« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007/05/24

天と地の慟哭

1973年のケルヴランの著作をお読みの方ならご存知だが、この著作は地質学者G・シューベルの協力なくしては世に出ることはなかった。ケルヴランとシューベルがその共同研究において目指したものは現代のわれわれの理解をはるかに超えるものである。

ちなみにG・シューベルはモロッコ地質局の代表者だが、当時のフランスを代表する偉大な地質学者であることはもっと知られてよい。もともと彼がケルヴランの研究を知ったのは、1960年代の世界地質図委員会(CGMW:Comission of Geological Map of the World)に関わっていた頃、同じくCGMWのコーディネーターを務めていたJ・ロンバールから元素転換説を伝えられたことがきっかけになっている。G・シューベルは1952年に原子核パリンジェネシス仮説というものを提唱しており、その論考の中で花崗岩作用が結晶片岩の部分的な元素転換によるものであることを主張していた。

この仮説は当時の地質学会から完全に黙殺されたわけだが、シューベルはその考えを捨て去ることはなかった。そしてケルヴランの研究と融合させ、もう一度原子核パリンジェネシス仮説を再提唱しようとしたのである。

このようにいうとG・シューベルはケルヴランに傾倒した毛並みの変わった学者のように思われるかもしれない。しかし彼は、世界地質図委員会では当時「暗黒大陸」と呼ばれたアフリカ大陸の地質図の制作の総指揮を取り、現代でも公式に出されているアフリカの地質図には彼の名前がコーディネーターとして記載されている。

そしてケルヴランと共同研究を行なっていた70年代前半にはユネスコの業務としてブラジルの地質を調査し、カナダでは隕石クレーターの研究を行ない、アルジェリアで行なわれた地下核実験のデータに基づく論文をモスクワで開催された学会においてロシア語で講演するという、実に多忙な研究活動を行なっていたのである。

フランスに帰国したときにはケルヴランと連絡を取り、1973年の著作に記されている実験を実施するための協議を行なっていた。興味がある人はユネスコ・ライブラリー(http://www.unesco.org)にアクセスし、<choubert>で検索してみるとよい。ユネスコの公式記録として残されている彼の論文には、控えめながらケルヴランの元素転換説についても言及されているのである。

そしてこのほど1977年に彼が公表した論考が手に入った。これは「巨大隕石の激突にMay21_24_1 よって生じる反応について」と題するものだが、73年のフリタージュ・ブックスをお読みの方ならおわかりだろう。こうした隕石による衝撃変成作用にG・シューベルは微量エネルギー元素転換の存在を考えていたのである。

この論文には少し前に報道されたイン・エケルの地下核爆発実験による花崗岩体の変動なども取り扱われている。またテクタイトやインパクタイト、モルダヴァイトといった成因不明の鉱物も実は元素転換によるものではないかと主張されているのである。

例によって翻訳に手をつけてはいないが、65ページに上るこの論文の10ページにケルヴランの名が上げられているのは興味深い。いずれは73年の著作を補完する重要な資料として少しずつ読み解いていきたいと考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/18

Savants Maudits

QRMさんから教えて頂いたP・ランスの”Savants Maudits”という著作が届いた。日本語に訳せば『マッド・サイエンティスト』というところだろう。似たようなテーマの著作はブルーバックスなどにもあったように思う。

May18_22 この著書はN・テスラやP・カンメラーなど異色の科学者の評伝の形式になっており、最終章にケルヴランに関する記述も収録されている。

まだ簡単に目を通した程度なので詳しい内容については定かではないが、ケルヴランの著作も全てリストアップされているので、著者はひと通りそれらに目を通しているのだろうと思う。特にケルヴランの著作や記事から引用されている部分には見覚えのあるものがほとんどで、基本的にはそれらの内容を踏襲したものになっているのだろう。

ただ気になるのは、常温核融合の研究者の名前や歴史上の錬金術師についても記されているところである。私としてはケルヴランの研究をそれらと比定することも興味深いとは思うのだが、いったんは切りわけて考えるべきだと思っている。

そしてもう一つ、P・ランスはフランス人と思われるが、フランス人ならではの切り口がもう少しあってよいのではないだろうか。たとえばケルヴランの著作を読んでいるのであれば、当然農学アカデミーでの議論についても少しは知っていると思うのだが、それに関する調査はまったく行なっていないように思われる。そして当時のレマール・ブーシェ法などと元素転換との関連についても記述があってしかるべきところである。

この著作がいわゆるマッド・サイエンティストに関する評伝として構成されていることは理解できるが、図や写真もなく文章だけなのは少し読みづらい。その点はもう少し配慮があってもよかったと思う。

ひとつ興味深く思えたのは、かつてケルヴランの記事が掲載された『シアンセ・エ・ヴィ』に著者が記事を書いているらしいことである。入手可能ならいずれ読んでみたいと思う。

ランスのようにいまだにケルヴランに関心を持っている人物は少なからずいるようである。A・マクリーンやJ・ブースケットなどもそれに類する記事を書いているが、ケルヴランをネタにしているような印象を受けるので、あまり読む気にならない。ただ、彼らがどのような観点から元素転換の意義を捉えかえそうとしているのか、それについては注目してしかるべきであろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/05/14

白鳥の歌

まずお知らせだが、おかげ様で『生物学的元素転換』が完売し、現在在庫がなくなっている。新版制作に向けてオペ(改訂作業)を開始しているところなので、購入を希望される方でお急ぎの場合はHPリンクをご照会頂きたい。

May14_21 さて、最近入手した資料にF・リビエールの『健康とマクロビオティック』という本がある。この本はフランスのマクロビオティックの料理家が1972年に書いたものだが、なぜかケルヴランが序文を書いているので入手してみた次第である。

マクロビオティックを世界に広めた桜沢如一は1966年に亡くなっており、この本が出版される頃には鬼籍に入っている。ということは、ケルヴランの序文は桜沢の依頼ではないようである。少し読んでみたが、60年代のフランスのマクロビオティックの集会でケルヴランとリビエールは知りあったようで、その経緯から序文を直接依頼された模様である。

本の内容はいわゆる正食の七号食の作り方などが中心であり、元素転換に関する記述は全くない。その意味で収穫はなかったわけだが、桜沢の死後もケルヴランがマクロビオティック団体と関連をもっていた状況証拠とはいえるだろう。

ちなみにカナダやベルギーなどフランス語圏のマクロビオティック団体にもケルヴランはよく招かれていたらしい。1982年の春に出されたベルギーのマクロビオティック団体の機関紙はタイプライターで打たれた同人誌のような風情だが、晩年の錬金術師の消息を示す短い記事が掲載されている。

すでに最後の著作『生物学的元素転換と現代物理学』を上梓したケルヴランは、自らの死期をさとり、世俗とのつながりを断ちきった余生を送っていたようである。そして執筆を終えたばかりの最後の著作を「白鳥の歌」と表現している。これは白鳥が息絶えるときに最も美しい声で鳴くことから、最後の傑作を意味する言葉である。

海外のマクロビオティック団体とケルヴランとの関連についてはまだ不明な点も多いが、こうした情報が得られることもあるので、少しずつ調査を進めていきたいと考えている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/05/07

フリタージュ・テクトニクス

世間ではゴールデンウィークだったようだが、体調も思わしくなく後半は天候も下り坂だったので、あまりゴールデンとはいえない休暇だった。

そのおかげともいえるが、ケルヴランへの反証実験が提示されたエニン報告のオペをようやく完成させることができた。ただし、農学アカデミーにおける全体的な流れを踏まえたうえで再度内容を確認すべきではあろう。

May07_20 ところで少し前に入手した資料にH・カンベフォールの『地質工学入門』という著作がある。この著作は日本では少しなじみのない地質工学に関するものだが、その中にケルヴランの元素転換説が4ページほど取り上げられている。

地殻を構成する元素のことをローレル数ともいうが、酸素・珪素といった存在量の多い元素についても元素転換の可能性に関する記述が見られる。たとえば地球の形成段階において、大気に含まれる窒素が珪酸塩鉱物の珪素に転換した可能性も考えられるだろう。

そしてもう一つ気になるのは、この著作の表紙に見られる大陸のパズル合わせである。これはプレート・テクトニクスにおける大陸どうしの整合性を示すものとしてよく用いられるものだが、私にはふと気づいたことがあった。

ケルヴランを支持した初期の地質学者にB・シューベルがいるが、彼は南米のフランス領ギアナで先カンブリア系の地質を調査していた。そして先カンブリア紀から現代に至るまでに岩石の鉱物に含まれるマグネシウムが「指数関数的に」アルミニウムと交代していることを指摘している。

一方アフリカのガボン共和国では、シューベルらの後続のフランス調査チームが「天然原子炉」を発見している。これは非常に偶然的な条件が整って、太古の地球では天然の核反応が生じていた証拠とされている。

この大陸のパズル合わせを見ると、B・シューベルが岩石の組成変動を報告した南米のギアナと「天然原子炉」で知られるガボンは、奇妙な一致ではあるがいわゆるプレート境界に近い位置に存在しているのである。

プレート・テクトニクスと地球化学が接点をもつ領域といえば火山活動かそれによる火成岩の形成にとどまる。しかし、もしプレートの境界で高まった地殻内部の造構的応力が周囲の岩体に元素転換を促す作用を与えていたとしたらどうだろう。これまでの地球化学、あるいは変成岩岩石学による解釈は大きく変わってくるのではないだろうか。

ケルヴラン自身はプレート論についてフリタージュの文脈で述べているところはない。しかし1973年の著作には、高圧プレス機を使用した微量エネルギー元素転換の実験を公表している。そしてこの実験に協力したG・シューベル(B・シューベルの弟)は、後に隕石の落下によって形成されたテクタイトやインパクタイトといった鉱物が元素転換によるものではないかと述べているのである。

生物学的元素転換と比較して、地質学における元素転換の研究はほとんど手付かずのまま残されている。しかし、そこには私たちが見過ごしている何か重要な手がかりが残されているような気がしてならないのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »