悪夢の宗教戦争
ヘルメス・トリスメギストスとは錬金術をつかさどる神である「三重に偉大なる」ヘルメスを崇める言葉とされている。なぜ「三重に偉大な」のかについては諸説あるらしいが、おそらく動物界・植物界・鉱物界の全てを統御するからという意味らしい。
ケルヴランも錬金術師の名に違わず、動物・植物・鉱物を使用した様々な実験を行なっている。それぞれの実験の内容は大きく異なっているが、その重要な共通点をひとつだけ上げるとすれば、彼の実験は全て閉鎖系におけるノン・ゼロ・バランスを提示したという点である。
ノン・ゼロ・バランス(フランス語ではビラン・ノン・ヌル)とはケルヴランの造語だが、直訳すれば「ゼロではない収支」となる。閉鎖系の環境で実験の前後において被験体とされた動植物の組成成分は、通常の場合分子レベルでの変化は生じるかもしれないが、原子レベルで変化することはない。すなわち照査標準ないし実験前の被験体と、実験後の被験体の収支はプラスマイナスゼロになるはずである。
ところが実験の前後で一つの元素が増加し、別の元素が減少している場合、その収支はゼロにはならない。これがノン・ゼロ・バランスの狭義の定義である。
ケルヴランはこのノン・ゼロ・バランスを元素転換が生じた結果であると考えた。そしてこのノン・ゼロ・バランスを実証し、そこから研究を深めることを数々の実験で提起したのである。
しかしこのノン・ゼロ・バランスが実験的に有意性をもつためにはいくつかの条件がある。まず実験手順や分析方法にエラーや誤差が存在しないことが立証されなくてはならない。つぎにその異常な収支の格差が被験体の個体差や擾乱によるものではないことを示さなくてはならない。そしてその実験データが充分な数の実験による統計的有意性をもち、なおかつ再現可能なものでなくてはならない。
フランス農学アカデミーとフリタージュ学派との数回にわたる攻防も、このノン・ゼロ・バランスをどのように評価するかという点が一つの争点であった。「枢機卿」S・エニンは当然ながらこのノン・ゼロ・バランスの弱点を的確に突いている。そしてレオン・ゲゲンに至っては「一匹のロブスターと別のロブスターの収支を比較して、どうしてそこにあつかましくも元素転換の存在を主張できるのか?実に馬鹿げている!」と激しい口調で私の質問に答えている。
元素転換など元々存在しないという立場のエニンやゲゲンにとって、ノン・ゼロ・バランスは単なる統計的エラーに過ぎない。そして仮にノン・ゼロ・バランスが容認されたとしても、それだけでフリタージュの実在の証明にはならないのである。そうなるともはや残された道は悪夢の宗教戦争である。問題はノン・ゼロ・バランスの実証ではなく、たがいの研究者としての資質に及ぶところとなる。
現代のわれわれから見ても、ノン・ゼロ・バランスに示される異常な収支だけでは元素転換の証明にはならない。その反応がどのような酵素によっていかなるプロセスを通じて生じているかが明らかにされなくてはならない。そしてオペロン説を持ち出すのであれば、その反応に関わるゲノム情報まで追究されるべきだろう。
しかしこのことは当時のケルヴランの厳しい研究環境を物語っているとも言える。彼を支持した生物学者はE・プリスニエやJ・ミネレなどごく少数だった。分子生物学者や遺伝子学者の支持を得られなかったケルヴランは、わずかな協力者とともにこのノン・ゼロ・バランスを追究する道しかなかったのである。
はたして彼が命題として示したノン・ゼロ・バランスは単なる統計的エラーだったのか、それとも元素転換反応の証拠だったのか。「三重に偉大なる」ヘルメスだけが知ることなのかもしれない。
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