全にして一なるもの
少し前のニュースだが、ミツバチが青信号に群がるという珍事件(?)が報道された。これはミツバチが青信号の波長を好むためと考えられるそうだが、明確なところはわかっていないという。
このニュースを見て私が思い出したのは、かつて見たSFアニメ「キャプテンフューチャー」のワンシーンだった。キャプテンフューチャーとはカーティス・ニュートンという科学者を主人公とする物語で、銀河系世界を舞台に様々な冒険を繰り広げる壮大なストーリーである。
ちなみに子供の頃の私は大の理科嫌いだった。研究や実験作業などは無機質で非人間的な機械的作業の営みとしか思えなかった。だがこのアニメはそんな私に強烈なインパクトを与えるものだった。
現代も子供の理科離れが深刻だという。そこで科学に関心をもたせようと道化じみた科学マジック(?)などを興行しているようだが、実に浅はかなこととしか思えない。「経済の仕組みを教えたい」といって子供に株をやらせる親のようなものである。経済の仕組みを教えたいのであれば、いらなくなった玩具をオークションに出品させるなど他にも方法があるはずである。大人のエゴを押し付けられる子供の方はいい迷惑だろう。
話は少しそれたが、科学に興味を持たせたいのであれば良質なSFアニメの方が大人の言葉よりはるかに影響力があると思う。その意味で「キャプテンフューチャー」はいま思い返してみても科学考証がしっかりしていた。それまでの荒唐無稽な子供だましのアニメとは次元の異なるものが当時の私には感じられた。
不時着した惑星に降り立ったフューチャーたちは「キュービックス」という不思議な生命体を発見した。そしてキャプテンフューチャーは「この生き物はそれぞれが全体としての知性をまとめ上げている。ミツバチやアリのもう一つの進化した形なのだろう。」と述べている。
ミツバチは蜜のありかを特徴的なダンスで仲間に伝えるというし、ハチやアリは様々なフェロモンを分泌して情報を交換し、種属全体としての知的活動を統合している。こうした社会性を持つ生物組織の情報システムに比べると、私たちの使っているウイルスだらけのインターネットなど何とお粗末なしろものだろうか。
このような階層的構造をもつ生体系が全体を一つにまとめ上げる情報機能をそなえていることは、ミツバチやアリよりもさらにミクロなレベル、私たちの細胞などにも適用される概念かもしれない。そうすると、そのような情報システムによって外界の状況に反応し、さらには遺伝子機能を発現させるといった作用プロセスも、全にして一なる知性の働きといえるのだろう。あるいはそこにフリタージュの発現も成り立っていると考えることができる。
青信号に群がるミツバチの群れにどのようなリリーサーフェロモンが作用したのかはわからないが、それもまた彼らにとっての「全体の意思」だったのだろう。いつの日か人類があたかも一つの知性としての社会性をそなえたとき、私たちはいかなる意思に従うことになるのだろうか。
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