« 疑似科学と擬似宗教 | トップページ | 悪夢の宗教戦争 »

2007/03/12

生命のメタモルフォーゼ

ケルヴランより以前に元素転換に関する研究を行なっていた学者はフォン・ヘルツィーレなど数多くいるが、思想的系譜としてフリタージュを捉えるときにまず思い浮かぶのはR・シュタイナーである。

R・シュタイナーは日本でもシュタイナー教育などでかなり市民権を得てきたようにも思うが、バイオダイナミック農法やオイリュトミーなど、その思想的総体としての人智学はまだ正しく認知されていないように思う。そしてそのシュタイナーの背後にはもう一人の偉大な人物がいることを忘れてはならない。

不確定性原理で知られる物理学者のW・ハイゼンベルクが来日したときに、ゲーテの自然科学思想の重要性について講演を行なったと伝えられているが、日本ではゲーテといえば詩人であり文豪としての存在である。聴講者にはかなりの意識の乖離があったことだろう。ハイゼンベルクは物理学者というよりも思想家・哲学者としての印象が強いが、ゲーテの思想についての彼の捉え方もむしろ哲学的なものだったといえる。

シュタイナーの人智学は彼独自の思想体系ではあるが、そこにはゲーテの自然観からの一定の影響が感じられる。社会有機体三分節化説などはその典型であろう。

京都大学には「ゲーテ自然科学の集い」という団体があり、その機関紙の『モルフォロギア』には村上陽一郎氏が寄稿するなど当初は興味深いものがあったが、やがてそれぞれの学者がゲーテにかこつけた論考を公表するようになったので関心が薄れてしまった。

ゲーテの自然科学研究には間顎骨の発見やニュートンの光学に反対する彼独自の色彩論などがあるが、特に知られるのはメタモルフォーゼ論である。

ゲーテは特に植物の形態学的観察から「原植物」という根本現象が環境条件に応じて様々な形態にメタモルフォーゼするものと考えた。そして後にはこの考え方を動物や鉱物にまで広げ、根本現象としての「原動物」「原鉱物」という全にして一なる存在が変化して多様な種属を作り出すという世界観に発展していったのである。

そうしてみると、彼の最後にして最大の作品である『ファウスト』もこれまでとは全く違った捉えかたをすべきではないだろうか。

『ファウスト』は中世の錬金術師の伝説をモチーフにした戯曲とされているが、実はそうではない。天上の光を求めてやまないファウストと闇の世界に根を張りめぐらせるメフィストフェレスが、あたかもひとつの植物としてメタモルフォーゼを遂げていく物語なのである。それは人間の魂という根本現象が、矛盾を孕みながらもどのように世界に自己を開いていくかということが大きなテーマとされている。

この植物としての人間精神のメタモルフォーゼとして『ファウスト』を捉えるとき、そこにはあるいはフリタージュを予感させるものがあったのかもしれないとも考えられる。

錬金術師のフルカネルリは「すぐれた文学作品の中には錬金術の古い秘密が隠されている」という言葉を残している。現代の私たちはその言葉に何を学ぶべきなのだろうか。

|

« 疑似科学と擬似宗教 | トップページ | 悪夢の宗教戦争 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生命のメタモルフォーゼ:

« 疑似科学と擬似宗教 | トップページ | 悪夢の宗教戦争 »