フリタージュ活動の原点(4)
大学時代には『生物学的元素転換』の英語版しかもっていなかったが、東京で会った科学ジャーナリストの方から教えられ、書店の洋書部からケルヴランの原書を入手することができた。手に入ったのはいわゆる後期三部作、73・75・82の各libreである。
一方仕事をしながら好きなことを追究するといっても就職先が内定していたわけではない。しばらくは父親の会社を手伝いながら勤め先を探すということになった。
だが自分にとってどんな仕事が向いているのか、大学時代にもいくつかアルバイトをしたことはあったが世間知らずの私にはさっぱり分からなかった。当然そんな状態で面接を受けても気のきいた言葉は出てこない。結婚する気もないのに見合いをするようなものである。自分には社会に適合できない劣等感が増えるばかりだった。
そのような中でもケルヴランの翻訳を進めていたわけだが、家族はそんな私にやさしくはなかった。精神的に追いつめられた私は都会に出て仕事をすることを考えた。例の科学ジャーナリストのような仕事をしたいと考えたのである。そして実際に上京するところまでいったのだが、当の本人にその考えを諌められ、あえなくこの計画は頓挫することになった。
あまり詳しく覚えていないが、この辺りになると何もかも嫌になっていたようである。私は全てを捨てて失踪した。このときに翻訳していたファイルも上京先に残していったので、その行方はわからない。そしていくつかの場所を転々とさまよったが、結局は郷里に帰ることになった。厳しい現実と狂っていく運命の流れの中で、私はケルヴランの翻訳など忘れようとしていた。
理想の実現のために現実と格闘してきた若い時代ではあったが、受け入れざるをえない敗北感だった。やがて郷里に戻った私は人のつてで小さな教材会社に就職することになった。
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