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2007/07/27

MRET with Biopro Technology

ようやく梅雨もあけ、夏本番となった。水か恋しいこの時期、MRETアクティベーターは連日フル稼働している。
このMRETで活性化された水はなかなかおもしろい特質がある。全量というわけにはいかないが、たまに洗濯に使用すると、不思議なことにMRET化した水には脱臭効果があるようである。水切れもよく、乾きも早い。洗浄効果や脱臭作用を調べるのはなかなか困難かもしれないが、興味深い作用である。

それでは具体的にMRETウォーターと普通の水とはどのように物性が異なっているのかは、残念ながら明確にはわからない。沸騰させても同じ時間で沸騰するし、氷にしてみても特に違いは見られない。明らかな違いを見つけるためには、水の電気化学的な分析を行なうことのできる特殊な分析装置が必要なのかもしれない。

最近のことだが、このMRETウォーターには一つの特徴があることがわかってきた。
私は通常、浄水器を通した水をトルマリンを入れたボトルに入れて冷蔵庫で冷やしている。MRETアクティベーターが届いてからはMRET化した水をこのトルマリンボトルに入れていたのだが、逆にトルマリンに浸けてからMRET化するほうが水の感触が良くなるようである。

それ以降はトルマリン→MRET化した水を作るようにしているのだが、夏場になってこのMRETウォーターを水筒に入れて冷蔵庫で冷やすことにした。するとどうも味わいがよくない。MRETアクティベーターによって電磁気的に活性化された水は、トルマリンやステンレスの水筒に入れておくと、その電位構造(?)が乱されるようなのである。その意味では磁化水とか電解水に近いものがあるのかもしれない。

このMRETだが、最近ではBiopro Technology社と技術提携して販路拡大を図っているようである。
http://www.bioprotechnology.com/Shop_BIOPRO.aspx
Biopro社ではiwaterという名前で出しているらしい。またBioproの電磁波防止チップにもMRETの技術が投入されているという。日本をはじめとしてこうした製品はたくさんあるが、MRETの技術が使われているのであれば信頼性はあるかもしれない。いずれ機会があれば入手して調べてみたいと考えている。

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2007/07/23

『生物学的元素転換』の完成

すでにお気づきの方もおられるだろうが、ようやく『生物学的元素転換』第6刷が完成した。今回も全体に校正してあるが、内容的にはそれほど大きな変更点はない。ただ、表紙は今回も新しいものにしてある。

Jul17_41 今回の表紙は私が大学生のときに買った『生物学的元素転換』の表紙から採用した。ビークマンではすでに新しい表紙に変更しているので問題はないと思う。私にとっては少し懐かしい感じのするイメージである。そしてもう一つの大きな変更点は表紙と裏表紙をラミネート加工にしたところである。

実は以前に『生物学的元素転換』をご購入いただいた方から「表紙が傷みやすいので電子書籍にしてほしい」というご要望があった。『生物学的元素転換』には図表やグラフなどが20点以上もあるので、電子書籍化はすぐには難しいと思ったが、表紙が傷むほど読みこんで下さる方がおられるのはありがたい話である。

ご存知のとおり、ケルヴランの翻訳書は私製本として制作している。市販されている紙の中でできるだけ良いものを選んでいるつもりだが、このご指摘があって私もいろいろと検討してみた。たとえば表紙に紙にではなくフィルムを使ってみてはどうかと考えたが、フィルムには印字があまりうまく定着しないという問題があり、またB5版のフィルムがほとんどないことから断念した。

それ以降できるだけ紙厚の高い紙を表紙に使ってきたが、紙厚が高くなれば当然コピーやプリンターに通りにくくなるので一定の限界がある。そこで今回新たな試みとしてラミネート加工をしてみることにしたのである。このラミネート加工も厚みや温度の関係から白濁したり波状になる場合もあり、作業にはけっこう気を使うが、まずまずのレベルで製本化することに成功した。

ちなみに糊を溶かして製本する家庭用製本機というしろものがあるが、あれで糊綴じをしたものは数年もたたずバラバラになる。あれを使って製本したテキストを売っている団体もあるが、そんなことに気づかないのか、配慮の足りないことだと思う。

その意味では市販の糸綴じまではいかないがホチキス止めの方がまだ強度があると思う。私製本では糊綴じよりもむしろその方が望ましいかもしれない。

今回のラミネート加工はなかなか手間がかかるが、おそらくコーティングされたソフトカバーの本より強度はあると思われる。私製本の制作としてはこのあたりが妥協点かもしれない。

本当はラミネートフィルムと加工代金を商品価格に反映させたいところだが、『生物学的元素転換』はフリタージュの入門書という役割がある。それをこれ以上値上げすることは実に心苦しいので、価格は従来通りとさせていただく。

市販本に比べて、それでも高い印象を持たれるのはやむをえないが、この翻訳書をきっかけに何か新しい視点をつかんで頂ければ苦労して作った甲斐があるというものである。

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2007/07/16

自立と共生

ケルヴランに関心をもつ人には様々な方がいる。無肥料栽培を実践ないし支持されている方はその中でもかなり多い。無肥料栽培自体についてまだまだ認知度が高くない実状もあり、生物学的元素転換を通じてその理解を深めようとされているように思われる。
その無肥料栽培についてのメーリングリストがYahooグループで立ち上げられている。一部の方々にはメールでお知らせしたが、関心をお持ちの方は登録してみるのもよいだろう。http://groups.yahoo.co.jp/group/Natural-Art/をご参照頂きたい。

このメーリングリストには私も登録しているが、無肥料栽培をテーマとしているので、私はあくまでオブザーバー的な形でのみ関わりたいと思っている。フリタージュと直接関係する話題はないにしても、実際にそのような農業に関わっている方の意見を聞くことは大切なことだと思う。

ケルヴランが支持したレマール・ブーシェ法では有機肥料や燐酸石灰、堆肥などが使用されていたので無肥料栽培とは形態は異なっている。しかしながら根圏における元素転換を活性化するためにカルマゴルを使用していた面もあり、J・ブーシェの「生物学的農法の実践概論」によると微量元素のフリタージュなどは考えられていたらしい。

一方「無肥料」栽培といっても、それは「無栄養」ということではないと思う。仮にそこに元素転換を正式に主張するのであれば、ケルヴランやツンデルが行なった発芽実験などの追試が行なわれるべきだろう。

私見にはなるが無肥料栽培のキーワードとしては「自立と共生」という言葉が思い浮かんでくる。そこには植物が無制限に与えられる人工的な肥料から自立して、自らの栄養を確保していく姿がある。そして、そのような自立した生育の根底には根圏における土壌や微生物などとの共生関係が確立されなくてはならない。言葉でいえばたやすいが、このような関係を実現することは環境の制約条件などからなかなか難しいことである。

それは私たち人間のあり方についてもそうである。これまでのように何かに依存して生活が成り立っていた時代はもはや終焉を迎えているといえるだろう。長いものに巻かれろの人間は駄目になっていくということである。
全てが疑わしいこの時代に、私たちは自分の見識をやしなって物事の真偽を見きわめていかなければならない。そして他人と同じであることに安心を覚えるのではなく、自立した道を目ざす必要がある。一見孤立した道程ではあるが、そこには真の意味での共生関係がおのずと生まれてくることだろう。

話は戻るが、もし元素転換のメカニズムが植物の生育に関わっていると考えるのであれば、次のような問いに答えなくてはならない。ケルヴランは農学アカデミーでの論争で「元素転換が生じるのであれば、これほど頻繁に動植物の欠乏症が観察されることはないはずである」という批判を受けている。これについて皆さんはどのように考えるだろうか?夏休みの宿題としておこう。

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2007/07/09

世界言語としての錬金術

なかなか天候も安定しない日が続いている。『生物学的元素転換』の制作は室内で進めているものの、画像のプリントアウトなどもあるので、やはり湿度や温度変化には配慮しなくてはならない。良いワインを育てるには時間が必要である。だが、夏本番となる前には収穫を終えなくてはならない。

少し前にゲーテのメタモルフォーゼ論について書いたが、ゲーテには独自の自然観があるので彼のメタモルフォーゼをそのままケルヴランのフリタージュに比定することはできないだろう。ただし元素転換の「根本現象」を上げるとするなら、ノン・ゼロ・バランスということにはなるかもしれない。

現代科学を機械論と生気論という対立軸から観るのであれば、ゲーテやケルヴランは明らかに生気論寄りであり、デカルトやニュートン、パスツールは科学史の図式としては機械論側という構図になる(それぞれの思想的観点を抜きにしてだが)。

ケルヴランが最後の錬金術師であるなら、ゲーテは最後のルネッサンス的人間といえるだろう。シュタイナーがゲーテを語る言葉は少し神秘学に偏りすぎている感があるが、ゲーテ自身の世界観はそれ自体として捉える必要があるように思われる。

ゲーテがニュートンの光学理論に反対して独自の色彩論を提示したことはよく知られているが、間顎骨の発見などに比べるとこれを科学的業績ととらえる人はあまりいないだろう。ぜいぜい宮廷詩人の余興といわれる程度である。

しかし色彩論の根底にはゲーテの錬金術的な世界観が投影されている。それはゲーテがオカルティズムの影響を受けていたからだと見る向きもあるが、その評価は正しくない。

ゲーテは自然現象を機械的に分解することなく、全体的な視点から熟知しようとしていた。たとえば彼の色彩論における赤色や青色はそれ自体で存在するものではなく、光と闇のはざ間の中に浮かび上がる根本現象であり、水・火・地・空気の生成流転を示す「プラトンの輪」のように自然界の生動を映し出す鏡だったのである。

そして化学実験なども独自に行なっていたゲーテは、そこに酸性・アルカリ性の関係をも付け加え、多様な色彩には味覚的な違いまで存在するものと考えた。つまりゲーテの色彩論とは、人間が知覚を通して自然と語りあうための錬金術的な世界言語だったのである。

色彩論とはこうした世界言語を構築する上でのモチーフに過ぎない。そしてそこには「生命は自らを創造する存在である」という、あの錬金術師のテーゼと符合するものが感じられるのである。

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2007/07/02

J・ラヴォレイの実験

翻訳のオペは順調に進んでいるが『生物学的元素転換』の完成はまだ少しかかりそうである。ご予約頂いている方はもうしばらくお待ち頂きたい。

そうした作業とともに論文集の解説も執筆しているが、いろいろと資料を調べていくと興味深いことも次第に明らかになってきた。

たとえば1968年の著作にケルヴランは、S・エニンが農学アカデミーに報告したトマトの栽培実験について言及している。その他にもエニンの師である高名な農学者A・デモロンの研究を引用しており、こうした記述が後のアカデミーでの論争の伏線になっている可能性も考えられる。またフランス国立農学院で行なった講演をまとめた1970年の著作『農学における生物学的元素転換』にはJ・ラヴォレイが行なったラットの実験が引用されている。

Sep25178 J・ラヴォレイは農学アカデミーとともに科学アカデミーにも属していた生物学者であり、S・エニンが長を務める第5部会のメンバーとして「異端審問」にも出席している。そのラヴォレイがラットに対するマグネシウムの影響を調べた実験をケルヴランは引用しているのである。

このラヴォレイの実験に対する解説を少し引用してみよう。「上段と中段の二匹のラットはマグネシウムが欠乏しており、体重100gに対して一日当たり2.5mgのマグネシウムしか摂取していない。それに対し、下段のラットは一日当たり55mgのマグネシウムを摂取している。」

「マグネシウムの欠乏したラットは発育不全になっており、それ以上成長しなかった。尾は脱毛しており、脚で立つことは難しく、体毛にはつやがなく逆立っている。しかし飼料に含まれていたカルシウムは通常量であり、全てのラットについて同一だった。したがってカルシウムの欠乏を引き起こしたのはマグネシウムの欠如ということになる。」

おそらくケルヴランはこのラヴォレイの実験を以前から知っており、その検証として行なったのが1967年にアカデミーに報告した実験だと思われる。そして動物におけるマグネシウムからカルシウムへの転換という一般的傾向を確信したのだろう。

「異端審問」ではロブスター実験が議論されていたので、このラットの実験に関してはケルヴランもラヴォレイ自身も触れていない。しかし、かねてよりケルヴランが農学アカデミーの関係者の研究を引用して彼らを挑発していたことは確かなようである。エニンやラヴォレイたちもそれをうすうすは感じ取っていたに違いない。そうした駆け引きを含めて、彼らの論争の文脈を読み解いていかなくてはならないだろう。

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