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2006/10/24

謎を知る女

フリタージュは追究するほどに謎が深まる感があるが、ここで少しケルヴランの初期の著作に立ち返ることにしよう。
HPにも引用しているが、1963年の著作『自然の中の元素転換」にはケルヴランが行なったとされるバクテリアの転換実験の写真が掲載されている。これは非常にインパクトの強いものであり、マンガンから鉄への元素転換を示すものとして知られている。
しかしここで少し訂正しておきたいのは、この実験はケルヴランが単独で行なったものではなく、P・フュゼイという研究者が行なった実験にケルヴランが立ち会ったものらしい。写真自体はケルヴランが撮影したとされているので共同研究と言ってもよいだろう。
だが、非常に有力な実験的証拠とされるこの写真については多くの謎が残されている。

1963年の著作において元素転換のまぎれもない証拠として提示されたこの写真は、その後のケルヴランの著作には掲載されていない。1973年の『微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明』にも引用されていないし、またフランスのラ・ロシェルで1972年9月に開催された建築用石材の劣化に関する国際会議にもケルヴランは出席しているが、そこで報告された論文にもこの実験に言及されることはなかったのである。

『自然の中の元素転換』の記述によると、この実験は微生物学者のフュゼイが劣化した石材に着生していた放線菌類の一種であるマイコバクテリアを単離培養し、転換反応を試みたものだという。だがそこには培養液や生成物の組成分析も示されておらず、その詳細を公表するのは時期尚早であるとされているばかりである。

この実験について明確な分析データが判明すれば元素転換の有力な証拠となるだろう。しかしその時代のケルヴランの論文や寄稿記事にもこれについては全く言及がない。
もしかするとフュゼイの論文のいずれかにそれに関する記述が残っているのかもしれないが、今のところそれらしい文献は見つかっていない。
おそらく今後もそのような文献が見つかるかどうかは定かではないが、この実験にはもう一人の人物が関わっている。それは長年にわたりフュゼイの助手を務めた女性研究者のギゼル・イヴェールである。

1991年にフランス極東学院から出版されたフュゼイの著作、『カンボジア砂岩の生物学的変質とその防止方法の研究』にもイヴェールはすばらしい遺跡写真を残しているが、その後も彼女はボロブドール遺跡などの調査を行なっている。そして最近になって判明したことだが、彼女は技術コンサルタントとしてユネスコの世界遺産のプロジェクトに今も携わっているらしい。

そこでフュゼイとケルヴランが行なったとされるこの実験について情報を得るため、イヴェールの所在を突き止めようとしたのだが、海外の現地滞在が多いせいかユネスコのサイトからは情報を得ることはできなかった。

仮にイヴェールに連絡がついたとしても、すでに数十年も前の実験について明確な言質が得られるとは限らないが、ゲゲンのように重要な情報をもたらしてくれる可能性もある。その意味では真実を知るのは彼女だけなのだから、継続的に調査を続けていきたいと思っている。

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