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2006/10/30

*Communication

Bonjour M.(ou Mme) etranger,

Merci beaucoup pour la visite chez moi !
Qu'est-ce que vous cherchez dans ma web-site ?
Prenez-vous de contact sur ma adresse, s'il vous plait.

E-mail: cathedral@nifty.com

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2006/10/24

謎を知る女

フリタージュは追究するほどに謎が深まる感があるが、ここで少しケルヴランの初期の著作に立ち返ることにしよう。
HPにも引用しているが、1963年の著作『自然の中の元素転換」にはケルヴランが行なったとされるバクテリアの転換実験の写真が掲載されている。これは非常にインパクトの強いものであり、マンガンから鉄への元素転換を示すものとして知られている。
しかしここで少し訂正しておきたいのは、この実験はケルヴランが単独で行なったものではなく、P・フュゼイという研究者が行なった実験にケルヴランが立ち会ったものらしい。写真自体はケルヴランが撮影したとされているので共同研究と言ってもよいだろう。
だが、非常に有力な実験的証拠とされるこの写真については多くの謎が残されている。

1963年の著作において元素転換のまぎれもない証拠として提示されたこの写真は、その後のケルヴランの著作には掲載されていない。1973年の『微量エネルギー元素転換の地質学と物理学における証明』にも引用されていないし、またフランスのラ・ロシェルで1972年9月に開催された建築用石材の劣化に関する国際会議にもケルヴランは出席しているが、そこで報告された論文にもこの実験に言及されることはなかったのである。

『自然の中の元素転換』の記述によると、この実験は微生物学者のフュゼイが劣化した石材に着生していた放線菌類の一種であるマイコバクテリアを単離培養し、転換反応を試みたものだという。だがそこには培養液や生成物の組成分析も示されておらず、その詳細を公表するのは時期尚早であるとされているばかりである。

この実験について明確な分析データが判明すれば元素転換の有力な証拠となるだろう。しかしその時代のケルヴランの論文や寄稿記事にもこれについては全く言及がない。
もしかするとフュゼイの論文のいずれかにそれに関する記述が残っているのかもしれないが、今のところそれらしい文献は見つかっていない。
おそらく今後もそのような文献が見つかるかどうかは定かではないが、この実験にはもう一人の人物が関わっている。それは長年にわたりフュゼイの助手を務めた女性研究者のギゼル・イヴェールである。

1991年にフランス極東学院から出版されたフュゼイの著作、『カンボジア砂岩の生物学的変質とその防止方法の研究』にもイヴェールはすばらしい遺跡写真を残しているが、その後も彼女はボロブドール遺跡などの調査を行なっている。そして最近になって判明したことだが、彼女は技術コンサルタントとしてユネスコの世界遺産のプロジェクトに今も携わっているらしい。

そこでフュゼイとケルヴランが行なったとされるこの実験について情報を得るため、イヴェールの所在を突き止めようとしたのだが、海外の現地滞在が多いせいかユネスコのサイトからは情報を得ることはできなかった。

仮にイヴェールに連絡がついたとしても、すでに数十年も前の実験について明確な言質が得られるとは限らないが、ゲゲンのように重要な情報をもたらしてくれる可能性もある。その意味では真実を知るのは彼女だけなのだから、継続的に調査を続けていきたいと思っている。

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2006/10/15

悪魔の弁護人

デスター報告の件で折り合いが悪くなったわけではないが、それ以来ゲゲンとの連絡は途絶えている。私は協力してくれたことに感謝の意を伝え、何か新しいことがわかれば知らせてほしいと頼んでおいたが、目新しい事実は出てこないのだろう。「シーザーの獅子」との二回戦終了という感じである。

「異端審問」を再度読み直してみるとデスター報告が抹消されたことについての明言はないが、そのような文脈から捉えかえすと改めて理解される部分もある。

デスター博士は1967年にもケルヴランの論文を農学アカデミーに紹介しており、この論文はすでに翻訳もすませている。そのときにも若干の議論が交わされており、植物学者のウルリッヒなどが批判したケルヴランの実験に対して、デスター博士はわりと寛容な態度で接している。

ちなみに1970年2月に行なわれた「異端審問」には、デスター博士は「容態が思わしくないため」欠席している。良き理解者を失ったケルヴランは孤立無援の状態で、この「異端審問」に臨んだわけである。

論文紹介後にノエルアンに発言を促されたケルヴランは、農学アカデミーの列席者を見わたして次のように言い放った。「私は、よろこんで悪魔の弁護人を引き受けよう!」

なかなか不敵な第一声だなと思っていたが、およそ一年前に自分の論文公表を闇に葬ったアカデミーの面々を前にした宣戦布告ととらえるなら、そのときの並々ならぬ空気感も伝わってくるというものである。

錬金術師にしてみれば、お前たちの腹の底はわかっている、それを承知のうえで私はこの闘いに臨んでいるのだという、静かだが激しい決意がこめられていると言えるだろう。

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2006/10/10

消された公文書

「異端審問」の記述によると、デスター報告は1969年1月22日のフランス農学アカデミーの会議報告書に収録されているという。そこでゲゲンにこの会議報告書を調べてもらうように依頼しておいた。

先週末にゲゲンは、アカデミーの図書館から借りた会議報告書をスキャンしたファイルをメールに添付して送ってくれた。ようやくデスター報告が手に入ると期待してファイルを開けてみた。
しかしそこにあったのはほんの数行にみたないデスター博士のコメントだけだった。
「・・どういう了見だ。ゲゲン?」
「異端審問」も前半部の翻訳は終わっている。そこに記述された内容によると、ケルヴランが報告した実験に対してデスター博士以外の出席者も具体的な討議を行なっているはずである。こんな短いコメントがデスター報告であるはずがない。

ゲゲンによると、この日の会議で公表された論文はなく、送付したデスター博士のコメント以外の記載はなかったという。
こちらも趣味道楽でやっているわけではない。私はゲゲンに、以前送ったファイルの中にある論文No.3(「異端審問」)の記述を確認してほしいと伝えた。この日の会議にデスター博士によってケルヴランの実験は報告されているはずなのである。

ゲゲンは「ブルターニュ人より頑固な日本人がいるとは思わなかった。」と返してきた。長年にわたって論争を繰り広げたケルヴラン、そしてゲゲン自身もブルターニュ出身なのである。
しかしやはりこれ以上の記述はなく、博士のコメント以降はヤシ科の植物の病気にテーマが移っているという。

私はエニン報告のある記述を思い出した。それによると「異端審問」の公表には物理化学分野の出席者全員が反対したという。そしてエニン教授によると「わがアカデミーの規則には、こうした状況に由来する不都合を避けるための条項が存在する」という。
つまり、根拠不十分と思われる実験報告がなされた場合には、アカデミー会員の総意によってそれを公式記録から抹消することができるということらしい。

おそらくデスター博士のコメントだけが不自然な形で残っていたのも、このような抹消処理がなされたためではないだろうか。そして博士からその通知を受けたケルヴランは再度実験をやり直して「異端審問」に臨んだのかもしれない。
はたしてデスター報告がどのような内容だったのか、そしてなぜアカデミーの公式記録から抹消されたのかは今となっては知るよしもない。しかしこの事実は、ケルヴランと農学アカデミーとの激しい対立を物語るものといえるだろう。

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2006/10/05

牙をむく獅子

ゲゲンとの話は思わぬ方向に進んでいった。
私はレマール・ブーシェ法の成立プロセスを探ることによってカルマゴルの謎を究明しようとしていたのだが、ゲゲンにとっては生物学的農法さえ疑似科学の類であり、気をつけていたつもりではあったのだが、またもや彼の中に眠るライオンを起こしてしまったようである。
「こういうことを言わなくてはならないのは残念だが、あなたが疑似科学的な話題に終始するのであれば私たちの議論は不可能となるだろう・・。」

またかと思ったがこれでは仕方がない。カルマゴルについては別個に調査することにして、私は話題を変えることにした。
1970年に行なわれた「異端審問」の翻訳を現在進めているが、以前に私はこれを正確に翻訳するには、少なくともあと二つ資料が必要だと書いたことがある。その一つはすでに入手しているエニン報告であり、S・エニンの前文を除けば翻訳もすでに終わっている。
またこの資料にはゲゲンの実験も収録されているので、彼は日本語は読めないが完成の報告としてPDFにして送付しておいた。これを見たゲゲンは少し機嫌を直したようである。

しかしもう一つの資料であるデスター報告はいまだに手に入っていない。これは1969年にフランス農学アカデミーにおいてデスター博士がケルヴランの研究を紹介したものらしいが、「異端審問」の記述の中でわずかに触れられているだけで正確な書誌情報がつかめていない。そのためこれまで国内の業者に二度発注したが、いずれも情報不足ということでキャンセルされている。

デスター報告については資料ファイルを送付したときにゲゲンにも伝えていたが、あいにくバカンスの時期だったのでアカデミーの図書館も閉館していた。
そこで今回再び、この資料の書誌情報を知りたいので調べられるようなら教えてほしいと依頼しておいた。
ゲゲンによると、10月からアカデミーは新しい年次に入るので何かわかったら報告するとのことだった。

はたしてデスター報告が入手できるかどうかは不明だが、今後はアカデミー関係の話題にしぼり「シーザーの獅子」を起こさないようにしたいものである。

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