教皇の裁決
Compte Rendusとはフランス農学アカデミーの会議報告書のことを指す。この会議報告書はアカデミーのメンバーと関連機関に配布される特殊資料のため、市場に出てくることはほとんどない。しかし数はごくわずかだが、フランスの古書店に流れているものがいくつかあることが分かっていた。
そのほとんどは近年のものだが、できるだけケルヴランと農学アカデミーが接点をもっていた時代に近いものを探していた。そして最近になって1970年代前半の会議報告書のアソートを入手することができた。
「郵便受けに入らないから」と手渡された包みから出てきた29冊の会議報告書を目にして、われながら「とうとう来るところまで来てしまったな。」という印象をもった。
これらの会議報告書は70年5月以降のもので、残念ながら「異端審問」や「デスター報告」の時期とはずれている。しかし、その中の一冊にはS・エニンがバランジェに対する反証実験として引用した「スービエ・ガデ論文」が収録されていた。これはすでにデータベースから入手し、翻訳を進めているものだが、やはりオリジナルで読めるというのは喜ばしいことである。
これらの膨大な会議報告書に目を通していると、まるで自分が農学アカデミーの図書館にいるような錯覚さえ覚える。そして、当時のアカデミーの内情が少しずつ明らかになっていった。
農学アカデミーの会議は毎週定例として今日まで行なわれている。そして、この会議報告書を出版する権限はアカデミーの終身幹事であるG・グリロにあった。
S・エニンが枢機卿であるなら、終身幹事のグリロはアカデミーの「教皇」である。彼は書記官が記録した会議の内容を精査し、編集して公表する裁量をもっている。グリロは発言こそしていないが「異端審問」の議論も傍聴しており、S・エニンの強い反対にもかかわらず、その会議内容を報告書に記載することを決定したようである。
そして当時の農学アカデミーの内部構成と各部会の構成メンバー、およびプロフィールの記載も見つかった。これまでの資料では会議で発言したメンバーの名前とその発言内容しかわからなかったが、今回の調査によって登場人物のプロフィールが詳しくわかったことは、各資料の翻訳をより完成度の高いものにする上で重要な情報といえるだろう。
これらの会議報告書を見て改めて思うのは、はたして「デスター報告」は本当に抹消されているのだろうかという疑問である。
「シーザーの獅子」の言葉には嘘はない。しかし彼がアカデミーのメンバーに選出されたのは1991年と比較的近年のことである。そのためゲゲンはツンデルがアカデミーに報告した論文についても知らなかったのである。その点については、いずれ再調査する必要があるかもしれない。
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