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2007/09/27

バイオプロとMRET

第三のフリタージュ・ブックはすでに120ページをまわった。だが、この著作はケルヴランの1960年の論文から始まっているが、1972年の『レゾ・プレザンテ』の論争にようやく入ったところである。農学アカデミーでの論争は区切りがついているが、今後はケルヴランとゲゲンの対決が軸になるストーリーである。
その両者の論争もすでに翻訳は終わっているが、彼らがその論考の中で引用している研究例については補足をしないと正確な理解は難しいだろう。現在執筆と同時にそのための翻訳作業なども行っているので、完成までの道のりはまだ遠いかもしれない。

話は変わるが最近になってバイオプロ社の製品を紹介しているサイトを見つけた。http://www.wellnessLiving.us/
このサイトの管理者の方はバイオプロの製品を使用して体調が「劇的に」好転したと述べている。私もバイオプロのサプリメントを少しずつ摂っているが、それほど劇的な変化は感じられない。しかし人によってはそのような体験をする人もいるのかもしれない。
この方はどうやらバイオプロ社のコンサルタントに登録しているようである。コンサルタントといえば専門職のように聞こえるが、日本でいうところのネットワーク・ビジネスと考えて良いようだ。注意すべき点は50ドルほど払えば商品購入がディスカウントされると書いてあるが、これはアメリカ在住の人だけを対象としている。日本で適用可能か否かをバイオプロ社に問い合わせたが、これまでのところ返答はない。

アメリカでは、コンサルタント登録をすればバイオプロ社のショップサイトが個別化され、そのサイトで顧客が購入するとその売り上げによってコンサルタントのランクがアップし、ディスカウント率も高くなるようである。
現在日本にはそのシステムが導入されていないので、バイオプロ社の製品を入手しようとするならe-Bayなどのオークションサイトで安く出品されているものを探すか、あるいはコンサルタントに依頼するしかないだろう。
ただしMRETアクティベーターやMRETシールドなどのグローバル・クォンテック社から供給されている製品については、バイオプロではなく別の代理店を探した方が安く販売されているようである。

スミルノフ博士によると、MRET製品の代理店になるには一定ロットを定期的に購入する契約を交わさなくてはならないらしい。バイオプロはそのリスクをコンサルタント制度によって緩和しているともいえるだろう。
日本でもネットワークビジネスなどは多く見られるようになってきたが、もしかするとバイオプロが日本市場に参入する可能性もあるかもしれない。

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2007/09/20

バイオプロQX-3

地球温暖化が叫ばれて久しいが、日本を初めとして二酸化炭素排出削減の目標がクリアできていない国々が多いという報道があった。またガソリンの高騰も間接的に物価に反映されつつあり、経済活動の足かせとなっている。

地球環境のためにとエコロジー生活が勧められてはいるが、それではその中身を見ると実にお粗末な提言が後をたたない。たとえば「燃費の良い車を選びましょう」とか「自動車をあまり使わないようにしましょう」といったスローガンである。

心ある人ならおわかりになると思うが、いまの社会の枠組みはエコロジーやリサイクルを非常に実践しにくい環境になっている。その枠組みを根底から変えることなく、個人の自発的努力を促すのがお役所の仕事ではある。

たとえ個人でできることを行なっても、もしかするとそれは地球にとっては「エコロジーごっこ」に過ぎないのかもしれない。私たちはいかにも「これが地球のためになる正しいことですよ」とのたまう識者(?)の言葉も充分に吟味する必要があるだろう。

前置きが長くなったが、この夏私はバイオプロ社のQX-3という製品をテストしてきた。このQX-3とは、車のガソリンタンクに取り付けることでガソリンの分子構造を変化させ、燃費を向上させるというしろものである。以前にMRETアクティベーターでガソリンをMRET化したことについて記したことがあったが、QX-3はERT(エネルギー共振技術)によりガソリンの燃焼モードを改善するものらしい。

Images しかし届いたQX-3の箱の中身は、どこにでもありそうな直径5cmのステッカーが2枚だけだった。どこかのCMではないが「こんなものが効くのか?」という感じである。これを燃料タンクに貼るだけで燃費が向上すると言われてもにわかに信じがたいものがあった。

「アメリカ人のオーバートークに騙されたかな。。」そんな疑念を抱きつつも、給油口の直下にあるふくらみを容量から燃料タンクと推測して手の届く範囲で貼り付けてみた。

ちなみに私が乗っている車は10年前のヴィヴィオ・ビストロである。私のビストロは4WDのAT車なので燃費はあまり良くない。今年の春以降4回燃費を計ってみたが平均して16.19km/リットルであった。

そしてQX-3を装着して通常通り運転していたが、それほど大きな変化は感じられなかった。ジャッキアップもせずに貼ったので位置があまりよくなかったのかなと思ったが、エンジン音は少しずつこまやかな音に変化していった。

燃料計の半分くらいで250kmを指していたので、500kmくらい走ってくれるかと思ったが、430.8kmでほぼ空の状態になった。走行距離はあまり伸びなかったなと思い、スタンドで給油すると23.5リットルで満杯になった。燃費は18.33km/リットルに伸びていた。

一回目だけの計算なので断言はできないが、計算上の燃費は約13%向上している。QX-3の資料によると、車種によって8~25%と開きはあるが、平均的に燃費は15%ほど向上するという。

ちなみに私は給油のたびにタイヤの空気圧を調整しているが、今回は条件をできるだけ同じにするためにチェックしていない。また夏場なのでクーラーもつけざるを得なかったし、リフォームのために2m近い木材を運んだり、人を乗せたりしている。つまり、あくまで通常の使い方をしているので、逆に燃費が落ちてもおかしくない状況であった。

今後も継続的にデータを取っていきたいと思うが、最初の印象とは裏腹にかなり燃費向上の効果があったことには驚いた。10%といえば微々たるものに聞こえるが、500km走る車ならそれが550kmに伸びるということである。継続的に使用していけばかなり経済効果が期待できるだろう。

このQX-3は180~190ドル前後で販売されている。ステッカー2枚に対して高いと思われるが、車の耐用年数を考えると賢い選択といえるだろう。また発動機や草刈機などにも応用可能かもしれない。

ことさらエコロジーのためとは言わないが、そのための投資が経済的にも意味のあるものであれば一石二鳥と言えなくもないだろう。

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2007/09/14

BSEとカルマゴル

少し前のニュースだが、イギリスの牧場で口蹄疫という感染病が広がったという報道があった。私は少し前からこの聞き慣れない感染病の名前を知っていた。というのもケルヴランの1975年の著作にそれに関する記述が掲載されていたからである。

1959年、フランス育種学研究所のド・クルテはある統計資料をフランス農学アカデミーに提出している。それはイシモの粉末を散布した牧場では牛の致命的な感染症である口蹄疫(アフタ熱)の被害が全く生じなかったというものであった。

イシモとはサンゴモ科の石灰藻の一種で、これまでにも記してきたようにレマール・ブーシェ法で元素転換の活性剤として使用されたカルマゴルの原料である。ド・クルテはその粉末に抗ウイルス作用があることを報告したわけだが、それではなぜイシモの粉末にそのような作用があるのかは全く不明のままだった。

やがて元素転換説を知ったド・クルテはケルヴランを訪問し、イシモのこの不思議な作用について伝えたそうである。またブルターニュ地方でイシモの製粉工場アルゴフェルティを経営するシャルル・ルドーも同じような経験をして、ケルヴランにその理由を尋ねたという。

これについてケルヴランはいくつかの仮説を提示している。まず一つはイシモの細胞が多孔質のために接触触媒の作用を起こすのではないかという考え方である。次にイシモには微量元素が含まれているため、やはり触媒作用を生じる可能性があるというものだった。最後の仮説は、多孔質のイシモに着生した微生物が抗体作用をもつ分泌物を出すようになったのではないかというものである。

ちなみにレマール・ブーシェ法で使用されたカルマゴルの原料はシャルル・ルドーのアルゴフェルティから納入されたイシモが使用されていたらしい。するとカルマゴルに元素転換の活性剤としての役割が付与されたのは、おそらくルドーかド・クルテの媒介によるものだろう。

Sep14_53 カルマゴルの由来についてはこのような見通しが成り立つわけだが、その実際のフリタージュ作用についてはまだ不明な点も多い。参考のためにイシモの顕微鏡写真を掲載しておこう。

狂牛病などについても一時期取りざたされたものだが、このイシモの粉末を家畜の飼料に添加してみると何らかの効果があるかもしれない。そしてこのような試みは現代における新たな知見を生み出す可能性をも秘めているのである。

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2007/09/07

知られざる海

万有引力で知られるアイザック・ニュートンは次のような言葉を残したという。
「世間で自分のことをどのように伝えているのかは知らないが、私自身は自分のことを、海辺でときおり美しい貝殻を見つけて喜ぶ子供のようなものだと考えている。その眼前には、いまだ探求されていない真理の大洋が静かに広がっているばかりである。」

ニュートンの時代からおよそ350年がたとうとしているが、かつて彼が遊んだ浜辺にその美しい面影をみることはできない。そこにはもはや絵の具が混ざったような不浄と混沌だけが残されている。
そして、以前は神の領域とされたその海に私たちは足を踏み入れ、ひたすら波間に浮かぶものだけを追い求めようとしてきたのである。

ニュートン自身がその研究によって培った世界観は決して現代の機械論的科学ではなかった。しかし、それ以降の科学技術の発展は彼の思想を伝えるものではなく、合理主義的かつ物質主義的な文明を生み出したのである。たとえ彼が現代に生まれ変わったとしても、もはやこの時代ではその才能を再び発揮することはできないだろう。

真理の海に浮かび上がるものをそれにまつわる現象と捉えるなら、私たちは波間に揺れるボールのような動きに捕らわれてきたと言えるだろう。その底に流れる深く重い流れを捉えようとすることもなく。

たとえば病気などもそうである。現象としてあらわれた症状に基づいて症例を分類し、その状態に合わせて対症療法を行なうという治療法がごく一般的であり、妥当な方法論とされている。

もちろんそれも一つの方法論ではあるが、それでは波間に浮かぶボールを捕まえることはできないだろう。その動きを生じているものは何かという根本原因を捉えられていないからである。

現代では遺伝子異常までさかのぼり、その作用を阻害する薬なども作られてはいるが、それでもその根本原因を突き止めたというレベルとはいえないと思われる。原因不明で治療法も確立されていない病気も数多くある。

思い返してみるとフリタージュという現象も、ある意味ではそのような不可解な漂流物なのかもしれない。ある人々は確かにそれが浮かんできたのが見えたという。しかし別の人々にとって、それは存在しない幻影にすぎない。

ひとつだけ言えることは、私たちはそこに足を踏み入れて浮かんでいるものを捉えようとしてきたが、この海をまだ知らないということである。

ニュートンの時代と変わらず、浜辺にはおだやかな潮騒が寄せ返している。しかしそこに眠るものに対して私たちは深い畏敬の念を示すべきではないだろうか。

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