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2006/12/21

枢機卿の思惑

ケルヴランは自らの論争について多くを語ることを好まなかった。そのため著作や論文の中で直接論争とつながってくる記述はごくわずかである。

実際、4年間にわたって様々な論争を繰り広げたL・ゲゲンの名前さえケルヴランの著作に出てくることはない。この点についてゲゲンは、自分との論争について言及していないのは礼儀に反すると述べているが、ケルヴランの心情も分からなくはない。誰しも自分の著作の中で批判を受けたことについて書くことはためらわれるものである。ましてやそれが読者を混乱させるものであればなおさらである。

だが、私としてはもう少し調査のための手がかりを残してほしかったと思う。農学アカデミーの論文報告の日付だけではデータベースでもどうにもならない。しかし、ようやくその論争の経緯も明らかになろうとしている。

75年の著作に残されていたわずかな記述を調べていくと、やはりデスター報告で提示された実験に批判が寄せられ、再度実験を行なうように裁定が下されたという。そして、デスター博士が体調を崩していたため、当時のアカデミー総裁であったH・ノエルアンがその代行としてケルヴランの再実験をアカデミーに報告したという。

しかしながらこの「異端審問」においてもケルヴランに好意的な意見は少なかった。参加者の一人であるG・バルビエはかつて「元素転換の先駆者の一人」と会合で会ったことがあるという。年代から考えておそらくバランジェ博士のことと思われるが、そのバルビエもまたケルヴランの実験結果には否定的な見解を述べている。

そしてゲゲンが高名な農学者だと述べている「枢機卿」S・エニン教授に至っては、ケルヴラン本人を目の前にして「このような研究には公表する価値があるとは思えない。」と断じ、「もしこの論文から公表されることがあれば、今後のアカデミーの会議で問題にする。」とまで述べている。

事実、「異端審問」から8か月後、エニン教授は当時アカデミーの会員ではなかったL・ゲゲンの反証実験をアカデミー会議に報告し、自らも強い論調で元素転換の不可能性を主張している。それは客観的な考察による問題点の指摘といったレベルではなく、敵対するものの反論を許さないオーラを放つものである。

なぜそこまで「枢機卿」は錬金術師を弾圧しようとしたのだろうか。これについてはエニン自身の科学者としての信条というものもあったに違いない。だが、少し気になる点がある。

エニンは農学アカデミーにおいてフランスを代表する農学者のデモロンと師弟関係にあったらしい。直接的な言及はないが、ケルヴランはこのデモロンの研究にも元素転換の存在を示唆している。おそらくこれを知ったエニンはアカデミーの名誉を汚すものとしてケルヴランを完全否定しようとしたのではないだろうか。そうすると、あの高圧的な批判表現も理解できる部分がある。

ともあれケルヴランと実際に論争を繰り広げたのはゲゲンだが、その背後にはエニン教授という枢機卿が主導的な役割を果たしていたことに間違いはない。その本質的な動機については今後も調査を続ける必要があるだろう。

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2006/12/14

甦る真実

「異端審問」の翻訳も終盤を迎え、錬金術師の最終弁論に入りつつある。今年の3月から翻訳を始めているが、完成するのは来年の2月になるだろう。そうしてみると異常に長い論争に思える。

このフランス農学アカデミーで討議されている実験は『生物学的元素転換』にも収録されているロブスターの実験である。しかし様々な資料を調べてみたが、この実験が実施された期間についての明確な情報は今のところ不明である。

1966年に出版された『生物学的元素転換』が1971年に英訳されたときに収録されていることから、66年から71年の間であることは間違いない。そして「異端審問」は70年2月だから、さらにそれ以前ということになる。

また、この実験に関してはケルヴランの68年の著作、そして70年の著作にも引用されている。ということは、66年から68年にかけてというように絞りこめる。しかしそれ以上の情報は今のところつかめていない。この間にケルヴランは別の実験を農学アカデミーに報告しているが、その前後関係についてはいまだ確定しがたいところである。

68年と70年の著作に含まれる記述は「異端審問」に提示されている実験の概要であり、大きく変わるところはない。しかし、「異端審問」以後の1975年に出版された『微量エネルギー元素転換の生物学における証明』を調べてみると興味深い記述が見つかった。

それによると、意外なことにこのロブスターの実験は二期に分けて実施されたという。一期目の実験は67年から68年にかけて、そして二期目の実験は68年から69年にかけて行われたというのである。その記述を詳しく調べていくと、これまでの実験とは見覚えのない数値が目に入った。「もしかするとこれは・・。」

68~69年の二期目の実験が70年2月の「異端審問」に提示された実験とすると、67~68年にかけて行なわれた一期目の実験は1969年1月のデスター報告で公表されたものかもしれない。すると、この数値はデスター報告の断片ではないだろうか。

これまでは「異端審問」以前の著作である68年や70年の著作ばかりを調べていたが、75年の著作になんとデスター報告の実験データが記載されていたのである。

デスター報告でどのような論争が行なわれたかは不明だが、少なくとも完全に闇に葬られたと思われていた実験データが残っていた。今後「異端審問」の記述との整合性を確認しなくてはならないが、これは論争の背景を物語る大きな発見といえるものだろう。

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2006/12/08

もう一つの預言

MRETアクティベーターが届いて一週間になる。この間活性化したミルクの比較テストを行なっていた。

同じ牛乳パックのミルクを二つに分け、片方をアクティベーターで30分間活性化し、もう一方はそのまま紙コップに注いでおいた。キッチンの隅に両者を並べて置いていたので、温度条件もほぼ同じといってよいだろう。

通常のミルクは二、三日たつと微生物のコロニーが形成され始めた。ミレット化したミルクの方は表面が膜状になり、初期に着生した微生物が小さなコロニーを作ったものの、その後は微生物が繁殖することはなくなった。

一週間がたった昨日、処分する前にミレット化したミルクを一口味わってみようと膜の部分を取り除いてみた。「・・え?」

通常のミルクは最後まで液状のままだったが、アクティベーターで活性化したミルクは、なんと底の方までヨーグルト状に変化していたのである。

MRETの発振体は音も振動も出さず、9V電源で30分間照射したばかりで熱も発生しない。エネルギー的にもわずかなものである。それがこれほどの違いをもたらすことに少なからず驚いた。

この実験はアメリカのMRETの代理店のサイト(http://www.magich2o.com/)にも掲載されているごく簡単なテストである。しかし実際目の当たりにすると、まるで人工的に元素転換が生じたような衝撃を受ける。

このミルクテストから言えることは、MRETによる活性化は腐敗作用を抑制し、発酵作用を促進するということである。たとえばこれを発酵食品の品質安定化のために応用することも可能だろう。また植物の栽培など農業方面にも応用できると思われる。

ちなみに日本で販売されている活水器は科学的根拠に乏しいものがほとんどである。磁気や遠赤外線、セラミックなどで水分子のクラスターを小さくすると言われているが、NMRなどでクラスターの大きさは測定できないという批判もなされている。また、仮に測定できたとしても、10のマイナス12乗分の1秒のレベルでクラスターの状態は変動するので意味がないとも言われている。関心のある方は調べてみるとよいだろう。

それに対してこのアクティベーターは、見かけはいかにも奇妙な装置ではあるが、もしかするととんでもないポテンシャルを秘めているものなのかもしれない。

私はふと『生物学的元素転換』の中にある活性水の記述を思い出した。一見元素転換とは何の関連もないように思われるが、当時の知見に照らしてケルヴランが残したその文章は、ミルクテストで確認されたMRETの驚くべき作用と響きあうものがあるように感じられる。ほんのわずかな活性化エネルギーが存在するか否かで、微生物の反応の方向性が決まってくるのである。

そうしてみると、このMRETアクティベーターは錬金術師が残したもう一つの預言を叶えるものといえるかもしれない。その意味で彼らはやはり「預言の使者たち」と呼べるのであろう。

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