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2006/09/29

Enigma

J・ブーシェの著作やその他の資料を調べたが、依然としてカルマゴルの謎は解けないままだった。
そこへ思いがけずゲゲンから久しぶりにメールが届いた。音信が途絶えておよそひと月になるが、私のことを気にかけてくれていたようである。

調査をつくさずにゲゲンに頼ることはよくないとは思ったが、彼ならおそらく何か知っているのではないか。そう考えてこのカルマゴルの謎について「Enigma」と題するメールを送り、ゲゲンに尋ねてみた。
ゲゲンによるとこれは謎ではないという。レマール・ブーシェ農法は約30年にわたってフランスで普及されていた代表的農法だが、カルマゴルはケルヴランの支持の下に何ら科学的根拠もなく喧伝されたものだという。

しかしたとえそうであったとしても、一体誰がカルマゴルを開発したのか、そしてケルヴランもカルマゴルの存在についてなぜ何も語っていないのか、これらについては不明のままである。
そこで私は一つの賭けに出た。フランス農学アカデミーの図書館なら、レマール・ブーシェ法の農業紙「アグリカルテュエ・エ・ヴィ」が収蔵されているかもしれない。この業界紙にはケルヴランも何度となく寄稿している。
私はゲゲンに、もしアカデミーの図書館にこの業界紙が収蔵されているなら、この点についてケルヴランが記事を書いていないか調べてみてほしいと依頼した。

INRAの名誉研究部長に依頼するような仕事ではないことは十分承知しているが、彼が「シーザーの獅子」なら私もフリタージュの鬼である。フリタージュのためなら多少手荒いこともこなさなくてはならない。

ちなみにレオン・ゲゲンはフリタージュの完全な否定論者であることを除けば、非常に尊敬に値する人物である。
これまでに私はいろんな外国人と接する機会があったが、なかには自己主張が強いだけの人間もいた。
しかしゲゲンは私の様々な質問に対して適確な回答を行ない、私が持っていない資料は迅速に送付してくれた。
4人の孫がいるという式部官は、30年以上も農学研究に携わる一流の科学者であると同時に一流の人物である。
今回の依頼は少し無理があるかもしれないが、彼ならレマール・ブーシェ法の実体について何かヒントを授けてくれるかもしれない。その回答が来るまでさらに調査は続けていくつもりである。

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2006/09/19

幻のフリタージュ農法

レマール・ブーシェ農法について少しずつ調べているが、インターネットの検索で出てくるものはほんのわずかなものである。
そこで創立者の一人であるJ・ブーシェの『混沌の時代に向けて』という著作を取り寄せてみた。1967年という年代からも推測されていたのだが、やはりそこにはケルヴランの生物学的元素転換が大きく引用されていた。
しかし、ケルヴランの著作の中にはレマール・ブーシェ法についての記述はほとんど皆無である。唯一1970年の著作の序文に「レマール・ブーシェ法はフロッホ・ルドー法とインドール・ホワード法を統合し、マメ科の植え付けを組み合わせたものである」という記述があるばかりだ。これでは何のことかさっぱりわからない。

その一方、C・レゲルやL・ゲゲンの批判記事の翻訳からも意外なことがわかってきた。
レマール・ブーシェ法では「カルマゴル」という調合剤を使用しているが、このカルマゴルはなんと生物学的元素転換の活性剤として販売されていたらしい。
カルマゴルとはイシモという藻類を粉末加工したもので、その主成分であるカルシウム・マグネシウム・オリゴエレメント(微量元素)の頭文字から命名されたものらしい。
肥料としての藻類は古くから使われてきたし、苦土石灰性の生物資材としての有効性もあるだろう。だがフリタージュの触媒的活性剤として使用されたことは初耳である。

ケルヴランは早くからレマール・ブーシェ法を支持していたので、このカルマゴルが元素転換のアクティベーターとして販売されていたこともおそらく知っていたはずである。しかし不思議なことに、このカルマゴルについては彼の著作や論文のどこにも見当たらないのである。
ちなみにイシモ自体は私の翻訳した『生物学的元素転換』にも元素転換の生成物として登場する。だが、元素転換の生成物が他の元素転換の活性剤となりうるという主張をケルヴランがしている文章は見たことがない。

R・シュタイナーのバイオダイナミック農法がある種の占星術的農法であり大地に対するホメオパシーであるなら
、レマール・ブーシェ法はそれに対応する錬金術的農法といえるだろう。しかし「シーザーの獅子」からの情報では、少なくとも1980年代にはこのレマール・ブーシェ農法はフランス国内では姿を消しているという。

はたしてこのレマール・ブーシェ法の実体とは何だったのか、そしてなぜカルマゴルが元素転換の活性剤として採用されたのか、この点についてはさらに調査を進める必要があるだろう。

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2006/09/11

歴史の証人

翻訳という作業はある意味では効率の悪い仕事である。完成した文章を読むと、いかにも簡単にできたように見える。逆にいえば、苦労のあとがしのばれるような訳では完成度は低いともいえるが、そこまでたどり着く労力は並大抵ではない。そして作業にはどうしてもまとまった時間が必要になるので、私でいえば一日十行進めばいいほうかもしれない。山登りを走って登れないのと同じである。

実はすでにケルヴランの初期の論文のいくつかは翻訳が完成している。そしてオペも終わったものもあるので、論文集の構成を少しずつ検討しつつある。
まだプロトタイプを作る段階ではないが、それでも具体的な方針は見えてきている。そして初期の論文で語られていたことが、後の実験や論争と関わっていることがわかってきており、その点でも興味深い。これについては少し解説を加えながら展開していったほうがよいと思うので、そのための補足も付け加えていく必要があるだろう。

旅に出たゲゲンもおそらく帰国しているはずだが、それ以来連絡はない。いずれ翻訳がひと区切りついた段階で、あらためて挨拶をしようと思う。
実はメールをしている最中にちょっとした「危機」があった。私はケルヴランのHPやこのブログについてゲゲンには伝えていなかった。ゲゲンは日本語を読めないだろうし、議論していた問題とも関連がなかったからである。
ところが、私が伝えたホレマン博士やビベリアン博士のサイトなどを通じて、ゲゲンは私のHPの存在に気づいたらしい。このブログに私の名前でアクセスしてきたのも彼だろう。そして日本語は読めないものの、私がケルヴランの絶対的信奉者と考えたようである。

メールの中でゲゲンは次のように伝えてきた。「あなたがケルヴランの絶対的信奉者であれば、これ以上議論することはできない!」
この事は予測しうることだったので、私は次のように答えた。
「私のHPはケルヴランの学説を一つの作業仮説、あるいは「命題」として日本人に紹介しているものである。私はあなたのように反証実験を行なっているわけではないので、この学説について断定的な見解を抱いているわけではない。私の目的はただ一つ、この問題の本質を明らかにすることである。その意味で私は客観的かつ公正な立場で検討を進めている。もし私が彼の絶対的信者であれば、あなたとこれほど長く議論することはできなかっただろう。」
ゲゲンはこの回答に納得したようで、以後の質問にも滞りなく答えてくれた。そして私の論文集について、あくまで客観的かつ公正に事実を伝えてほしいと注文してきた。

実際彼に対する私の返答は偽らざるものであり、私もケルヴランが著作や論文で述べている仮説的な話まで全て正しいと考えているわけではない。ただ、そこにどのような真実があるのかは究明していく必要があると思う。
その意味で私は、錬金術師も式武官も裏切るつもりはない。なぜなら私はフリタージュの歴史の証人なのだから。

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2006/09/04

歴史の真実

ゲゲンは8月末から旅行に出かけるとのことで、およそ一か月にわたる「シーザーの獅子」との闘いはひとまず終息を迎えた。
実のところ、ゲゲンのメールは長いときにはA4用紙2枚分ぐらいあり、メールの返信をするのに2日かかるほど翻訳に難渋していた。本来の資料の翻訳にも支障が出ていたので、このあたりでひとまず区切りがついたのは幸いだった。
それにしてもゲゲンからの情報は実に意外なことばかりだった。
ケルヴランの批判をする上で、彼は実に綿密にその著作や論文を調べている。その意味では現代のフリタージュ研究者でも右に出る者はいないだろう。
たとえば彼はP・バランジェと1973年に会見し、バランジェもまた錬金術師のやり方に憤りを覚えていたと語っている。
P・バランジェ教授は『植物の神秘生活』でも知られるように、ケルヴランの初期の著作や論文でも引用されている強力な支持者である。その彼がケルヴランに異を唱えたとは考えにくい。そのようにゲゲンに伝えたのだが、彼は資料的な証拠を示すことはできないものの、これは確かな事実だと答えた。
いったいケルヴランとバランジェの間に何があったのか推測するべくもないが、ゲゲンがいまさら根拠のないことを私に伝える理由もない。このことは一つ明記しておくべきことだろう。

ゲゲンとのメールがひと区切りついたので、私はこれまでの資料を整理して論文集の構成を再検討することにした。これまで私が考えていたのは、ケルヴランの初期の論文を年代順に整理し、その思考プロセスの進展過程を把握できるような資料集にしたいと考えていた。つまり社会科でいうところの歴史資料集である。
しかし、この一年の間に見つかった数々の論争資料、そしてL・ゲゲンの証言を得た今は、それでは不十分であると感じざるをえない。
つまり、当時のフランスにおいてどのような形でケルヴランの元素転換説が取り扱われ、生物学的農法などと絡みつつ、支持者と対立者の闘いを生み出していったのか、そのリアルな歴史を掘り起こさなければならないと思うのである。
これには資料の翻訳のみならず、レマール・ブーシェ農法などのより詳細な調査なども必要になるだろう。しかし、それを目指さなくてはこの問題の本質に迫ることはできないと思う。
おそらく今年と来年はそのための翻訳と調査に没頭することになるだろう。そして今まで誰も知ることのなかった錬金術師の真の姿を目にすることができるに違いない。

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