知られざる世界遺産
以前に記したギゼル・イヴェールについてだが、ユネスコの当局者に尋ねてもその所在は判明しなかった。仕方がないのでユネスコのサイトをいろいろ調べた結果、ハイチのプロジェクトに彼女が参加している記述があったので、そのハイチの住所当てに手紙を送っておいた。
それにしてもユネスコ・ライブラリーに7本も論文を上梓しているイヴェールの所在がわからないとはどういうことなのか理解に苦しむものがある。彼女はユネスコの正規の職員ではないようだが、長年にわたって遺跡調査プロジェクトに参画しているはずである。組織が大きいと自分のところのウェブサイトにも目が届かないというものだろうか。
それはともかく、イヴェールの手紙には国際返信用切手も同封しているので、無事に届けば何らかの連絡はあるだろう。ただしハイチのプロジェクトの期間が不明なところがネックではある。
ところでユネスコ・ライブラリーからは別の収穫もあった。ケルヴランが1972年の『微量エネルギー元素転換』第2版で紹介しているG・シューベルの論文が手に入ったのである。
G・シューベルはアフリカ地質学の関係でユネスコとの共同調査なども行なっていたらしい。1968年にユネスコがアフリカの鉱産資源についてまとめた報告書の中に彼の論文も収録されている。
シューベルはもともとモロッコ地質調査局長として長年にわたりアフリカの地質調査を行なっていた。そして1952年に「花崗岩化作用と原子核物理学」という論文の中で原子核パリンジェネシス仮説というものを提唱している。
この原子核パリンジェネシス仮説は、簡単にいえば花崗岩化作用における生成鉱物と消失鉱物の不一致をケルヴランの元素転換説のようなプロセスで解釈しようとするものである。これはあまり評判が良くなかったみたいだが、1968年の論文においてシューベルはなおもこの仮説を捨て去ることなく、ケルヴランの研究を引用してその可能性を提起している。
ケルヴランが引用した部分はわずかなものだったが、今回その90ページ以上にのぼる全文をユネスコ・ライブラリーは無償で送ってくれた。今の段階で翻訳に手をつけることはできないが、これはひとつ大きな収穫ではあった。
後にケルヴランの地質学における実験を援助したシューベルが、なぜ彼の研究を拠り所としたのか、その具体的な証明となる「世界遺産」のひとつと言えるだろう。
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