フリタージュ活動の原点(6)
一か月ほどの入院生活を終えた私は、まだ痛む足を引きずりながら事故に巻き込まれた自分の自動車を見にいった。フロントガラスは砕け、車体はみごとに九の字に曲がっていた。はた目から見ても運転していた人間が五体満足とは思えない惨状だった。
しかしほんのわずかなタイミングのずれと不思議な偶然によって、私は九死に一生を得た。たしか24才頃のことだったが、もしかするとそこで私の命数は尽きていたのかもしれない。あるいは何か大きな力が私を救ってくれたのかもしれないと思うこともあるが、それが何なのかはいまだにわからない。
こうして仕事に復帰した私だったが、皮肉なことにケルヴランの翻訳は入院生活を通じて実にはかどっていた。現実生活につまずいた時というのは己自身を見つめ直す契機ともいえる。ケルヴランの翻訳はその意味で一つの内観に通じるものがあったのかもしれない。しかし九死に一生を得たから一念発起したというわけではない。翻訳を続けながらも私はいまだにケルヴランに疑念を抱いていた。いずれ明らかな矛盾点が出てきて、この翻訳は無意味になってしまうのかもしれないという思いが常にあった。私がやることはそのように全て行き止まりになるのではないかという不安が消えなかった。
そこで66Librの翻訳は順調だったが、それまで入手していた後期の著作とあわせてどれを読んでいくべきかを改めて検討するようになった。もしあのような事故で命を落とすようなことになっても後悔しない道を私は模索していた。
普通に考えると、最後の著作である82Librを翻訳すれば研究の全貌が把握できると思われるだろう。しかし目次を翻訳してみると、82Librには非常に厳密な指向性があることがわかる。そして当時の私にはそれをクリアする能力はなかった。フリタージュ理論の基本概念を把握していなかったからである。いろいろと検討してみたが、やはり専門であった地質学に関連する73Librの翻訳に着手しようと考えるようになった。75Librは生物学に関するものだが、これも当時の私には荷が重い著作だったのである。
こうして66Librの翻訳をいったん中断した私は73Librの翻訳を開始することにした。それは一つの曲がり角ではあったが、このことは66Librの完成を遅らせることにもつながった。しかし何が正しい道なのか誰も教えてはくれない。たとえそれが行き止まりでも行ける所まで行くだけだ。そう決意した私は、もはや道に迷うおそれを捨てて再び歩き出したのだった。
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