静かな決意
L・ゲゲンから二つ目の資料が郵送されてきた。それは1970年にフランス農学アカデミーで公表された彼の論文であり、その概要については本稿でも実験データとともに紹介したことがある。
しかし、実はその論文にはS・エニンによる5ページ余りの前文が付随していたのである。
この論文自体はゲゲンと知りあう前にBLDSCからすでに入手しており、そのときにも論文のタイトルの前にわずかな文章が記載されていたが、特にケルヴランや元素転換に関する言葉は見当たらなかったので、農学アカデミーの別の記事のものだと考えていた。
しかし私の送ったファイルを確認したゲゲンからそのような指摘を受けたので、もしS・エニンの前文があるのなら調べてほしいと頼んでおいた。
ゲゲンによると今はバカンスなので、アカデミーの図書館も9月末まで開かないという。図書館が開いたら確認してみると言ってくれていたが、幸いにもゲゲン個人の資料の中に残っていたので送ってくれたようである。
S・エニンはケルヴランがロブスターの実験をアカデミーに報告したときの「異端審問」に出席して議論を交わしている。私はこのエニンの働きかけによってゲゲンが反証実験を行ない、およそ半年後にその論文を上梓したものと考えていた。
しかしゲゲンに確認すると、自分の実験はあくまで自発的に行なったものであり、アカデミーのメンバーに影響を受けたものではないという。そしてS・エニンはケルヴランが講演を行なったフランス国立農学院(INA)の教授であり、当時ゲゲンはまだアカデミーの会員ではなかったため、エニンの介在によってその論文が公表されるに至ったのだというのである。
ちなみにケルヴランがINAで行なった講演は『農学における生物学的元素転換」という著作としてまとめられているが、その経緯についてゲゲンは1968年の5月革命がきっかけになっているという。この5月革命時にフランス全土でゼネストが起こり、INAの運営体制もその余波を受けて紛糾をきわめたらしい。そこで二人の学生がケルヴランの講演を企画して実現したのだという。
ちなみにゲゲンはこの二人の学生の名前まで正確に知っており、情報の信頼性は高いと思われる。INAはフランスの農芸技師を育成する教育機関であり、ゲゲンの所属するINRA(フランス国立農学研究所)とも一定の関係を保っているらしい。
ゲゲンは、ケルヴランに対しては相変わらず辛辣な言葉を述べているが、奇妙なことに私の論文集には関心が高く、できれば英語かフランス語でアブストラクトが読みたいとまで言ってきた。
しかし皮肉なことだが、ゲゲンとの交流を通じて私はこれまで考えていた論文集の構想を改めなくてはならないという思いに捕われつつあった。
いまは亡き錬金術師から受け継いだもの、そして年老いた式武官が私に託したものをまとめ上げ、彼らの闘いの真実を明らかにしようという決意が、私の中で静かに湧き上がってきたのである。
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