天と地の慟哭
1973年のケルヴランの著作をお読みの方ならご存知だが、この著作は地質学者G・シューベルの協力なくしては世に出ることはなかった。ケルヴランとシューベルがその共同研究において目指したものは現代のわれわれの理解をはるかに超えるものである。
ちなみにG・シューベルはモロッコ地質局の代表者だが、当時のフランスを代表する偉大な地質学者であることはもっと知られてよい。もともと彼がケルヴランの研究を知ったのは、1960年代の世界地質図委員会(CGMW:Comission of Geological Map of the World)に関わっていた頃、同じくCGMWのコーディネーターを務めていたJ・ロンバールから元素転換説を伝えられたことがきっかけになっている。G・シューベルは1952年に原子核パリンジェネシス仮説というものを提唱しており、その論考の中で花崗岩作用が結晶片岩の部分的な元素転換によるものであることを主張していた。
この仮説は当時の地質学会から完全に黙殺されたわけだが、シューベルはその考えを捨て去ることはなかった。そしてケルヴランの研究と融合させ、もう一度原子核パリンジェネシス仮説を再提唱しようとしたのである。
このようにいうとG・シューベルはケルヴランに傾倒した毛並みの変わった学者のように思われるかもしれない。しかし彼は、世界地質図委員会では当時「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカ大陸の地質図の制作の総指揮を取り、現代でも公式に出されているアフリカの地質図には彼の名前がコーディネーターとして記載されている。
そしてケルヴランと共同研究を行なっていた70年代前半にはユネスコの業務としてブラジルの地質を調査し、カナダでは隕石クレーターの研究を行ない、アルジェリアで行なわれた地下核実験のデータに基づく論文をモスクワで開催された学会においてロシア語で講演するという、実に多忙な研究活動を行なっていたのである。
フランスに帰国したときにはケルヴランと連絡を取り、1973年の著作に記されている実験を実施するための協議を行なっていた。興味がある人はユネスコ・ライブラリー(http://www.unesco.org)にアクセスし、<choubert>で検索してみるとよい。ユネスコの公式記録として残されている彼の論文には、控えめながらケルヴランの元素転換説についても言及されているのである。
そしてこのほど1977年に彼が公表した論考が手に入った。これは「巨大隕石の激突に よって生じる反応について」と題するものだが、73年のフリタージュ・ブックスをお読みの方ならおわかりだろう。こうした隕石による衝撃変成作用にG・シューベルは微量エネルギー元素転換の存在を考えていたのである。
この論文には少し前に報道されたイン・エケルの地下核爆発実験による花崗岩体の変動なども取り扱われている。またテクタイトやインパクタイト、モルダヴァイトといった成因不明の鉱物も実は元素転換によるものではないかと主張されているのである。
例によって翻訳に手をつけてはいないが、65ページに上るこの論文の10ページにケルヴランの名が上げられているのは興味深い。いずれは73年の著作を補完する重要な資料として少しずつ読み解いていきたいと考えている。
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