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2006/07/26

ケルヴランと闘った男

今回は前回報告した70Librの具体的な内容に付いてさらに検討するつもりであったが、最近になって最重要人物とのコンタクトが取れたので、予定を変更することにしたい。

現在翻訳を進めている資料の関係からL・ゲゲンの所属していたI.N.R.A.(http://www.inra.fr/)のサイトをいろいろと調べていたのだが、一つの重要な事実がわかってきた。かつて錬金術師と死闘を繰り広げたレオン・ゲゲンは当時一介の研究指導官だったが、いまなおI.N.R.A.に在籍していることが判明したのである。

あれから約35年、ゲゲンはI.N.R.A.の名誉研究部長という地位に就いていた。しかもメールアドレスまで判明したので、私は当時の事実関係について探るべくメールを出してみた。
ゲゲンにとってケルヴランとの闘いはあまりよい思い出ではないだろう。ましてや35年前の出来事である。素性の知れない日本人からのメールなど無視されても当然である。
I.N.R.A.は日本でいうと農水省系の独立法人といったところだろうか。そのような組織の名誉職にある人物が適切な回答をしなかったとしても不思議ではない。

ところが先日、驚いたことにレオン・ゲゲン本人から直接メールが返信されてきたのである!! これは私にとって実に大きな衝撃だった。35年前の資料の中でしか知りえなかった人物から、かつての事件の真相を聞き出すことが可能になるとは・・。

ゲゲンはそのメールの中で、すでに過去のものとされている生物学的元素転換についてメールを受け取り、大変驚いたと述べている。そしてこの問題については過去にいくつかの雑誌に寄稿したことを認めた。
私は現在この問題に関するディスカッションを集約する作業を行なっていることを伝え、すでに入手しているもの以外の論考があれば教えてほしいと依頼した。

そして昨日届いたメールの中で、彼は1972年に公表した元素転換に関する批判的論考を郵送すると伝えてくれた。その最後には次のように書き添えられていた。
"I would be very interested receiving a copy of your discussion about this problem."
少しおかしな英語だが意味するところは理解できる。私は現在翻訳を進めている資料を集約して送付することを、かつてケルヴランと切り結んだゲゲンに確約した。

まさか論争の中心人物とコンタクトが取れるとは思わなかったが、今後の展開によってはL・ゲゲンを通じて論争の背景にある真相に迫ることが可能になるかもしれない。

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2006/07/19

幻の古文書

ケルヴランの著作のなかでもっとも稀少価値のあるもの、それは1970年に出版された『農学における生物学的元素転換』である。この著作は他のものと異なり、フランス国立農学協会でケルヴランが行なった連続講演がまとめられている。
フランスにはリーブル・レア・ブックスとかガラクシディオンといった古書店のネットワークがある。なかでもアベブックスは蔵書も豊富でよく利用しているが、過去5年間にこの70年の著作が市場に出てきたことは一度しかない。しかし、すぐにオーダーをかけたもののすでに売却されたあとだった。

どうしてこれほど出てこないのかは不思議だが、おそらく出版元のマロワンヌが特殊な講演集ということで部数を抑えたためではないだろうか。ケルヴランの他の著作は第2版も含めてそろっていたが、これだけがどうしても見つからない。仕方がないのでBLDSC(ブリティッシュ・ライブラリー・ドキュメント・サプライセンター)に文献複写を依頼した。ところが著作権があるので、一部は複写できるが全てをコピーすることはできないという回答だった。

法律を盾にとる連中ほど無能な仕事しかできないものだ。ならばということで、私は最初に表紙と目次だけのコピーを依頼し、二回目に残る全てのページを複写させた。こうして70年の著作をコピー版として入手したわけである。

しかしこの著作には他の著作には収録されていない画像も含まれていた。そこでe-Bayというオークションサイトにこの本を探しているメッセージを投稿したところ、フレッドという人からフランスのあるe-Bayメンバーに連絡を取るようにとのメールが届いた。教えられたIDをもつメンバーにフレッドから聞いた旨を伝えると、ベルナールと名のるその人物は、たしかにそのrare bookをもっていると答えた。
70年の著作をrare bookというところをみるとベルナールはそのあたりの素人ではない。しかし彼は送料抜きで65ユーロを提示してきた。これではBLDSCでコピーしたものと同じ金額までいくことになるので、交渉は決裂した。

そして先月のことだが、奇跡的にこの著作がもう一度ネットワークの方にリストアップされたのである。さっそくオーダーをかけるとまたも売却済という知らせが来た。しかしどうも腑に落ちない点があった。それは一緒にリストアップされていた他のケルヴランの著作も消えていたからである。「もしかすると・・。」
はたしてその予感は的中していた。ケルヴランの収集に力を入れているフィロシアンスという古書店がまとめて買い上げていたのである。

フィロシアンスは以前にもe-Bayでケルヴランの原書を買い付けていたのを見たことがある。店主のアルノーは4年前にケルヴランの原書を注文した変わった日本人のことを覚えていた。そこでようやく70年の原書をオーダーすることができたのである。
15ユーロで別の書店が出していたものを買い上げて40ユーロで売りに出すというのはいささかあこぎではあるが、現在探している別の書籍についても見つかれば連絡をもらえるようにと伝えておいた。
あまり期待はしていないが、商魂たくましいアルノーのことである。あるいは予想外の結果を出してくれるかもしれない。

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2006/07/10

失われた「賢者の石」

それにしても、なぜケルヴランやキエフ・グループが元素転換実験に成功しているにも関わらず、L・ゲゲンやガルラスケリのように元素転換は認められなかったとする反対の実験結果が出てくるのだろう?
これには生物を使用したデリケートな実験という以前の問題があるように思われる。

私たち人間も、必須アミノ酸やビタミンなど生きていくために必要であるにも関わらず、自分自身では作り出せない栄養素がある。しかし、もともと生命とはそのような不完全な存在だったのだろうか?
実は生物には本来、過酷な環境を自分自身で生き抜くためのフリタージュ能力がそなわっていた。ところが進化の歴史の中で様々な種の分化が進み、それらの生物種が相互に複雑な共生関係を築き上げるようになってきた。

たとえば人間はもともと木の実や野草を生食していたと思われるが、農耕を営むようになって栽培植物を次第に品種改良するようになった。その過程で本来苦味やえぐみのあったキュウリなどは食べやすいものに変化し、稲は脱粒性が改善され、実持ちのよいものに変わっていった。そしてこうした栽培植物は人間に飼いならされることによって次第に野性的な生命力を失い、人の手を借りないと自生できないほどになっていったのである。

このような外的な相利共生の関係が築かれるにしたがって、生命は自分自身で必要な栄養素を作り出すというフリタージュ能力を発現する必要がなくなっていったのである。そしてフリタージュを発現させる「賢者の石」であるオペレーター遺伝子はほぼ休眠状態となり、いまではジャンクゲノムと見なされるようになった。
だからこそ、ケルヴランやバランジェのように長年研究してきたものにはそれが観察され、場当たり的な実験を行なったゲゲンらには元素転換が見出されないという、きわめてあいまいな結果が出るようになったのである。

また、キエフ・グループのように放射能耐性菌を強烈な放射能に浴びさせるとか、炎天下のサハラ砂漠で何時間も重労働をさせるといった過酷な生存状況におかないと、生き抜くための最後の切り札であるフリタージュ能力が発現されにくくなっているという事実も、このことを傍証していると思われる。

かつては誰もが手にしていた「賢者の石」だが、フリタージュ能力の退化した現代に心得ちがいな者がそれを手にしても、生かす術はないということである。

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2006/07/04

群がる論敵

『レゾ・プレザンテ』の論争においてケルヴランの反論が掲載されたあと、ガブリエル・ゴアは反論掲載権を行使するのはもっともであると認めながらも、辛辣な批判を行なっている。

それは生物学的元素転換の研究に対するものではなく、ケルヴラン個人へのあからさまな人格否定であった。「パリ大学会議部長」などというポストは聞いたことがないとゴアは主張し、ケルヴランは理学博士号を持っていないとまくし立てた。その上で「私個人は学位にこだわるものではないが、持っていない肩書きを装い続けるような人物を信用する気にはなれない。」と述べ、ケルヴランの研究者としての資質をまっこうから否定したのである。

狭い世界で自分の哲学を振りまわす厄介な頭人間はいるものだが、このゴアの徹底した個人攻撃は問題のすり替えもはなはだしいものであり、まともに耳を傾ける気にはならない。しかし、どうやら彼にはそれを行なう動機があったようである。

1960年代半ばにエルネスト・カハネという人物が、発芽した種子に含まれる硫黄の増加は元素転換ではなく、有機硫黄分が無機硫黄分に変化したためであると主張したらしい。この発言が錬金術師の逆鱗にふれ、E・カハネはフリタージュの剣の前に屈することになる。

実はガフリエル・ゴアはこのカハネの知人であり、レオン・ゲゲンという刺客を擁したのも友人カハネを倒した錬金術師への復讐とも思えるふしがある。このカハネとケルヴランの論争については今後の調査に待たなくてはならないが、この時代のケルヴランの闘いは相当激しいものがあったようである。

そしていみじくも思い出されるのは「まさにケルヴランこそが論争の時代を切り開いたのである。」というR・フロンの言葉に他ならない。

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