合理主義者同盟
少し前のことだが、ケルヴランの論争に関する興味深い資料が新たに入手された。それはエルネスト・カハネによる「いわゆる生物学的元素転換について」という論考で、1965年にフランスの科学誌『シアンセ』に公表されたものである。
このカハネの論考については『レゾ・プレザンテ』の論争の契機となったG・ゴアが言及しており、かなり以前から探していた。カハネはこれと同じタイトルの論考を1965年にフランス化学協会に提示している。そこでそちらの方の入手をオーダーしていたのだが、データベースの方では出てこなかった。
学会資料として残っていないのなら一般の科学誌では無理だろうと思いつつ再オーダーしていたのだが、思いがけずに今回の入手に至った次第である。
まだ最初の方を少し読んでみた程度なので、あまり明確なことはいえないが、E・カハネはオパーリンなどに関する著作もあることから生化学者だと思われる。『レゾ・プレザンテ』の記述によると助手のアリス・シノレとともにケルヴランに対する反証実験を行なったらしいが、今回の資料にはそれに該当する実験プロトコルは見当たらないようである。
カハネの文体はモノローグ調なので、アカデミー資料のような厳密な実験内容の記述にはなっておらず、それを行なった経緯やケルヴランの対応等について記載されている印象を受ける。これについてはゲゲンの場合と異なり、ケルヴランサイドの資料も見当たらないので事実関係を確認するのも限界があるだろう。
しかし一つ興味深いことがわかった。それはカハネ以前にも生物学的元素転換に疑問を呈した科学者がいるということである。1962年の『カイエ・ラショナリステ』という雑誌にレ・ストラとロワゾーという二人の学者が、ケルヴランの元素転換による石灰化作用は他の元素による脱灰作用ではないかという論文を提示したらしい。
この『カイエ・ラショナリステ』という雑誌は『レゾ・プレザンテ』と同じ出版社のユニオ・ラショナリステから出されている。(ちなみにユニオ・ラショナリステを直訳すれば「合理主義者同盟」である。)E・カハネは『レゾ・プレザンテ』の論客でもあり、その経緯からケルヴランへの批判に関わるようになったと推測される。
この『カイエ・ラショナリステ』の批判記事が発見されれば、ケルヴランに対してもっとも早く批判を行なった文献といえるだろう。しかしいくつかのルートで調査を進めてきたが、これまでのところこの文献は出てきていない。
だが諦めるわけにはいかない。私がそれを諦めるとき、歴史の真実は永遠に闇の中に閉ざされることになる。これまでケルヴランについていい加減なことを吹聴してきた有象無象とはわけが違う。この私が道を外れるわけにはいかないのである。
たどり着けばおのずと見えてくる景色があるように、私が意識レベルを高めていくなら、しかるべき時に事は叶うものと信じている。
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