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2005/12/30

フリタージュ活動の原点(4)

大学時代には『生物学的元素転換』の英語版しかもっていなかったが、東京で会った科学ジャーナリストの方から教えられ、書店の洋書部からケルヴランの原書を入手することができた。手に入ったのはいわゆる後期三部作、73・75・82の各libreである。

一方仕事をしながら好きなことを追究するといっても就職先が内定していたわけではない。しばらくは父親の会社を手伝いながら勤め先を探すということになった。

だが自分にとってどんな仕事が向いているのか、大学時代にもいくつかアルバイトをしたことはあったが世間知らずの私にはさっぱり分からなかった。当然そんな状態で面接を受けても気のきいた言葉は出てこない。結婚する気もないのに見合いをするようなものである。自分には社会に適合できない劣等感が増えるばかりだった。

そのような中でもケルヴランの翻訳を進めていたわけだが、家族はそんな私にやさしくはなかった。精神的に追いつめられた私は都会に出て仕事をすることを考えた。例の科学ジャーナリストのような仕事をしたいと考えたのである。そして実際に上京するところまでいったのだが、当の本人にその考えを諌められ、あえなくこの計画は頓挫することになった。

あまり詳しく覚えていないが、この辺りになると何もかも嫌になっていたようである。私は全てを捨てて失踪した。このときに翻訳していたファイルも上京先に残していったので、その行方はわからない。そしていくつかの場所を転々とさまよったが、結局は郷里に帰ることになった。厳しい現実と狂っていく運命の流れの中で、私はケルヴランの翻訳など忘れようとしていた。

理想の実現のために現実と格闘してきた若い時代ではあったが、受け入れざるをえない敗北感だった。やがて郷里に戻った私は人のつてで小さな教材会社に就職することになった。

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2005/12/28

フリタージュ活動の原点(3)

小学生のときの卒業文集に、私は「山にこもって植物学者になりたい」と書いた。いま振り返ると、フリタージュの研究を通じて子供の頃に憧れていた孤高の研究生活を実現したといえるのかもしれない。人は夢を叶えようとするが、待っているのはいつも厳しい現実だけである。
ケルヴランのことをいくつかの著作に書いていた科学ジャーナリストは、当時の他のライターと比較しても独特の切り口をもっていた。出版社に連絡先を問い合わせた私は、一回生の頃からその方と連絡を取り合い、いくつかの記事や資料を送ってもらったりしていた。そしてアルバイトをして上京資金を貯め、その人と東京で会う約束を取り付けた。ちょうど三回生の冬のことだったと思う。
当時は携帯電話もなかったので、見知らぬ都会で一面識もない人と会うことはかなり無謀なことだったようにも思う。しかし、指定された吉祥寺のとある場所でその人と面会し、ケルヴランや桜沢のことを記した著作等についていろいろな話を伺うことができた。
その人も独自に調査を行ったらしく、数時間にわたる会談は大変興味深い内容だった。いま思えば、彼はケルヴランについては桜沢の翻訳書と「生物学的元素転換」の英語版、そしてケルヴランに関するいくつかの記事しかもってなかったようである。しかし記事にはできない話も多く、大きく目を開かされた部分があったことは否定できない。
一方私は大学に残って研究生活をしたいと入学当初は考えていた。しかし大学の現状を見るにつけ、最初の考えは少しずつ変化していった。
代返など当たり前で向学心のない学生たちはテストの前にだけ要領よく単位を取ろうと画策する。まるでゴキブリである。また大学周辺では学生による犯罪が横行していた。私も下宿で盗難にあったことがある。そして公務員然とした教官たちの仕事ぶりも気に入らなかった。残念ながら当時の私は人との出会いに恵まれておらず、師と呼べる人もいなかった。
研究者になることを夢見て入った大学ではあったが、私はこんな環境に染まることが嫌だった。夢を断念した私は大学を後にし、仕事をしながら自分の好きなことを追究していこうと考えた。そして、長く深い悪夢への道が始まったのである。

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2005/12/21

フリタージュ活動の原点(2)

私が大学で地質学を学んだことは以前にも述べたが、ケルヴランの研究に対する関心は特に地球化学における疑問点から浮上してきたといえる。

地殻を構成する元素で一番多いのは酸素、そして珪素による珪酸岩である。そして現在の大気に含まれている元素の大半を占めているのは窒素である。するとそこにはN2→Siという元素転換が生じていたのではないだろうか。こうした点について専門の地質学はあまり明確な答えを示してくれなかった。そこでもう一つの可能性としての元素転換に対する関心が深まっていったのである。

しかし桜沢の『自然の中の原子転換』ではあまり意図するところがつかみにくかった。そこでケルヴランの英訳本を入手して、少しずつ翻訳していくことにした。ちょうど私が20才前後の頃だったと思う。

ちなみに一回生のときの科目を履修するに当たって先輩に相談したとき、ほとんどの理系の学生はドイツ語を選択していた。当時はケルヴランの原書を翻訳することなど全く考えていなかったので、先輩の勧めどおりドイツ語を選択することにしたのである。

ところが大学に入学してひと月がたった頃、突然私は急病を患い、一か月ほど入院生活を送ることになった。これで歯車がくるったせいかドイツ語の単位を取ることはできなかった。

ひとつの挫折といえばそうだったが、ドイツ語の先生ともあまりそりが合わなかったので次に私はフランス語を選択科目にした。思えばこの挫折がなければ、後にケルヴランの原書を翻訳することもなかったわけである。そして現在、世界中の研究者と交流する上で、ドイツ語もフランス語も理解できることが非常に役に立っている。

挫折や苦しみというものはあまり経験したくないものだが、目先の失敗にとらわれずに自分を高めようとすることが大切なのではないだろうか。そこから必ず生まれてくるものがあるはずだと私は確信している。

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2005/12/17

フリタージュ活動の原点

HPの「天界の調律」は来年の5月頃までは継続することができるようなので、しばらくはこのブログと平行して進めることにしたい。「天界の調律」の方はかなり専門的な話題も取り上げているので、この「暗合する星位」では移行措置として、しばらくはその番外編といえるテーマで進めていきたいと思う。
折しも年の節目でもあるし、このあたりでフリタージュ活動の原点となる私のこれまでの経緯を振り返ってみることにしたい。
私がケルヴランの研究について知ったのは高校生の頃のことだった。ある科学ジャーナリストの書いた本の中で触れられていたのだが、非常に強く関心を抱いた反面、本当に実証的な研究なのか疑問が湧いたことも事実である。またケルヴランの研究を日本に紹介した桜沢が独自に転換実験を行なったことも記されていたが、それは生物学的なものではなくアーク放電によるものだったという。
この点についての詳細は不明だが、厳密にいえばケルヴランの研究を傍証するものでないことは確かである。そして桜沢はその実験をもとに研究所の設立を構想し、「ダイヤや金を作る」などと公言していたそうだが、この言葉ひとつを取ってみてもカルシウムまでの軽い元素による転換を示すフリタージュの概念を正確に理解していなかったことがわかる。ダイヤや金が元素転換でできるのなら結構な話だが、あまりにも能天気すぎるスローガンだったといえるだろう。
ともあれ当時は桜沢が翻訳したケルヴランの初期の著作しかなかったので、学生にとって2冊で7000円というのは高額だったが、購入して読んでみた。たまに私の翻訳書を購入された方からも聞くことだが、「何のことかさっぱり理解できなかった」というのが偽らざる事実である。
しかし大学に入った後もケルヴランの研究は私の脳裏から離れなかった。次回はそのあたりの経緯を振り返ってみることにしたい。

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2005/12/14

新たなる旅路

ホームページのプロバイダーが来年でサービスを停止するそうなので、本意ではないがブログを作成することにした。すでにHPの方もブログ状態といえばそうなのだが、こちらの作成は少し勝手がわからないので、今のところ試作品ということでご容赦願いたい。

いずれはよりセンスのよいものに仕上げていきたいとは思うのだが、前にも書いたようにパソコンはあまり好きではないのでどうなるかはわからない。ともかくも来年に向けてのプレスタートといった感じで始めていこうと思っている。

2005年のフリタージュ活動のピークは73Librの完成にあった。そしてその締めくくりはICCF―12への参加であった。キエフ・グループのヴィソツキー博士とも実際に会見できたし、大きな収穫があったといえる。

これに対し、来年からの活動は地道に積み重ねていく作業が多くなるだろう。いくつかの翻訳も軌道に乗りつつあるし、資料の収集も順当に進んでいる。

ケルヴランが生物学的元素転換を公表したのが1960年のことだから、2010年は「フリタージュ発見50周年」ということになるが、今後はこの2010年に向けてフリタージュ活動を集約していくつもりである。これをケルヴランの出身地の名称をとって「フィニステール計画」と名づけている。その概要についてはいずれお伝えする時期が来ると思うが、新しい年とともに本格的に推進していきたいと考える次第である。

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