく覆す存在となったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/17

導きの糸

ひとつひとつの星を数えて星座を覚えるように、様々な資料の翻訳や地道な調査を私は一人続けていた。
頂点をめざして歩き続けることが登山とはいえ、山登りの99%は自分の足下を見つめて汗を流すことだといえる。まわりの風景もほとんど変わることがない。それが日常生活である。
だが頂点をめざす者とふもとで遊ぶ人間との決定的な違いがひとつだけある。それは最後にたどりついた所で目にする風景である。

思い返してみると、それはほんのわずかなきっかけに過ぎなかった。おそらく気づかずに通り過ぎても不思議ではない偶然だった。
いつものようにある古書店のネットワークで資料を探していたときに、見慣れない文献がリストに浮かんできた。その本の記事の一つに"transmutations biologiques"という言葉が含まれていたのだが、その本も記事の執筆者も全く見覚えのないものだった。

おそらくtransmutationsを元素転換ではなく、別の意味で使っているのではないか。その可能性も十分あると私は考えていた。これまでにも入手した資料の内容が期待はずれだったことは多々あったので、しばらく私はその本を注文することを手控えていた。それでなくても他の論文の発注などがあったためでもある。

しかし、たとえハズレにしても入手してみようという気持ちが少しずつ起こってきたのである。私の悪い癖ともいえるが、結果で判断すればいいと思うようになった。それが「レゾ・プレザンテ」だった。
入手した当初は、当時のフランスにもケルヴランを批判した人間がいたんだなというくらいにしか思わなかったが、やがてそれが農学アカデミーでの論争、そして「シーザーの獅子」との出会いを導くものとは全く予期しえなかったことである。

ちなみに農学アカデミーでの論争やレオン・ゲゲンについて、ケルヴランはその著作の中でほとんど言及していない。そのため、これまでその全貌を把握した人間は世界的に見ても皆無といえる状況だった。ケルヴランに関するサイトを作成しているドイツのヘルムートやフランスのビベリアン博士でさえ、ゲゲンの存在については全く知らないのである。

闇の中で細い糸をたぐり寄せるように、私は「レゾ・プレザンテ」の記事から農学アカデミーでの論争の存在を突き止めていった。そしてアカデミーの資料を翻訳しつつ、独自の調査を新たに開始した。
錬金術師に対する「異端審問」が行なわれたのはすでに36年も前のことである。後の調査で判明したことだが、この会議に参加したアカデミーのメンバーの全員はすでに鬼籍に入っていた。
それでもできるだけ詳細を明らかにするために、私は参加したメンバーのプロフィールを一人一人調べていった。そしてケルヴランと論争をしたゲゲンについても、I.N.R.A.のサイトを通じて情報を集めていたときのことだった。偶然にも彼の連絡先が判明したのである。

私は半信半疑ながらも、その連絡先にメールを送ってみることにした。昔のアドレスがそのまま放置されているだけなのではないかと疑いながら。しかし驚いたことに、ほどなく私はそのメールへの返信を受け取ったのである。
それはかつて錬金術師最大の敵として立ちはだかり、皮肉なことに今や最後の生き証人となった「シーザーの獅子」との出会いだった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/10

第三の頂点

新作「フリタージュの真実」の今後の予定についてだが、現在プロトタイプを順次出力しており、今月一杯はその完成度を高めることに集中したいと思う。来月にはリリースの形態を含め制作段階へと歩を進めるつもりだが、スムーズに事が運べば完成品を目にすることができるかもしれない。これまでにケルヴランの翻訳書をご購入頂いた方には、早ければ3月にはご案内を差し上げたいと考えている。

そのような新作の概要についてだが、まずはこの著作が成立した経緯についていま一度顧みておくべきであろう。
2003年5月、私はケルヴランの最初の翻訳書である「生物学的元素転換」を制作した。そして2005年5月にはケルヴラン7冊目の著作「微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明」の完成を見ることができた。
これらの翻訳は情報が限られた条件の中で地道な努力を続けた成果でもある。現在のようにインターネットの環境などはなく、図書館で様々な資料を調べたり、データベース業者に幾度となく問い合わせたりした日々が懐かしく思い出される。

それらは確かに一つの成果であり達成点ではあった。しかしながら私の中には、おそらくは読者の方々と共通する不満足な点が残っていた。
「生物学的元素転換」は基本的な入門書だが、その内容は概括的であり、より詳細な研究について知りたいと思う気持ちに応えるものではなかった。また「微量エネルギー元素転換」のほうはあまりにも専門的な内容であり、ケルヴランの生物学的な研究については触れられていない。
私を含め多くの人々は、概括的でもよいからケルヴラン自身の生物学的な研究の全体像について知りたいと思ったのではないだろうか。

2冊の翻訳書を完成しながらもそのような思いにとらわれていた私は、次にどのような行動を起こすべきか迷っていた。すでにケルヴランの原書や論文は集まってきてはいた。しかし一冊の本を完訳することがどれほどの時間と苦難を要するものか、2冊の翻訳を通して私はいやというほど思い知らされていた。
そしてケルヴランの著作には重複されて引用されている研究例も多い。一冊ずつを翻訳していくのは時間的にも内容的に非効率なものだった。

いくつかの試行錯誤を経た上で、私はケルヴランの論文集を制作することを思いついた。科学者というものはそれまでに公表した論文をもとにして著作を作成するものがほとんどである。論文集を制作すれば元素転換の研究の足取りも見えてくるのではないかと私は考えた。そしてそのための資料収集と翻訳・調査活動を私は開始したのである。

第三の頂点をめざす旅はこうして始まった。しかしその旅の途中には予想だにしない展開が待っていた。そしてそれは、旅の行方を大きく左右するものになったのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/03

「フリタージュの真実」

新しい年が明けた。あまり正月らしからぬ感じのする新年である。
年が開けても人も世も変わりはしない。また同じことを同じように繰り返す日常が来るのだろう。人間とはそうしたものかもしれない。
だが一つだけ私には祝することがある。新しいフリタージュ・ブックのプロトタイプが完成したのである。

昨年の年末、私はプロトタイプの制作作業に没頭していた。文章のわりに図の多いヴィソツキー博士の論文の困難なオペを終えると、最終章の仕上げに取り組んだ。
そして目次と関連文献の入力を終え、ようやくプロトタイプは完成したのである。

その完成を受けて、ここで新しい本の概要を公表しよう。
タイトルは「フリタージュの真実」(La Verite Du Frittage)という総計175ページに及ぶ大作である。
「悪魔の弁護人」に始まり「聖者の微笑」で終わるこの長い物語を、短い言葉で解説することは容易ではない。

この本にはケルヴランの数々の論考も収録されているが、これまで私が翻訳してきたケルヴランの著作とは全く異質なものであり、基本的には私個人の著作という位置づけになる。そして、おそらく今後これを超える著作を作ることはできないだろう。

実をいうと「フリタージュの真実」というタイトルには少し迷いもあった。それに関する全ての謎が明らかになったという誤解を与えかねないからである。だが、本書を読み終えて改めてタイトルを思い返すとき、おそらく読者は全く異なる感慨をもってそれにうなずかれることになるだろう。

その内容についてはいずれ順を追って解説していくつもりだが、まずは無事にプロトタイプが完成したことを祝したいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »