小さな奇跡
去る7月16日はレオン・ゲゲンの75才の誕生日だった。その一週間前に私は4分の3世紀を祝うカードを送っておいたが、これに対する応答はなかった。
今年の初めには年賀状を送った経緯から再び議論する機会を得たものの、すでに私たちは多くのことについて議論をしつくしていたため、手づまり感はあった。音信がないので消息は気にかかるが、ある意味で彼はフリタージュの歴史における役割をまっとうしたのだと思われる。後は私が答えを出すだけであろう。
ケルヴランの論文をメインとした第三のフリタージュ・ブックはすでに「異端審問」の解説を上梓しており、90ページを超えるものになっている。だが、エニン報告以後の論争はまだこれからである。予定は立たないところだが、今年度中にはプロトタイプを仕上げたいと考えている。
そして、かつてゲゲンに調べてもらったデスター報告についても「異端審問」のロブスター実験と比較すべく、ある程度までその概要を復元することができたが、最近になって予想外の展開が生じている。
すでにフランスの古書店から得られる資料もほとんど無くなっているが、最近になって農学アカデミーの50~60年代における会議報告書のアソートを入手した。今回手に入れたのは13冊で、前回の29冊と合わせると42冊になる。
アカデミーの会員でもないのにここまで集める必要もないのだが、今回のものには一つの期待があった。それは1950年代にド・クルテという学者がカルマゴルの原料であるイシモの抗ウイルス作用について農学アカデミーに報告しているという情報を得ていたからである。
今回のアソートの中にどのような論文が収録されているかについては全く情報が無かったが、「異端審問」以前のアカデミーの状況を把握しておくのも興味深いと思ったので、あまり期待もせずに発注しておいた。
届いた会議報告書を順次閲覧してみたが、残念ながらド・クルテが公表した論文は収録されていなかった。ただし、微量元素の研究者として知られるG・ベルトランが第5部会に所属していたことが判明した。つまりベルトランは「枢機卿」ステファーヌ・エニンの先輩に当たるのだが、彼はまたセーヌ川衛生評議会のメンバーでもあり、皮肉なことにケルヴランの同僚なのである。
そしてもう一つ、このアソートには1969年の会議報告書が2冊含まれていた。「1969年1月?」それはまさしく、デスター報告が公表された会議報告書だったのである。
去年の夏、ゲゲンはアカデミーの図書館を調べてJ・デスターのコメントしか残されていないことを私に伝えた。そこで私はデスター報告が抹消されたと考えたのだが、自分の眼で確認したわけではないので、いずれ何らかの形で再調査すべきであると考えていた。
ゲゲンの言葉どおり、このデスターのコメントの前にはロサムステッドのアニュアル・レポートに関する議論があり、そのあとにはヤシ科の植物の病気についての論文が記載されていた。やはり彼の言葉は正しかったのだ。
それにしても今回のアソートに、このデスター報告の会議報告書がまさか入っているとは想像もしていなかった。農学アカデミーの定例会議は毎週行なわれているので、会議報告書は一年に20冊前後出版されている。このアソートの1956年から1969年にかけてはおよそ280冊に及ぶだろう。その中から寄せ集められた13冊の中にこの1冊が含まれる確率は20分の1より小さい。
オリジナルとしてデスター報告の会議報告書が手に入ったのは何か偶然を越えたものを思わせる。わが行く道に間違いはない。そう確信させてくれる小さな奇跡ではあった。
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