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2007/01/31

ロング博士の実験

「異端審問」やエニン報告などの翻訳も完了し、今後はそのオペと全体的な構成が一つの課題となってくるだろう。しかし、まだ翻訳や調査しなくてはならないことも多々ある。

たとえば農学アカデミーによって抹消されたデスター報告の概要を、ケルヴランの著作の中から可能なかぎり復元し、再構成しなくてはならない。デスター報告の実験も基本的には「異端審問」のときとほぼ同じプロトコルに基づいているようだが、燐の変動についてフィルターに残留していた燐が溶出したのではないかという異議を出され、再実験に至った模様である。

その他にも、エニン報告においてノエルアンがケルヴランを支持する根拠として述べているヘンリーダブルデイ研究センターの報告についてもまだ調査する余地はある。

その記述によるとイギリスのヘンリーダブルデイ研究センターのロング博士という人物が、ゲゲンと同じようにケルヴランの実験を追試しているらしい。ノエルアンはその報告を根拠にS・エニンに反論しているが、このD・B・ロング博士の実験については今のところ断片的な情報しか得られていない。

ロング博士はライ麦を使った発芽実験を行なっているらしいが、同時にケルヴランに対してもある種批判的な面ももっていたらしい。彼もまたケルヴランの著作には全く登場していないが、ともかく「異端審問」前後にケルヴランと連絡をとりながら研究を行なっていたことは確かなようである。

ちなみにヘンリーダブルデイ研究センターは、現在も有機農業に関する研究活動を行なっているようだが、ロング博士の研究については全く回答が得られていない。ユネスコの場合もそうだったが、組織が大きくなるほど直球勝負は利かなくなるようである。

私も今のところイギリスにはコネクションがないので調査は難航しているが、ロング博士の実験は当時のケルヴランの発芽実験と時期的には対応しているように思われる。

次第に構想は論文集という枠を超えつつあるが、できるかぎり調査を尽くし、完成度の高いものに仕上げてゆきたいと考えている。それはあの「シーザーの獅子」との約束を果たすためでもある。

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2007/01/23

異教徒の十字架

今年に入ってからロシアのドブロフ博士と偶然にもコンタクトを取ることができた。ドブロフ博士についてはケルヴランの73年の著作にも少し出てくるが、地球磁場と生物学的元素転換の関係について関心をもっていたようである。

その話をしたところ、確かに70年代にケルヴランと連絡を取っていたらしく、それについて著書の『地球磁場と生命』に少し記述してあるという。関心のある方はドブロフ博士のサイトを参照されたい。http://apdubrov.inc.ru/idxeng.html

しかしながらこの著作は長らく絶版で、古書店では150ユーロという驚くべき価格がつけられている。そこでドブロフ博士に元素転換に関する見解を質問してみたのだが、あまり当を得た回答をもらえなかった。話の流れで博士にケルヴランの論文のコピーを送付したものの、実はケルヴランの研究についてよく知らないのではないかという印象を受けた。

最近では論文の捏造や虚偽の番組報道が話題になっているが、一般の人は大学の博士や教授の言うことは正しいと思ってすぐ受け入れるのだろう。しかし私にはどこの博士だろうと肩書きはあまり関係がない。その人の人間的本質が全てである。逆に言えばそれを見抜けないから、人は肩書きやブランドで判断しようとするのだろう。

ドブロフ博士はケルヴランの研究を実に偉大な発見だと述べていた。ゲゲンとはまるで対照的だが、フリタージュを肯定的に認める学者の存在は珍しいので、私も良い話ができるものと期待していた。しかしメールのやりとりをするにつれて、彼は元素転換を理解しているのではなく、自分の研究を正当化するために利用しているのではないかという印象がぬぐえなくなってきた。

これまでケルヴランの名を上げた学者の中にもそういう人は何人もいた。私はケルヴランの全ての著作の目次を翻訳しているので、どこに何が書いてあるかは大体把握している。だからそういう人と少し話せば、その人が何を読んでいて何を読んでいないかもほぼ見当がつく。

なかには読んだこともないケルヴランの著作をさも読んでいるように語る人もいるが、そういう人は決して発覚しないと思っているのだろう。ケルヴランの原書や論文を読んだ人などいるはずがないと高をくくっているわけである。

そこでひとつだけ見分ける方法をお教えしよう。それはケルヴラン自身がどのような実験を行なったのかをその人に尋ねることである。

ちなみにサハラの労働実験はPROHUZAが行なったものであり、ケルヴランが実施したものではない。一酸化炭素中毒は労働視察官時代のデータを元にしているので、これも除外される。これ以外に三つ答えられないようであれば、その人はケルヴランの研究については実は何も知らないといってよいだろう。

まことの信仰なき異教徒たちに免罪符は許されない。しかるべき十字架を背負わせなくてはならないだろう。

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2007/01/18

2007年の課題

論文の翻訳作業は順調に進んでいるが、その一方で新たな問題も出てきている。たとえばL・ゲゲンの批判記事だが、これまで私が翻訳したケルヴランの著作に含まれていない記述にも言及しているところが見られる。

ケルヴランは1965年以降、レマール・ブーシェ農法の業界紙『A&V』にもたびたび寄稿しているようだが、その中でオート麦の発芽実験などをいくつか実例として公表しているらしい。それに対する批判などは一次資料がないかぎり正確な論点をつかむことが難しい。

ゲゲンには年賀状を送っておいたので、そのお礼のメールが届いていた。そこで今の段階で彼の記事の不分明なところをいくつか質問しておいた。彼は私が指摘した部分を簡単な英文に訳してくれたりしたので大いに助かった。世話になった人に礼節は尽くすべきである。

その他にもフランス農学アカデミーから独自に入手した資料について確認することもできたし、現時点での問題はとりあえずクリアできている。「シーザーの獅子」は気難しいのが玉に傷だが、彼の言葉は信頼できるものである。翻訳にある程度めどかついた時点でまた一戦交える必要もあるかもしれない。

今後の重要な作業は論文の翻訳もそうだが、その背景に何が潜んでいるのかを探り出すことである。たとえば「異端審問」に参加したアカデミーのメンバーには、錬金術師に対するそれぞれの思惑があったことは否定できない。

まず化学的農法と生物学的農法の対立関係、それはINRAのL・ゲゲンの立場に反映されている。そしてフランス農学院の学生が主導してケルヴランの講演が行なわれたことは、農学院の教授でもあったS・エニンにとって愉快なことではなかっただろう。

さらにJ・ラヴォレイはケルヴランの著作に自らの実験を引用されており、元素転換の証拠として利用されたという印象を抱いていた可能性もある。つまり、アカデミーの面々は純粋に客観的な見地からケルヴランの実験を受け入れがたい状況にあったとも言えるのである。

論文や論争資料の翻訳も大切ではあるが、そこにどのような状況があったのかを把握して、正しい理解を進めなくてはならない。そのための調査作業は、むしろこれからが本番であるとも言えるのである。

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2007/01/12

カルマゴルの謎

10月に注文していたサン・エニスの『生物学的農法の実践ガイド』という本が届いた。この本にはレマール・ブーシェ農法の実践的なノウハウが記されており、ケルヴランについてもいくつか言及されている。

この著作によると、レマール・ブーシェ農法に使用される肥料のカルマゴルにはHタイプとPタイプがあることが記されている。Hタイプは標準的なイシモの粉末であり、Pタイプはそれに燐酸を混入したものらしい。そしてこの二つのカルマゴルを作物に応じて配合率を変えて散布するのが主要な施肥技術であったようである。

このカルマゴルの開発に、もしかするとケルヴランも関わっていたのではないかと私は推測している。というのも、ケルヴランは炭酸カルシウムとイシモを使用して硝化バクテリアの培養実験を行ない、カリウムの増加を確認しているからである。

また1969年に行なったフランス農学院での講演の中で、彼は興味深い図式を示唆している。それは植物やその根圏においてはカルシウムからマグネシウムへの転換が生じ、動物では逆にマグネシウムからカルシウムへの転換が起こる一般的傾向があるというものである。つまり、これらの転換反応によって植物はクロロフィルの核となるマグネシウムを生成し、動物は骨格に含まれるカルシウムを形成するというのである。

ケルヴランが60年代後半から70年代にかけて行なった動物実験は後者の反応を証明するためのものであった。そして有機石灰肥料であるカルマゴルは前者の反応をもたらすためのものといえる。すなわち、ケルヴランの動物実験とレマール・ブーシェ農法はこの転換反応において表裏一体の関係であったことが理解されるのである。

その意味で、カルマゴルの開発に錬金術師が一定の役割を果たしていたことはまず間違いないと思われる。ただし、それがどのようなものだったかについては今後も調査する必要があるだろう。

ケルヴランの75年の著作によると、彼は生物学的農法の一つであるフロッホ・ルドー法のCh・ルドーと交流があったようである。このあたりはいずれ詳細を明らかにしていきたいと考えている。

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2007/01/04

眺望への道

2007年の年明けである。一年の計は元旦にありというが、それでは昨年の抱負は何だったのか思い出せないのが人間というものかもしれない。

思い出せないような一年の計であればことさら立てる必要もないのだが、それでも一度立ち止まって今の自分を振り返ってみるのもいいかもしれない。

思えば昨年の出来事は「シーザーの獅子」との出会いも含め、全てこれからの伏線であったような印象を受ける。そして今後歩んでいく道を思うとき、ひとつの異様な高揚感を覚えざるをえない。

それは漠然とした新春への期待感というものではない。そんなものは正月が終われば跡形もなく消えてしまうものである。この感覚は、これまで自分の足元を見つめて汗を流していた登山者が、ふと頂上を目にしたときの感覚に近いかもしれない。

今年の目指すところはもちろん論文集の完成ではあるが、それぞれの論考をケルヴランのいうところの核子クラスターとして完成させていくことがまず第一の目標である。そしてそれは、より大きな統合体へとフリタージュさせていくための根幹的な作業になるだろう。

すでに論文のいくつかはオペも完了し、今年中にはプロトタイプの完成を見ることができるものと考えている。もちろんそのためにはやらなければならないことも多い。頂上が見え出してからが正念場ともいえるだろう。

ここからの足どりが肝心である。頂上に到着する期待感とともに、その道程にある危険性にも留意しなくてはならない。それでも、誰もたどり着いたことのないその眺望への期待感は高まるばかりである。

今年一年、この高揚感をもってフリタージュ追究の道を歩んでいきたいものである。

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