未来に待つもの
「生物学的元素転換」の制作は今しばらくかかりそうである。これまでに第6刷を数えているが、その全ては同じ本であり全く違う本といえる。
最初はできるかぎり原書に忠実に翻訳し、それを究めることが理想的だと考えていた。しかしケルヴランの他の著作や論文、また様々な調査を続けるうちにそれを超える事実がわかってきた。
そこで若干の躊躇はあったが、私は原書の内容を改編していく作業に入った。その方が結果的により正確な理解につながると考えたからである。
これは普通の仕事でも同じことがいえると思う。最初は仕事の手順等を正確に覚えることに集中するが、ひと通りのことができるようになれば、今度はその仕事をいかに効率よく行なうかが課題になる。そのために経験の中からいろんなことを学び、また試行錯誤することにより仕事も自分もレベルアップしていくのである。
そういうところにこそ仕事の苦しみと喜びがあり、同じ仕事をしていても新しい感覚で取り組める要素も生まれてくる。仕事を楽しめない人というのは、単にお金のために時間を拘束されているからそうなのだろう。
そういう意味では、73年の翻訳書やいま手がけている論文集も変わりはしない。私自身のレベルに応じてどんどん変わったものになっていくことだろう。
論文集について言えば、ようやくスービエ・ガデ論文の翻訳とオペが終了した。これでアカデミー関係の全ての資料の翻訳とオペは完了したことになる。
エニン報告を起点として論争関係の資料には二つの系列がある。その一つが農学アカデミーとフリタージュ学派との対立であり、もう一つはケルヴランとゲゲンの個人的な論争である。
前者の完成に先立ち、後者の翻訳もすでに終わっている。今後は後者の資料のオペが重点的な課題になるだろう。順調に進めば、今年中にはプロトタイプに近いものが完成するかもしれない。
ただし、翻訳した論文をただ並べただけのようなものは作るつもりはない。そんなものなら今すぐにでもリリースできる。重要なことは、こうした重層的なフリタージュの研究の系譜をどのような位相から明確にしていくかということである。そのためにはケルヴランを支持した学者や批判した学者に関しても調査を行ない、補足的な解説を作成する必要があるだろう。
導くもののない道を歩む苦しみはあるが、それはまた望むところの喜びともいえる。いずれその完成した姿をお見せする日が来ることだろう。
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